第114話「voltage:20%」
突如現れた獣人の少年に、ゾディアックは目を丸くした。相変わらず薄汚れた布服とハーフパンツを履いている。
少年は塀を飛び降り庭に着地すると、片眉を上げた。
「……ゾディアックだよな、あんた」
「……あぁ」
「マジか。鎧の中身超カッコいいじゃん」
難しい顔をしながら少年は言うと視線をロゼに向ける。
瞬間、表情が怯えに変わった。
「うわぁ!!? 悪魔女!!」
「誰が悪魔ですか!!」
ロゼの怒声が木霊する。以前、ゾディアックの家を偵察していた少年は、ロゼに脅されていたことを思い出した。その恐怖は心に根付いており、あれから3日間はうなされ続けた。
「ロゼ、なにしたの? あんなに怯えさせることないだろ」
「ちっ、ちが! 違いますよ、ゾディアック様! 私はやんわりとですね……」
ふたりの様子を見て少年は頭を振った。
「んなことどうでもいい! 話戻すぞ! ゾディアック、手伝ってくれ!」
「……何をだ?」
「それは」
言葉を続けようとした少年の膝が折れた。いきなり力が抜けたようだった。
ゾディアックは慌てて駆けよる。
「どうした」
ぎゅるるるる。という。何かが鳴る音。
返事の代わりに、少年の腹が音を立てた。
少年は気まずそうに顔を上げた。
「なんか、食いもん、ある?」
★★★
「んん! うんん! ぅんぅんん!!」
テーブルに空の皿が増えていく。少年は余っていたぺペロンチーノを全て飲み込み、ジョッキに注がれた水を一気に飲み干す。
その様子を5人は黙って見続けていた。ビオレが「掃除機みたい」と呟いた。
「ぶはぁ! 食った飲んだ生き返ったぁあ!」
元気いっぱいの声が響き渡った。少年の視線はキッチンにいるロゼに向けられる。
「あんた天才だわ! 全部美味い! ただの悪魔じゃなかったんだな!」
「はいはい。悪魔でもなんでもいいですよ、もう」
美味しそうに、豪快に料理を食ぺる少年の姿を見て、ロゼは怒る気力を無くした。
少年は室内を見渡す。
「パーティーかなんかだったのか? 悪い、邪魔して」
「……いや、いいんだ」
「で、坊主。うちの大将に話ってのは?」
椅子に座りテーブルに片肘をついたベルクートが少年を見た。少年は対面に座るゾディアックと、その隣に座るベルクートに視線を送る。
「ちょっと話、長くなるけど」
少年は自分の弟分でもある獣人のフィンを探していることを伝えた。ソファに座って小音量でヴィレオンを見ていたビオレとラズィも、話に耳を傾けていた。
「自粛中だからガーディアンが多く来たんでしょうねー。遊ぶ以外やることありませんし~」
「ねぇ。亜人街にしか、遊べるお店ってないの?」
「あるにはあるのですが~。正直言って、質は亜人街の方が数段上ですね~」
ロゼが少年の前に水が入ったグラスを置く。
ロゼは少年を見た。
「君の仕事に憧れて、と言っていましたが、仕事は何を?」
「あ、いや、それは、その、察してくれ」
亜人街に住む獣人の仕事など、人前で言えないものばかりだろう。ゾディアックは頷いた。
「それで、探していたら、どうなったんだ?」
聞くと、少年は真剣な表情を浮かべ、口を開いた。
★★★
マーケット・ストリートは人がごった返しており、装備、道具の調達を行うガーディアンも大勢いた。
この中からフィンを探すのは不可能だ。少年は道の端に寄り、道行く人を眺める。
誰もが明るい顔をしていた。だが亜人たちの顔は暗い。
ガーディアンをやっている亜人は荷物持ちにされ、首輪付きの亜人がキャラバンの連中に詰め寄られているのが見えた。
亜人を下に見やがって。少年のはらわたは煮えくり返っていた。
「そういやあのチビの獣人、どうしたんだ?」
不意に聞こえた声だった。目の前の露店で店番をしているふたり組の声だ。
チビの獣人。それがフィンを指すかどうかわからないが、可能性は高い。少年はゆっくりと露店に近づき、会話に耳を傾ける。
「結局殺さないで捕らえている。団長の指示だ」
「フォルリィアにでも売り飛ばすのかねぇ。可哀想に」
脂汗が噴き出した。フォルリィア。あそこは"亜人の墓場”やら”地獄に最も近い国"とも言われている。
