第100話「ブレイジング・"ナイフ"・ソウル」
黒い靄が展開され、煌びやかな空間に竜巻が発生したような情景になる。それを眺めながらトムはグラスを手に取り、ウイスキーを注ぐ。
流れ落ちていく液体を見ていると、サフィリアで殺してきた者たちの顔が浮かび上がった。その者たちの魂は、骸骨を生成するための骨組みとなっている。
「ジャミング・ゴースト」。絶望、恨み、嫉妬、死への渇望、マイナスの感情が多い者たちの魂を結集して"作り上げた“モンスターだ。
下準備を澄ませ、最後は優秀な魔術師であり魔力の量も多い、サンディを核としてを生み出す。これが作戦だった。
霊体という特殊な敵であり、戦えばサンディを傷つける仕組みなっており、魔力の量が一番多い敵を狙うようにもしている。
ゾディアックが苦戦するのは明らかだった。
ただ、トムは連和感を覚えていた。
その正体が何かはわからない。
まぁいい、というように鼻をスンと鳴らす。
「お手並み拝見と行こうか」
トムは靄の中にいるゾディアックたちに向かって、グラスを掲げた。
★★★
黒骸骨は鉤爪ではなく腕を掲げ、勢いよく振り下ろした。
ひとり突出したラズィはスライディングしてその一撃を避ける。頭上を通過した攻撃は床を抉り飛ばし、破片と黒煙を巻き散らした。
霊体でありながら実体化を行え、質量は大きさと同等になるよう術式を組んでいるらしい。まともに食らったらひとたまりもない攻撃だ。
ゾディアックはトムの魔法の完成度に感心していた。
「うぉおお!!?」
眼前に振り下ろされた大木を思わせる黒い骨を見て、少年は声を上げた。
驚きの表情を浮かべていた少年は、床にめり込んだ骨を見る。
「舐めやがって!!」
怒りを露にし、近づいてククリナイフを振り下ろす。
しかしナイフの刀身は骨をすり抜けた。
攻撃がすり抜ける。霊体という特殊なモンスターの特徴である。
「な、なんだよこれ! どうやって倒すんだよ!」
そのことを知らない少年は、敵を指しながら叫んだ。
骸骨の全身に青色のオーラが纏わりついていく。オーラの正体は可視化された魔力。それは黒骸骨が異常な量の魔力を保持していることを物語っている。
大きさは3階まで到達している。
異形の化け物を前に、ガーディアンでもない獣人の少年は、すっかり怯えた表情を浮かべていた。
「やっぱり来るんじゃなかった」
泣き言を漏らす少年に、レミィは近づく。
「安心しろ。私たちが守ってやる」
「バ、バカにすんなよ! 俺だってやる時は」
その時、深淵を思わせる骸骨の黒い両眼が少年を捉え、鉤爪を振り上げた。
少年は悲鳴を上げて後退る。
振り下ろされると同時に、レミィが間に入り、刀を振った。
柄を両手で握り絞め、踏み込みと同時に放った横一文字の斬撃は、鉤爪を真っ二つに引き裂いた。
霊体と戦う場合は特殊な武器や魔法が必要となっている。それらを使用しなければ、ダメージを与えることができないのだ。
だが、レミィの持つ刀は、霊体を容易く引き裂いた。
「立てるか? とりあえずふたりに近づくぞ」
レミィは言いながら呆けたように大口を開けている少年に手を伸ばした。
レミィたちから離れた位置にいたラズィは動きを止められていた。魔力でできた靄が行く手を阻んでいた。桃色の髪が揺れ、目が開けられない。
ラズィは一度後方に飛ぶと骸骨を見上げる。
靄のせいで視界が悪いが、骸骨の喉元に、微かに包帯が見えた。
「お姉ちゃん!!」
呼びかけるが、返事の代わりに来たのは骨でできた巨大な拳だった。
ゾディアックが割り込み、大剣でそれを弾く。金属がぶつかり合うような甲高い音が鳴り響いた。
骸骨が唸り声を上げ、なお攻撃を仕掛けようと両腕を掲げる。ゾディアックは剣を構え、攻撃に備える。
