第106話「ブルーベリー・"グッドフレンズ"・マフィン」
目の前に立つラズィは魔術師のローブを羽織っていた。それが体の傷を隠すためのものだと、ゾディアックはすぐに理解した。
顔の左半分は火傷のせいで包帯が巻かれており、かすかに見えた首元にも同様に、首輪のような白い包帯が見えた。
ラズィはとんがり帽子を取る。フワフワとした桃色の天然パーマが特徴的だったが、今の髪型はショートヘアになっており、大人びた印象に変わっていた。毛先がくるくると巻かれているのだけは変わっていない。
「もう、動いて平気なのか?」
ゾディアックが尋ねると、ラズィの糸目が綻ぶ。
「意外と大丈夫みたい」
いつもの、のほほんとしたラズィの喋り方ではなかった。声色も若干低い。恐らく素だと思われるその口調は、彼女にとても似合っていた。
「結構鍛えていたおかげかしら」
「そうか」
「ねぇ」
ラズィがスンと鼻を鳴らす。
「あなた、私を捕まえる気はある?」
急な質間だったため、ゾディアックは答えに窮した。ラズィは自分の胸元の五指を当てる。
「私はこの事件の内通者。それも首謀者の弟子。セントラルでも国でも、キャラバンでも。好きなところに差し出せば、それなりの金になるわ。天然の賞金首ってやつね」
「……別に、金はいくらでもあるから困ってない。それに、いくらでも稼げる」
「かっこいいわね」
「捕まえて、欲しいのか?」
ラズィは黙った。糸目が少しだけ開き、エメラルドグリーンに輝く瞳が露わになる。
ラズィは視線を地面に向け口を開く。
「……罪を償う。その覚悟はあるわ。嬲り殺しにされることになっても、それは特別怖いことじゃあない。けれど、まだ捕まりたくないのも事実よ」
静かに言うと、視線をゾディアックに向けた。
「ゾディアック、あなたにお願いがあるの。捕まえる気がないのなら、姉さんが目覚めるまで……私のことを見逃してほしい」
「それは……」
「高望みはしないわ。姉が目覚めて安全が確保出来たら、私は一連の責任を負う。この事件だけじゃない。この国で犯した、罪もね」
ラズィの脳裏に、北地区で心を殺したハンジットの顔が浮かんだ。
ラズィはゾディアックに近づきながら手首に装備していたブレスレットを外した。それをゾディアックに差し出す。ルビーの宝石が散りばめられた、派手なデザインだ。
「これが私の、ガーディアンとしての証。いつもは偽物の指輪とかしてたけど、これは本物。これをあなたに」
「……なぜ、渡すんだ」
「セントラルに届けて欲しいの。セントラルの職員に、私の顔は割れている。あなたから、私のガーディアン権利剥奪を申請してほしい」
ゾディアックの脳裏にレミィの顔がよぎる。確かにこの状況で直接出向くわけにもいかないだろう。
だが、ゾディアックは差し出されたブレスレットを見て、頭を振った。
「受け取れない」
「……そうよね。こんな図々しいお願い、聞けるわけ」
「ラズィ」
言葉を遮ると、ラズィの片目がゾディアックを射抜く。
「罪を背負って、正当な裁きを受けることが、きっと必要になる。けど、ラズィは、人を殺したことがあるのか?」
ラズィが痛いところを突かれたように、目を開いた。
「あのナイフにかけられた魔法は、どういう原理かわからないが、相手の内面を損傷させる特殊なものだった。それを使って、北地区の富豪や、キャラバンのあくどい商人を改心させてきたんじゃないのか? ラズィは誰も、殺していないんじゃないのか?」
ゾディアックの言葉はすべて真実だった。まるで見透かされたような気分になったラズィは、フッと笑う。
「だとしたら、何?」
「俺のそばにいればいい」
「……は?」
突然の言葉にラズィは困惑した。
「改心とはいえ襲ったのは事実だから、必ず裁きを受けて、罪を背負う必要もある。けど、お姉さんが目覚めるまでの間だけ、償いの意味も込めて、ガーディアンとして、パーティとして活動し続ければいい」
「あ、あなた、馬鹿なの? そんなことできるわけないじゃない」
「セントラル内で、というより、ガーディアンの中で、ラズィが今回の事件に深い関わりがあることを知っているのは、俺とレミィさんくらいだ。ダメもとで、レミィさんに頼み込んでみる価値はあると、思う、んだけど」
ゾディアックは喉を鳴らした。
「どうせ捕まるなら、覚悟が決まっているなら、ダメもとで何かやってみても、いいと、思う」
ラズィは呆れたように頭を振った。
「なんでそこまで」
「だって、仲間だから」
「仲間?」