幼いフィンが連れていかれたら、どうなるか。
少年は群衆に紛れ露店に近づく。"団長"がいるのであれば、個人経営のキャラバンではない。団の名前が書いているはずだ。
視線を露店に向けた。看板には店の名前と、眼帯をつけたウサギのマークが描かれていた。
「ラビット・パイ」。マークを囲うように、そう書かれていた。
「ラビット・パイ」はキャラバンの中でも3番目に大きな商業団体だ。これはサフィリア宝城都市で3番目に大きいというわけではない。
「世界中のキャラバンの中で」、3番目に大きいのだ。
主にサフィリアを拠点として活動しておるため、この国ではもっともキャラバンとしての権力がある。実質的にこのサフィリアのキャラバン団体を牛耳っていると言っても過言ではない。
主な活動拠点は、マーケット・ストリートを進んだ先にある噴水庭園だ。
少年は駆け足で移動し円形の広場に足を踏み入れた。中央の噴水を囲うように、ラビット・パイの露店が開かれている。
「気合入れろ、俺」
少年は近くの路地に身を入れ、足に魔力を流した。
両足に力を込め跳曜。3階建ての建物の屋上に一気に昇る。下を見ると、人々が蟻のように蠢いていた。
舌打ちする。フィンがいるかどうかなど、わかるはずがない。
露店の売り子に話を聞ければわかるかもしれない。だがそれは、獣人の少年には絶対に行えない。気安く話しかけたら最後、殺されても文句は言えない。
少年はキャラバンに忍び込むことを考えた。もうすぐ夕暮れ時。日が落ちるタイミングで人が少なくなるのは知っていた。
その時だった。下から悲鳴が聞こえた。
群衆の足が止まり、視線が一点に絞られる。
「なんだ?」
少年も目を凝らし、群衆と同じ方向を見た。
とある露店の前に、男のキャラバンに腕を引っ張られている獣人の子供がいた。シャーレロス族だ。なぜか片耳がない。
会話までは聞こえないが、男の顔は怒りに満ちていた。
そして気づいた。子供の首には"首輪"がない。
首輪付きじゃない。盗みを働こうとして捕まったのだろうか。
疑問に思っていると、男は問囲に愛想笑いを浮かべ、駅人を引っ張っていき、近くの建物内へと入っていった。
おかしい。やはりこのキャラバンは、団長の命令とやらで、亜人を集めているのだろうか。
どちらにせよ、騒ぎのせいで警戒が高まったのは確かだった。日が落ちるまで粘ったが、結果としてキャラバンの警戒は解けなかった。むしろ人が増えているようだ。
「くそ」
このままではらちが明かない。
どうしたものかと悩んでいたその時、少年の頭の中に光が差し込んだ。悪い案ではないはずだ。背に腹はかえられない。
少年は自分を仲間といってくれたガーディアンに助けてもらおうと思い立ち、その場を後にした。
★★★
事情を聴くと、ベルクートが一際大きな声で唸った。
「よりによってラビット・パイかぁ」
厄介な相手であることは明白だった。
少年は不安気な表情でゾディアックを見た。ベルクートが視線を横に向ける。
「どうすんだよ、大将」
「行こう」
即答すると、ゾディアックは席を立った。
「鎧に着替えてくる」
「ちょ、ちょっと待ってよ。今なんか、パーティー中だろ? いいよ、明日でも」
「明日まで、その子が無事かどうかわからない。確かめに行くだけならすぐだ」
それに、と続けた。
「俺を頼ってくれた。答えないと、失礼だろ」
そう言うと、少年以外の全員が口元に笑みを浮かべた。
「絶対苦労しますよねぇ~、あの性格」
「そこがマスターの魅力なんですよ!」
そう言うと、ビオレはヴィレオンの電源を消した。
「ついてくぜ、大将」
笑って言ったベルクートに視線を向ける。
「いや、みんなはゆっくりしていて」
「アホ。大将ひとりで働いてんのに酒が飲めるか。ちゃっちゃと行って戻ってこようや」
「……ああ」
ゾディアックは頷きを返した。
そのやり取りを見ていた少年は、ガーディアンに対する憧れの気持ちが、より一層強まっていたのだった。
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