第110話「Votage:10%」
ラズィから本を受け取ったロゼは、昨日からずっと部屋にこもりっぱなしだった。夜通し勉強しており、ゾディックは久しぶりに、というより、この家に住んでからはじめてひとりで寝室に入ることとなった。
そのため家事は主にゾディアックが行い、ビオレが手伝いだ。ただ、料理だけはビオレが行っている。最初はゾディアックが料理を作ろうとしたが、ものの見事に肉を灰へ変えたため、見兼ねたビオレが料理を担当することになった。
今日も野菜類が多い食事を終えたゾディアックは、キッチンであるお菓子を作っていた。
「ロゼ、大丈夫かな?」
ソファで寝っ転がりながらアンバーシェルを見ていたビオレが、心配そうな声を出す。もう2日間、ロゼの顔を見ていないからだろう。
「今朝呼んでみたら、返事はしてくれたから、たぶん大丈夫」
生返事だったことは伏せた。口ゼは集中力が高く、何かに没頭すると周りの声が聞こえなくなる。昔のことを思い出したゾディアックは懐かしさを感じながら口元に笑みを浮かべた。
スプーンで生地を掬い、小さめのケーキカップに注いでいく。
「邪魔すると、ロゼは怒る」
「ピリピリしているんだね」
「ああ、気をつけた方がいい」
その時、ダイニングテーブルの上に置いてあった、ビオレのアンバーシェルが鳴った。ほぼ同時に、ソファの上に無造作に置いたゾディアックのアンバーシェルも音を立てた。
画面を見たビオレは一回指を這わせると、目を開いて飛び起きた。そして喜びの表情を浮かべながらゾディアックに近づく。
「マスター! 自粛解除だって! 明日からってわけじゃないけど!」
「本当か」
ゾディアックも喜びの声を上げ、ふたりはハイタッチした。
★★★
かすかに喜びの声が聞こえた。愛しい彼と、大切な彼女の、ふたりの声。
集中力が切れたことを実感したロゼは、本から視線を外す。瞼を閉じると、大きく伸びをする。凝り固まった筋肉の緊張が解け、心地良さを感じた。
目頭を押さえて眼球の疲労を取る。照明に対してすら、眩しさを感じるほど疲弊していた。
2階にある一室は、ロゼの書庫兼勉強部屋として機能している。魔法や世界の歴史に関する情報を集め、学ぶことは、ロゼの趣味だった。
ロゼは机から立ち上がり、腰を回したり肩を回したりする。吸血鬼とはいえ内部構造は人間のそれ。集中して十何時間も同じ姿勢を取っていたら、肩だって凝る。
ロゼは黒いワークデスクの上に広げてある、ラズィから貰った本を見つめる。すでに8割方読み終えており、実際に使えそうなものはすべて試した。
一番欲しかった魔法は昨日の時点で習得しているため、これ以上読む必要はないと、ロゼは最初考えていた。
だが、読み進めれば進めるほど、ロゼは本から離れられなくなった。
禁書というわりには、読者を呪ったり傷つけたりするトラップ魔法など存在せず、懇切丁寧に術式の解説が記述されていた。加えて、びっしりと書かれたメモ書きが、理解を手助けしてくれている。
この著者とメモ書きをした者。メモの方はラズィの両親だろう。
ロゼは疑問だった。エルフのラズィは、というより、ラズィの両親はどんな人物だったのだろう。
ロゼには、ある程度予測がついていた。
コンコン、と。扉を叩く音が聞こえた。
「どうぞ?」
扉が開き、木製の円形トレーを持ったゾディアックが入ってきた。
トレーの上には、ケーキカップに入った緑色のマフィンが乗っかっていた。
「お疲れ様」
「ゾディアック様、お疲れ様です。すいません、こもりっぱなしで」
「いいんだ。はい、これ」
トレーを差し出す。
「抹茶マフィン。中にホワイトチョコレートが入ってる」
「わぁ! 美味しそうです!!」
頭を使っていたせいか、脳が糖分を欲しがっていた。口ゼはカップを取ると両手で持ち、小さな口を大きく開けかぶりつく。
抹茶の苦みとほろほろとしたマフィン生地の食感、一瞬後にホワイトチョコレートの甘さが襲い掛かってきた。苦さと甘さが非常にマッチしている、素晴らしいお菓子だった。
「んふふ。おいしい」