そこで、骸骨の動きが止まった。
靄が渦巻いてはいるが動く気配がない。聞こえてくるのは低い唸り声のみ。
「なんだ……?」
ゾディアックが疑問に思っていると、レミィと少年が合流した。
「なぁ、どうすんだよあれ!!」
少年は興奮気味に聞いた。
「動作が止まったな。魔法を発動しようとしているわけでもないらしいが、魔力が乱れている」
「……姉さんが、抵抗しているんだ」
「抵抗? そんなことが」
「無意識で、いや、それとも……取り込まれないように必死に抵抗している?」
微かに感じる家族の魔力。ラズィの視線は骸骨に釘付けだった。
怨念が渦巻いているモンスター。その念に感化され、サンディが動いたのだろうか。ずっと寝たきりで意識もなかったのに。
「じゃ、じゃあチャンスじゃん。さっさと倒そうぜ!」
ゾディアックは少年の言葉に対し頭を振った。
「なんで!」
「ラズィのお姉さんが、あのモンスターの”核”なんだよ」
「核?」
ゾディアックのかわりにレミィは言うと、自身のもみあげを触る。
「ジャミング・ゴースト、か。霊体系のモンスターだから、”核”を壊せば奴は死ぬ。ルビーのガーディアンでも軽く倒せる相手だな。正直言って、ゾディアックなら一撃で倒せるだろう」
「……あれ、でも」
「そう。今回の”核”はラズィの姉だ。そして核を壊す以外に、霊体というモンスターを倒す手段はない。壊したとしても、運が良ければ助かるだろうが」
レミィはラズィに目を向けた。鋭い視線で睨み返されたため、肩をすくめる。
「得策じゃない。可能性は低いしな。……かといって時間もかけられない」
「……あの傷で抵抗しているのだとしたら、そう長くはもたない」
傷ついた体、さらに無理やり魔力を吸われている状態で抵抗をしている。もはや寿命を削っている同義だ。
ラズィは血が出るほど拳を握り、骸骨を睨みつけた。
「作戦があるわ」
ラズィが言った。
「私が上まで行って、姉さんを救出する。喉元にいたのは確認済み」
ラズィの視線が上を向いた。
「あそこは骨もないし靄だけ。私がそこに飛び込むんで"あること"をするわ。だから、敵の攻撃から守って欲しい。助けた後に全部説明するから、今は信じて」
ラズィはナイフに魔力を纏わせる。刀身がワインレッドに輝くとゾディアックを見る。レミィと少年の視線も自然と向けられる。
時間をかけるわけには行かないこの状況で、ラズィが裏切るとも思えない。
ゾディアックは首肯した。
「どう動く? 上にラズィと一緒に行く奴と、下で囮役がいるだろ。私が後者をやろうか」
「いや……」
レミィの提案に否定を示し、ゾディアックは少年を見た。
「俺と彼で囮をする」
「……えっ、オレぇ!!?」
少年は自分を指で差し、驚きの声を上げた。レミィが顔をしかめる。
「反対だ。この子はただの一般人だぞ」
「私も同感よ。あなたひとりで充分でしょう」
「いや……彼が重要なんだ」
ゾディアックは少年を見ながら言った。
それが合図だったかのように、骸骨は拘束から解き放たれ、4本の腕を広げた。靄が濃くなり、店内が暗黒に染め上げられていく。
ラズィは身を翻して入口近くにあった階段を目指して駆け出した。
「おい、待て!!」
抜刀したままレミィがそれに続く。
ゾディアックは少年を見つめていた。
「どうする? ……逃げるか?」
少年は怯えた眼で骸骨を見上げる。ゾディアックがふざけて言っているのではないことがわかっていた。
自分にも、こんな相手と戦う力があるのだろうか。
自分にもできることがあるのだろうか。
少年はその答えを見つけるため、ゾディアックを信じようと大声を上げた。
そして、ククリナイフを骸骨に向ける。
