第101話「ノース・"BANG"・ランナウェイ」
骸骨の叫び声は、兜を突き破るほどの轟音だった。ゾディアックは耳を押さえそうになり
ながら、細目で骸骨を視認する。
骸骨は両腕を動かしながらもがき苦しんでいた。かと思うと、骸骨を中心に露が吐き出さ
れた。
発生した黒い靄は肥大化し、室内に充満し始める。その露が烈火の如し高温を保持していることに気づいたゾディアックは大剣を放り投げ、近くにいた少年を掴み、引き寄せる。
「え、え、なに」
ゾディアックは困惑する少年を胸元に抱きかかえ骸骨に背を向け座り込む。
直後、黒い靄が襲い掛かった。靄はマントが焼けるほどの熱量だった。火傷は鎧が防いでくれるだろうが、熱は防いでくれない。ゾディアックの額に汗が浮かび始めた。
「うぉおおおお!? なに、なに!? あっちぃんだけど!」
抱きかかえられている少年は一気に汗だくになる。ガネグ族という体毛が濃い亜人であるため、鎧を着ているソディアックと同等かそれ以上に暑さを感じている。
だが、離してしまえば一瞬で炭になってしまう。我慢してもらうしかない。ゾディアックは黙って、少年が苦しまないくらいに腕の力を強めた。
時間にすればものの数秒だった。熱波のような罰が通り過ぎると、視界が開けた。
熱を感じなくなり腕の力を緩めると、水面から上がるように、少年が顔を上に向けて大きく口を開けた。
「し、死ぬかと思った⋯⋯」
肩で呼吸しながら真っ赤になった顔で言った。
舌を出し体温を調整しながら、少年は周囲を見渡す。
入った時の煌びやかな光景は消え失せていた。黄金を彷彿とさせるほど輝いていた壁や床は、朽ちた木材に変わり果てていた。立派だったテーブルや椅子も、足が折れ、破損した状態になっている。
まるで廃屋の中にいるような光景に、少年は目を丸くした。
「幻術⋯⋯?」
ゾディアックたちがいた空間は、トムの幻惑魔法によって生み出されたものだった。大量の量の霊体を生み出せるほどの魔力と、完成度の高い魔法を使えるトムならば、この程度の魔法は造作もないことだろう。
ゾディアックは立ち上がり武器を持つと、室内を見回す。外は夕方になりかけており、橙色の光が、所々穴のあいた壁から差し込んでいる。
骸骨の姿はなく靄も消えていた。そして、さきほどまで骸骨がいた場所に、両膝をついて座り込んでいる、項垂れたラズィが見えた。ラズィの前には誰かが横たわっている。
「⋯⋯ラズィ!」
ゾディアックは声を上げて近づく。少年もその背中につづく。
ラズィの前に来て、ゾディアックは息を呑んだ。
ラズィのナイフが、姉だろう包帯塗れの人物を刺していたからだ。
「お、おい、なんだよこれ。どうなってんだよ」
不可解な情景に少年は狼狽しながらラズィを見た。
ラズィが弱々しく、ゆっくりと顔を上げた。その顔を見た瞬間、少年は「うわっ」と小さ
い声を出した。
顔の半分が焼け爛れていた。真っ赤な皮膚が捲り上がり、血が滲んでいる。火傷の痕は凄まじく、ラズィの片目は確実に潰れているのが見て取れる。ナイフを握り絞めていた手も、燻製された肉のように黒く染まっていた。
「……殺したのか?」
霊体を倒すために核を壊す。ラズィが霊体の媒介となっていた姉を殺せば、霊体が消えたのにも納得できる。
ラズィは弱々しく頭を振った。
「……だい、じょうぶ」
かすれた声だった。ヒュー、ヒューと、甲高い呼吸音が口から洩れている。
喉奥が焼けているらしい。
「わかった。喋らなくていい」
「わた、し……の……まほう……」
ラズィはゆっくりとナイフを引き抜いた。引き抜かれた刀身に血は付着していなかった。
少年の驚きの眼が、横たわる女性に向けられる。胸元にあるはずの創傷が、そこにはなかった。
いったい何をしたのか、ゾディアックも理解できなかった。
問い質す前にラズィの傷を治そうとゾディアックは近づいていく。
その時、近くにあった、テーブルや椅子の破片がこんもりと積もった場所から音が鳴った。
ゾディアックは立ち止まり、背負っている大剣の柄を掴み注視する。
もう一度大きな音が鳴ると、そこから何者かの足が飛び出した。次いで山が崩れていき、レミィが姿を見せた。
ホッとしたゾデイアックは手を離したが、相手の風体を見た瞬間、目を開いた。
なんとも目のやり場に困る出で立ちであった。
事務服が所々破けており、腹部や太ももの部類が露出していた。さらに胸元も大胆に曝け出されている。頼りない下着の布が、豊満な胸を隠していた。
「うぉ、胸デカ……」
少年の目元を隠し、ゾディアックは視線を逸らした。
