第107話「Voltage:0%」
亜人街の中には5つの区画が存在する。
数多くの風俗店がひしめき合う「ブロセル」。
亜人が経営する酒場が多い「バッカス」。
亜人街の”表通り”に存在する区画であり、他所の地区から訪れる客をもてなすのが主な役割だ。
亜人街全体が、このふたつの区画によって稼いだ金で、なんとか息をしているといっても過言ではない。
逆に”裏通り”と呼ばれる、亜人すらもなかなか立ち寄らない区画が存在する。
血の気の多い若者たちが集い、日夜喧嘩が行われている「インパルス」。
表の世界では生きていけなくなった"生き物"が、ただ息を引き取るだけの場所「デ・スペランサ」。
その両方に属さない区画が、一番小さく、それでいて子供や無害な亜人が住む住宅地区「ノルス・リーベ」。
ガネグ族の言葉で意味は、
「誰も愛してくれない」である。
★★★
ノルス・リーベは他の区画と違って暴れる者がほとんどいない。そのため、”集会”を行うのにはうってつけの場所でもある。
廃墟と化した建物。元々は音楽の演奏会が行われていたであろう広い音楽ホール。
そのステージ上に、メンバーは集まっていた。
電気が通っておらず魔力を流す配線も断絶しているため、いたるところに蝋燭が配置されている。ステージ上の数が一番多く、その心許ない火が、集まった者たちの顔を照らす。
「クソッタレが!!」
”集会”のナンバー3であるルー・カ・バーミアンクは、あぐらをかきながら怒りの言葉を口にし、拳を床に叩きつけた。
ナロス・グノア族である彼の蛇頭と、黒い蛇の鱗が、蝋燭の灯を映し出す。
筋骨隆々の上半身を震わせながら、ルーは再び拳を叩きつけた。
「何人死んダ? あの黒い、影みたイナ連中に、何人殺されタンダ!」
ナロス・グノア族は声帯が他の種族より劣化しており、発声が荒く、日常会話でも言葉が聞き取れないことが多い。興奮しているとなれば、なおさら酷くなる。
結果として、ルーの言葉を聞き取れた者は半分ほどしかいなかった。
「落ち着いて、ルー」
ひとり離れた位置で壁に寄りかかっている、ナンバー2であるシャーレロス族の女性、クロエ・ナイトレイがルーを見た。
黒色の長髪を靡かせる彼女は、煙草を咥えた口から煙を吐き出した。黒いワンピースが彼女の長身と豊満な肉体を強調している。
ルーの視線がクロエを射抜いた。
「黙っテロ、”クアトロ”の出来損なイが」
「あら、獣の血が私は多いのだけれど?」
蝋燭の灯が揺らめきクロエの顔を照らす。顔は人間だが、もみあげや首元に、髪と同じ色の体毛が生えている。
人間の血が4分の1ほど混在しているクロエは、この街では「半獣以下の出来損ない」と陰口を叩かれている。
だがその実力は、亜人よりも亜人らしいと評価されている。気性の荒いルーよりも上の地位に位置しているのは、それがなによりも認められているからだ。
「あんたの濁声のせいで、会議が毎回混乱するの。だから黙っててちょうだい」
「ナンだと?」
「何、その目。やる気? その長い舌、凍らせちゃうわよ?」
「ヤッテみろ、雌猫」
ルーが立ち上がると同時にクロエが壁から離れた。
一触即発の雰囲気が漂い、緊張感が走る。
「やめろ、ふたりとも」
床に座り腕を組んでいた男が声を上げると、ふたりは渋々といった様子で緊張感を解き、元の位置に戻った。
室内にいるすべての視線が男に向けられる。
「俺たちが争ってもしょうがない。被害者が出たブロセルのフォローをしなければ」
「マタ死ぬノがオチだろう?」
「ルー」
「あの影のせイデ、俺の友人の、ガネグの女が殺サレタ!! あいつ何も悪いコトしてねぇのニ!」
「……残念だが、「まだここが安全である」、ということを他地区にアピールするのが先決だ」
ハッ、とルーが吐き捨てるように笑った。
「安全!? それでガーディアンやキャラバンをまた招きイレルのか!? あいつらを招いて何の得がある!?」
「だからあんたは黙って」
「黙るのはテメェだ、クロエ!! いいか。あいつらが何ヲしてくれた? 街中であいつらは市民をために戦ったノニ、俺たち亜人が襲われても何もしてクレナい!! 国の連中なンテ喜んデいる奴もいル! ソんな連中に、イツマデこびへつラッテ生きていカナきゃなんねぇんだよ!」
ルーの大声に同調する声が上がった。さまざまな亜人たちが声を上げて不満を訴えている。
ストレスが限界であることを物語っていた。
「一生さ」
男が冷ややかな声で言った。騒いでいた者たちが、一斉に静まり返った。
「気持ちは理解できるが、彼らの金で、亜人街は生きているんだ」
