第104話「グッドバイ・ ・ゴールデンメモリー」
ワイバーンを着陸させ、ゾディアックは手綱を握る力を緩めた。
トムが連れ出したワイバーンは、老齢でありながら非常に大人しい個体だった。騎手が変わっても忠実に指示に従った。
ゾディアックはワイバーンの背中から降りると、振り返る。
「ロゼ。そっちはお願い」
「はい。ただ、ラズィさんにこれ以上、何もすることはないかと」
ワイバーンの上に座るロゼが首を傾げる。その隣には治療を終えたラズィが横たわっていた。
腹部に爪が刺さっていたが、致命傷には至らなかった。ロゼの回復魔法で傷を塞ぎ、魔力も注いだ。血が若干足りていないせいで顔色は悪いが、命に別状はない状態だ。
「もし目が覚めて暴れそうになったら、頼むよ」
「ああ。荒事ならお任せください。行ってらっしゃいませ、ゾディアック様」
ニコッと微笑む恋人を数秒見つめてから、ゾディアックは視線を切った。
少しだけ歩くと、地面に倒れているトムがいた。近づいて相手を見る。
トムの下半身はすでに黒い水と化しており、地面におどろおどろしい水溜りが広がっていた。
「……まだ、生きているのか」
「らしいな」
片膝をついて、二度と動けない相手を見下ろす。
「ラズィは?」
「……生きている。助けたところ、見ただろ」
トムはさきほどのことを思い出した。
★★★
一撃を受けた両者はワイバーンから落ちたが、その直後にゾディアックとロゼがワイバーンの上に転移した。
「マズい、遅かったか」
「ゾディアック様!! あれ!!」
落ちていくラズィとトムが見えた。ゾディアックは舌打ちする。
「ロゼ! 頼む!」
「はい!!」
ロゼはワイバーンから飛び降りると、魔力を”服に流す”。ケープが広がり、翼のように形を変えると、ロゼは風に乗ってラズィを掴みその場に留まった。
空を飛べる魔法。ベテランの魔術師が使いたがる上級魔法を、ロゼは軽く行って見せた。
ワイバーンの手綱を握ったゾディアックは、思いっきり横に引っ張る。ワイバーンが吠えその指示に従う。
ゾディアックはそのまま手綱を動かしながら、落ちていくトムに急速で近づいた。
だがトムは、最後の力を振り絞るように、下級の炎系魔法をゾディアックに撃った。
助けなくていいという意思表示であった。
ゾディアックはその場で追従を止め、落ちていく相手を見送った。落下地点を確認し、いったんロゼを回収するため、手綱を動かした
★★★
落下した場所は、サフィリア宝城都市近くにある森林だった。蒼園の森とは違う、小さな森だ。トムは周りを木々で囲まれている、開けた場所に落ちた。
「無理やりにでも、助ければよかっただろう」
「……」
「霊体と言えど、捕らえることは、できたのになぁ」
小馬鹿にするようにトムは笑った。
「この傷じゃ、無理だ。俺は助からん」
「だろうな」
「まったく……今まで、”運命”に従って動いてきたのに。最後でまったく違う結果になってしまうのか。つくづく、お前は面白いなぁ、ゾディアック」
また、トムは笑った。体が揺れるたびに、水溜りが広がっていくようであった。
「なぁ」
「……?」
「顔。見せてくれ。ここまで来て、人違いっていうのは勘弁したいんだ」
ゾディアックは一瞬躊躇したが、兜を外した。浅黒い肌に群青に近い短髪が曝け出される。
ゾディアックの顔を見て、トムは笑みを浮かべた。
「まったく変わってない。まぁ、会えた甲斐があったというものか」
どこか懐かしむような声を聴いて、ゾディアックは胸が締め付けられた。
「……ひとつ、言っておきたいことがあるんだ」
ゾディアックは静かに言った。
黙っていればきっとバレないことだったのだろう。だが、それでも言うべきだとゾディアックは判断した。
自分のことを友だと言ってくれる、霊体になりながらも、どんな形であれ会いに来てくれた友という存在に、言うべきだと。
「なんだ」
トムが疑問符を浮かべながら聞いた。
ゾディアックは震える唇から、言葉を吐き出す。
「俺は……記憶がない。2年前、目覚めた時。それ以前の記憶が、まるでないんだ」
トムは目を見開いた。ゾディアックは言葉を続ける。
「装備のことはおろか、魔法の使い方も覚えてなくて、自分の誕生日すら覚えてなかった。だから、あんたのことも覚えていない。覚えているのは、自分の名前」
それと、と言ってから息を吸った。
「自分が、ガーディアンだってこと。それだけだった」
その言葉を聞いた瞬間、トムは大きな笑い声を上げた。自分の怪我も気にせず、子供のように無邪気に笑い始めた。
ゾディアックも、ワイバーンに乗ったままのロゼも驚きの眼差しを向けた。
「な、何がおかしい」
「いやいや。そうか、ガーディアンか。お前がか」