「あ〜、くそ、全身いてぇ……」
靄を大量に吸い込んだせいで、レミィの声はしゃがれていた。服が破け、髪が肌に炭がかかっているが、外傷は意外と少なく見えた。
レミィの視線がゾディアックに向けられる。
「よぉ。大丈夫か?」
「い、いや、そっちこそ……」
横目でレミィを見ながら言った。
「私? ああ、平気だよ。ただ」
レミィは顔を下に向け自分の格好を見つめ、鼻で笑う。
「まるで襲われた後みたいだな」
「は、ははは」
「笑ってんじゃねぇよ、あほ」
言い終えた後、ゴホゴホとレミィはせき込んだ。その際、視線がラズィに向けられる。
レミィは大怪我をしている彼女に近づき、回復魔法を発動するため手に魔力を流す。
「……俺が」
「いいって」
「いや、あんたまず自分を治せよ」
「いいんだって。私にとって、ガーディアンは、大切な存在なんだ」
ラズィの弱々しい目がレミィに向けられる。レミィは優し気な笑みを浮かべて、それに答
えた。
そこで、少年が声を上げた。
「あいついねぇぞ!? 逃げたのか!?」
少年の言う通り、トムの炎は消え失せていた。カウンター席の上に、飲みかけのグラスが
置いてもるのが見えた。
ゾディアックは仲間の無事を確認できたため動き出そうとした。
「ま……って!」
ラズィの声に足を止めた。視線を向けると、片目でゾディアックを見つめていた。
「あいつは、わた、しが……しとめ、る」
荒々しい呼吸と共にラズィは言った。決意の籠る眼差しで見つめられたゾディアックは、その場に立ち上まるしかなかった。
ゾディアックは焦っていなかった。既に手は打ってある。
離れた場所にいる仲間たちの安否を、ゾディアックは祈っていた。
★★★
亜人街を抜けたトムは、西地区を駆けていた。周囲には霊体と戦っていたガーディアンた
ちがいた。
「突然消えたな、黒い連中」
「俺らにかかればあんな連中余裕だぜ!」
勝鬨の声が上がり始めていた。トムの魔力が尽きたわけではないため、もう一度霊体を街中に放つことは可能である。
だがそんなことをしても、無駄なのはわかっていた。
今のままではゾディアックを倒せない。特製のジャミング・ゴーストと戦わせて疲弊させ、ラズィの心を動かす手段を行使し、協力して叩く予定だった。
しかし、作戦は見事に失敗だった。
だがトムは満足していた。自分の正体を曝け出した結果、奴の姿をもう一度肉眼で捉えることことができたのだ。
そろそろこの体も限界だったため、本当にありがたいことだ。
トムは何に感謝するでもなく、ガーディアンたちの視線を握い潜るように動き、通りへ出る。
目の前を馬車が通過しようとしていた。荷の中には乗客はおらず、物だけが積まれていた。ご丁寧に積荷の上には布が被せられている。
トムは馭者に感づかれないよう荷台に飛び乗り布の中に包まる。巨躯であるトムも楽々と隠れることができた。
鼻を動かす。この匂いは、果物だ。上質でみずみずしい。
それが北地区の富裕層に向けられた物であると理解すると、トムはほくそ笑んだ。
順調に、逃走の道筋を進んでいたからだ。
馬車はそれから数十分後に止まった。停止すると同時に布を剥がすと荷台から降り、駆け出した。後方から馭者の驚く声が聞こえたが、無視して離れると、人気のない路地へいったん身を隠す。
北地区の門と壁を見上げた。サフィリア宝城都市の富裕層が住む北地区は、他の地区と界囲気が違う。建物もそうだが、住んでいる者もだ。北地区の者たちはこの国の権力者が多く、傲慢な者たちが多い。他地区を「劣等地区」と呼んでいるだけあり、巨大な壁と門を作り、要塞のような地区を作り上げている。
壁の高さは30メートルほどあるため、中の情景は見えない。入ることができるのは複数ある
門だけだ。
どの門も国の衛士が警備に当たっているが、手薄な場所をトムは把握していた。
門を襲撃し北地区に入り、ある場所へ向かう。それでサフィリアから脱出できる。
トムは警備が手薄な門へ行こうと通りに出た。
その時、すぐ近くから何かの音が鳴った。聴覚が鋭いトムは横目で音の原因を探る。
男が立っていた。緑髪が特徴的な、両手で銃を持った男がいた。
銃口が向けられているため、トムは動けずにいた。
「よぉ、ドラネコ」
目が全く笑っていないベルクートは、口角を上げて見下すようにトムを見つめた。
「ぶっ殺しに来たぜ」
そう言い散つと、短機関銃ことサブマシンガンの引き金を引いた。
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