「ナニ?」
「ここが死んだら、俺たちはどこに向かえばいい? ルーのように誰もが強いわけではない。亜人という劣等種。この世界では弱者という者たちにとって、外の世界は地獄だ」
「……砂漠大国の「フォルリィア」に連れていかれたら、命よりも大切な物を失うわ」
クロエは自分の左腕を掴んだ。その美貌には、明らかな怯えの色が混ざっている。
フォルリィアという言葉に恐怖を感じる者はクロエだけでなく、多くの亜人たちが視線を巡らせた。
「わかるだろ、ルー。俺たちは戦っちゃいけない」
「……ケドヨォ」
「今回の件はガーディアンでも何でもない、暴徒が起こした騒動で、ガーディアンが片づけた。これ以上、俺たちが場を乱す必要はない」
「でもヨォ」
納得しかねるルーに、男は微笑む。
「ルー。もしガーディアンや一般市民がここを潰そうとしたら、思いっきり暴れていい。その時は、俺も前線に立つぜ」
そう言って白い歯を見せて笑う。
その大きな姿と豪快な笑みを見て、ルーは口角を上げ頷きを返した。
「頼りにしてるぜ、ブランドン」
亜人たちの心が、集会のリーダー、ナンバー1のブランドンを中心に、ひとつになりつつあった。
その陰で小さく動く影がひとつあった。ブランドンの視線が動く。
扉の開閉音がかすかに聞こえた。
★★★
集会所から抜け出した狐顔の少年はため息をついた。
ルーが怒ってクロエが煽ってブランドンが諫める。いつもの会議。
無駄な時間を過ごした。
少年は青い毛を揺らしながら、お気に入りの場所へ向かう。
自身が住むノルス・リーベには他の地区と違って、これといった特徴がない。だからこそ皆が息を潜めてさえいれば、生活ができるようになっている。
だがノルス・リーベには、他の地区にはない大きな建物があった。亜人街で一番大きな建物。
元は時計塔だったらしいその建物の屋上が、彼にとってお気に入りの場所であった。
時計塔の真下まで来ると、塔を見上げながら足に魔力を流す。
「よっ!」
声と共に膝を曲げ、跳躍。瞬間一気に少年が飛び上がる。魔法に近い跳躍だが、ほぼ無意識にそれが行えていた。
建物の出っ張りに着地し再び跳躍。老朽化が進んでいる塔には、ところどころ崩れた場所がある。そこを足場にして屋上へと昇っていく。
円錐型の頂上にたどり着いて景色を眺める。
時刻は夜。月明かりに照らされるサフィリア宝城都市が一望できた。昼間は暗い亜人街も明るくなっており、街全体が賑わっている。
宝石を散りばめたような街、と言われるだけあり、サフィリアの夜景は素晴らしかった。
ここに来ると悩みを忘れられる。だからお気に入りの場所なのだ。少年は視線を動かし続けた。ここに立つ自分が特別なような気がした。
だがその気持ちは霧散する。瞳を動かさなければよかったと思うものが、映ったからだ。
はるか遠く、サフィリア宝城都市の外壁よりも高い白塗りの大きな壁。30メートルほどの高さがあるそれは、この時計塔よりも若干高い。
白塗りの壁は、少年を拒むように建っている。特別という言葉は、あの壁の内側に住む北地区の住民たちのことを言うのだろう。
急に、虚しさがこみ上げてきた。
あの壁が、自分の明日に、自分の未来に影を差している。
「いつまでも、こんな生活してらんねぇよ」
少年は呟いて座り込んだ。
亜人である自分は、幸せになりたかった。それだけが少年の目標であり、夢でもあった。
いつか大きなことをして、亜人をあざ笑う、あの壁の内側にいる連中を見返してやりたい。そう思っていた。
しかし今の少年が行っているのは、チンケなスリと、酔っ払いのガーディアンやキャラバンから小さな盗みを行うだけ。
夢を見るのは簡単であり勝手でもあるが、行うとなると容易くはない。
いったい自分は、何のために生きているのだろう。
ふと、視線がある一軒家を捉えた。
西地区の寂れた空間にポツンと立つ立派な一軒家。その姿はこの時計塔からよく見えた。
最強のガーディアン、ゾディアックが住む家だ。
ゾディアックと行動を共にした時の記憶が呼び起こされる。凶悪なモンスターに対して、彼と一緒に戦った。
あの時の自分は、確かに生きていた。
「……オレ、ガーディアンになるよ……」
幼い頃、両親に言った言葉を呟いた。
少年の小さな呟きに答える者はおらず、夜空へと消えていった。
遠くから、雷鳴が鳴っている。
そのことに少年は気づいていたが、気づかないフリをした。
不安を掻き立てるようなその音が、鬱陶しかったからだ。
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