「本当? よかった」
「幸せです。家事も全部投げ出している私なんかのために、お菓子まで作っていただけるなんて」
「たまには、全部投げ出してもいいよ。いつも世話になっているんだ。菓子くらいなら、いくらでも作る」
ロゼは目を開き、カップをトレーに置くと、両腕を広げた。
「ぎゅーってしてください」
ゾディアックはトレーをデスクの上に置くと、ロゼを抱きしめた。次いで顔を合わせられるように抱きかかえる。
「大丈夫?」
ふたりの額が合わさる。
「はい。もう少しで本を読み終えるので、明日になったら魔法も見せることができます」
「無理しないでね」
「いえ、します」
ロゼが微笑む。
「させてください」
彼女の我儘に対し、ゾディアックは笑みを返すことで答えた。
★★★
目の前にいる種族がなんなのか。人間なのか、亜人なのか、ディアブロ族なのか。
亜人であれば見た目で判断することは可能なのだが、時には人間とまったく遜色ない外見をしている種族もいる。
ヴァンパイアであるロゼは、見た目はまったく人間と同じである。エルフのように片耳がふたつあったり尖がっているわけではない。強いて言うなら八重歯が鋭いくらいだ。
そのため、確定的な判断方法は、体内に流れている相手の魔力を観察することである。
魔力が均等に体全体を流れていれば人間。
体の一部に魔力が集中している場合は亜人。
そして、どす黒いか無色透明な魔力を持っている者は、ディアブロ族である。
ディアブロ族のロゼは後者であり、無色透明な魔力を体内に流している。
他人の魔力を見るだけであれば、特別な魔法や訓練など必要としていない。微量の魔力を眼球に流せば見ることが可能だ。子供ころ意識していない者も、大人になるにつれ、自然とできるようになる。
そのためディアブロ族について詳しい者がロゼを見たら、一発で素性を看破できるだろう。
だが今ゾディアックの目の前に立っているロゼは、紅蓮の魔力を体全体に巡らせていた。見た目上の変化は、まったくない。
「やりました」
ロゼはどうだと言わんばかりに「ふんす」と鼻を鳴らして両手でガッツポーズをした。
リビングにて、ゾディアックはロゼを見つめていた。
均等に流れている魔力を見て、ゾティアックは思わず感嘆の声を上げてしまった。どこからどう見ても、人間と相達ない。
これでもう、外に出ても間題はないだろう。ゾディアックが見ても全く見抜けない見事な魔法だった。
「これ、魔法を使っていることすら気づかれないような術式も組み込まれているんですよ」
ゾディアックの想いをくみ取ったかのように、ロゼは小声で言った。
「流石禁術ですね。これが使われたら、簡単に国内に入れてしまいます。たとえ、ギルバニア王国だったとしても」
恐ろしいことを呟くロゼだったが、その顔は嬉しそうだった。
その時、ソファに座っていたビオレが唸り声を立てた。
「どうした、ビオレ」
「なんの魔法覚えたの。救えて」
以前答えをはぐらかされたことを根に持っているのか、ビオレは頬を膨らませていた。
「いいですよ。見せましょうか。エンチャントに関する秘術です」
「本当!?」
上擦った声を出してビオレが立ち上がる。だが、そのあとすぐに、目を細めた。
「……ロゼさんの魔力、そんな赤かったっけ?」
「ビオレはあまり人の魔力を見ないタイプですか?」
ロゼはクスッと笑う。
「≪最初から、赤かったですよ?》」
自然とついた嘘に対し、ビオレは領きを返した。
「う、うん? そうだった、ね」
ゾディアックはロゼに視線を向けた。彼女がある魔法を使ったからだ。
ロゼはゾディアックを見て、ウインクしながら人差し指を顔の前に立てた。
さらりと嘘をつき暗示の魔法を使う彼女に、若干の恐怖を感じていると、チャイムが鳴り響いた。
「ラズィかな」
ゾディアックは玄関に行き扉を開ける。
そこには。
「ぴえん」
開口一番、ふざけた台詞を吐いた、ベルクートが立っていた。
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