「理由はなんであれ、一緒にドラゴンと戦ってくれて、一緒にダンジョンに行ってくれた。今回だって、最後は一緒に戦ってくれた。だから、その、嬉しかった。本当に。ただ、嬉しくて、心強かった」
心からなんとか言葉を絞り出しているようなゾディアックを見て、ラズィは乾いた笑い声を上げた。
「馬痛な人ね、あなた。本当、お人好し」
言いながら、ラズィは自分も馬鹿だと思っていた。
本当に逃げるだけなら、ゾディアックに会う必要など皆無だ。アクセサリーなど、亜人街にでも放り捨てれば欠片も残らない。
それをしなかったのは、心のどこかで、ゾディアックに甘えていたのだろう。ラズィは自分が情けなくなる思いだった。
「あーあ。このまま黙ってどっか行かせた方がよかったわよ」
肩をすくめて言った。ゾディアックは首を傾げる。それを見て、クスリと笑う。
「私、あなたの弱み、握っているのよ?」
「……あ」
ゾディアックの恋人であるロゼは、ディアブロ族のヴァンパイアということを隠して生活している。ラズィは既に、その正体を知っている。
ラズィがもし言いふらせば、今回の事件など目じゃないほど国中が騒ぎになるだろう。
「そっか、そうだった」
その呆けたような独り言から、口封じのために「そばにいろ」と誘ったわけではないことを悟った。本当に、純粋な気持ちで誘っていることに、ラズィは気づいた。
「いいの? それでもいて」
「……構わない」
「私が言いふらすわけないと思っているでしょ」
「……少し、思ってる」
「はぁ。私も舐められたものね」
ラズィの視線が、ゾディアックがずっと持っていた紙袋に向けられる。
「何かしら、それ」
「えっと、見舞いの品。俺が作ったブルーベリーマフィンがある」
「ブルーベリー、マフィン?」
「デザート。お菓子」
「……あなたが作った?」
「う……うん」
耐えきれず、ラズィは噴き出した。
「笑わなくてもいいだろ……」
「ご、ごめん。でもあなた、その見た目で、お菓子作りって」
口元を押さえながらラズィは笑った。ゾディアックが拗ねたような唸り声を上げた。
ひとしきり笑った後、呼吸を整えながら、ラズィはブレスレットを装備し、手を差し出す。
「食べるわ。それ。私への物でしょう?」
「……いやなら食べなくてもいいぞ」
「まさか。食べるわよ」
ラズィは微笑んだ。
「大切な仲間からの、贈り物なんですもの」
その言葉を聞いたゾディアックは、兜の下に笑みを浮かべると、紙袋を持ち上げた。
★★★
サンディは南地区にある病院の個室で眠っている。この事件の被害者として扱われており、ラズィの姉であるということもバレていなかった。
ゾディアックとレミィがサンディを運び、診察してもらった結果、霊体の媒介となっていたため体力を著しく消耗していた。しかし過去の傷は癒えており、包帯で巻かれてやせ細った見た目であるにも関わらず、命に別状はないことが判明した。
トムは、サンディを治療してくれていたのだ。
最後がどうであれ、サンディを救ってくれていた師に心で感謝しながら、ラズィはベッドで眠るサンディを見下ろしていた。もう包帯を巻いてはいない。綺麗な顔をしており、清潔な布服に着替えている。
ボロボロの体で5階の窓から侵入するのは骨が折れる思いだった。それでも穏やかな寝息を立てて眠る姉を見ると、苦労も吹き飛ぶ。
さきほど窓の外から医師と看護師の会話を聞いていたところ、順調に回復していけば、半年から1年で目覚めるかもしれないと言っていた。
ラズィの手がサンディの頬を撫でる。
「お姉ちゃん。私ね、お姉ちゃんを教おうと思って、人殺しになろうとしたんだ。でも、ダメだった。だから心を殺す魔法なんて使って、逃げてたんだ」
サンディは何も答えない。
「けど、よかった。誰も殺さなくて、よかった。逃げた先で、お姉ちゃんを救えて、仲間と出会えたから」
ラズィは微笑む。
「目が覚めたら私、多分いなくなっちゃうけど。いなくなる前に会って欲しい人がいるんだ。私の仲間。会ったらさ」
脳裏に、騎士の姿が思い浮かぶ。
「一緒にあの人が作ってくれたデザート、食べようね。意外と美味しいんだ、これが」
サンディの頬から手を離す。
「おやすみ、お姉ちゃん。よい夢を」
また明日。
いつかサンディが自分に微笑んでくれることを夢見ながら、ラズィは踵を返し、窓から飛び降りた。
心地いい風と明るい月光が部屋を彩る。
窓が開いていることに看護師が気づいたのは、ラズィが去ってから1分後のことだった。
Dessert3.ブルーベリーマフィン Completed!!
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