「……そうだろう? 俺は、それを信じて、活動してきた。人々を守るために、闘ってきたんだ。その記憶があるんだ」
自分の胸元に手を当てて心情を吐露するゾディアックを、トムは冷ややかな眼差しで見つめた。
「そうか。なるほどな」
「……頼みがある。俺を知っているなら、何でもいい。教えて欲しいんだ」
「お前、今の生活に不満はあるか?」
「え?」
「今の生き方に不満や不安はあるか?」
質問に対し、ゾディアックは頭を振った。
「いや」
「なら教えるわけにはいかない」
水溜りが広がっていく。トムの体が、だんだんと、その黒い水に沈んでいく。
「ま、待ってくれ。それでも知りたいんだ。自分がどんな人間だったのか」
「さぁなぁ」
「……トム」
ゾディアックは友と名乗る相手の名前を言った。
だが、相手は頭を振った。
「駄目だ。呼ばれても心に響かん。お前はまるで、皮だけあいつの別人のようだ」
ゾディアックは唇を絞めた。もう何も言えない。多分相手も何も言わないだろう。
諦めたように、首を垂れた。
「……いや、違うか。心はあいつのままなんだな」
「え?」
ゾディアックは顔を上げてトムを見た。その時、視界が揺らいでいるのに気づく。
目元を擦ると、眼が濡れていた。
涙を流していたのだ。自分でも気づかないうちに、大粒の涙を流していた。
「俺のために泣いてくれるのか。ああ、よかった……本当に、会えてよかった」
トムは切なげな頬笑みを浮かべた。
「その涙の礼だ。お前の言葉を信じて、少しだけ教えてやる」
トムは空に視線を向けた。
「お前が記憶を失った、2年前か。ちょうどその時、俺も死んだ。そして霊体になって蘇った」
「自分で魔法を、使用してか」
「違う」
トムは目を細めた。
「”あいつ”が、俺を蘇らせたんだ」
「……あいつ?」
「俺は別に、お前を恨んでなかった。だけどあいつのせいで、お前を恨むように思考を組み替えられたんだ。自分を取り戻そうとして、お前がいるこの街で、なんとか抵抗してみたが」
ゾディアックの脳裏に、トムの行動がよぎる。わざとらしい襲撃や言動は、自分を取り戻そうとしていたゆえの行いだったのか。
「このザマだ。やっと俺を取り戻せたと思ったが、死ぬ間際になるとは。まぁワイバーンから落ちた時点であいつの監視も逃れることができた。だから今、こうやって自由に喋ることができている」
トムはくつくつと笑った。
「ざまぁみろ、あのバカ。頭いいんだから最後まで油断するなって教えていたのにな」
視線がゾディアックに向けられる。
「油断するなよ、ゾディアック。あいつはお前を恨んでいる。なぜかは言わない。黙っていれば向こうから勝手にやって来るだろうさ。でも、お前が記憶を思い出したら、きっとお前から会いに行くことになるだろうな」
「……すまない、トム」
「……何がだ?」
「俺を友だと言ってくれる存在に、俺の記憶を知っている者に、ようやく会えたんだ。けれど。俺は、トムのことを何も思い出せない。ただ……心が叫んで涙が零れ落ちている。悲しんでいるのに、思い出せないんだ。きっと大切な友達だっただろうに、何も……本当に、すまない」
自分の気持ちすらしっかりと理解できない、不甲斐なさを感じたゾディアックは、ただ頭を下げることしかできなかった。
トムはそれを見て、満足そうに口角を上げた。
「ああ、よかった。本当にゾディアックだ。お前の泣き虫っぷり、また見れるとは」
「……泣き虫だったんだな、俺は」
「そうだよ。なぁ、ゾディアック。ひとつだけ聞かせてくれ」
「ん?」
トムの視線がワイバーンに向けられる。
「お前、女の趣味変わったな」
「……は?」
「あの金髪のちびっ子、恋人かなんかだろう? 記憶取り戻したら恥ずかしく死ぬかもな」
「な、なんだよそれ」
「ははは。いや、なんでも。もういいんだ……今度はしっかり守り通せよ」
トムの体が沈んでいく。もう首から下は液体と化していた。
「お別れだ、ゾディアック」
「……ああ」
「もうひとつだけ、教えてやるよ、我が主」
トムの顔が半分液体と化す。それでも、言葉を発した。
「お前は、世界の敵、なんだよ」
そう言った後、唇を動かした。
「だから俺らは、あんたの作る世界を、見たかったんだ」
言い終えた次の瞬間、トムは黒い水と化し、その姿を消した。
友と名乗っていた者が死んだ衝撃と、今わの際に放った言葉が、ゾディアックの頭の中に渦巻いた。
お前は世界の敵なんだよ。
それは、夢で見ていた、何者かの台詞と同じだった。
いったい自分は、誰なんだろう。
「俺は、いったい、何なんだ?」
ゾディアックの疑問に答える者は誰もおらず、ただ暖かな夕陽と心地よい風が、ゾディアックの濡れた頬を撫で続けた。
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