「上等だ、やってやる! なんだよあんなん、ただのホネホネ野郎じゃねぇか!! かかって来いやぁ!」
威勢よく声を飛ばすと、返事をするように骸骨の口が開いた。そしてこの世の物とは思えない咆哮を発した。
「うわぁぁああ!! こぇぇぇえええ!!!」
泣きそうな声になりながらも少年は立ち向かっていった。ゾディアックもその後を追う。
骸骨の両の鉤爪が迫りくる。ゾディアックは片方を大剣で払うが、片方は打ち漏らしてしまう。
「避けるんだ!」
注意を飛ばすと少年は肩越しに迫りくる巨大な鉤爪を見て前方に飛んだ。
音と悲鳴が木霊する。少年は前方に滑り込んで攻撃をやり過ごす。
だが喜んでいる暇も休んでいる暇もない。
「動き続けろ!!」
骸骨の攻撃が激化する。4本の手が少年とゾディアックに迫り来る。巨大な手が次々と、雨のように降り注ぐ。
床が抉り飛ばされ、テーブルや椅子が木端微塵に吹き飛び、爆発に似た音が木霊する。
少年は叫びながらただ逃げ続けた。猛攻の中を潜り抜けていくだけである。
ゾディアックは援護しながら、少年の後ろ姿を見て、自分の目に狂いはなかったと思った。
★★★
グラスを傾けながらトムは眉をひそめた。違和感の正体に気づいたからだ。
戦っている者たちの姿は靄のせいで見えない。だが、明らかに異常な魔力を探知できた。
戦闘が始まるまでは感じ取れなかった。時間が経つにつれ、急速に増幅しているらしい。
だいたい見当がつく。
まさか違和感の正体が、ただの亜人の子供だったとは。
トムはグラスを置いた。このままではゾディアックはおろか、ラズィすらも襲わない。
魔力を多く持つ者を襲うという仕組みを逆さに取られた気分だった。
「驚いた。ゾディアックと同等の魔力を持っているとはな」
とんでもない伏兵の登場に、トムは口角を上げた。
★★★
階段を駆け上がったラズィは2階の踊り場から外を見る。
暴れ狂う骸骨は、下にいるゾディアックたちしか見ていなかった。ゾディアックの大剣が鉤爪を弾いているのが見える。
ラズィはそのまま3階へ行き通路へ出る。骸骨の首から上が目の前に広がった。
吹き抜けとなっているため階下のような広間はなく、一本道が続いている。通路には観葉植物と丸いテーブルや椅子が置かれている。低い壁と転落防止用の柵以外、これといった遮蔽物がない。
いったん立ち止まり喉元を注視する。
微かに包帯の白と、自身と同じ桃色の髪を確認する。
まだ生きている。
ラズィは動こうとした。
その時、骸骨の視線がラズィに向けられた。
マズいと思った時には鉤爪が振り上げられていた。一本道であるため前に進むしかない。
「走れラズィ!!!」
遅れてきたレミィが叫ぶとラズィは駆け出した。後方からレミィの刀と鉤爪がぶつかり合う音が聞こえたが、振り返っている暇はない。
走っていると、骸骨の周囲に纏っていた靄が青い炎に変わった。
ラズィは顔を歪めた。炎の魔法で身を守り始めた。このままでは近づけない。喉元が遠いせいで、飛んでも届かない。
魔法を使って跳躍しようか悩んだが、自分の体内に残された魔力の量は少ない。あの魔法を使うので精一杯だっため、その選択肢は取れない。
「うわぁ!! あっちぃ! 熱いって! 死ぬわこんなん!!」
どうするべきか悩んでいると少年の叫び声が階下から聞こえた。どうやら元気らしい。
フッと鼻で笑うと、次いで至極色に煌めく斬撃が、骸骨の胴体に叩き込まれた。
巨体が傾ぎ壁に激突する。同時に炎の勢いも弱まった。
ラズィは気づく。骸骨の体が崩れ、喉元が目の前に来ていることに。
ここから飛び出せば届く。
「ありがとう、ゾディアック」
ラズィは小さく呟くと、転落防止柵を足場に跳躍、通路から飛び降りた。あとは一直線に喉元へ向かうだけだった。
だが、下から突如、骸骨の腕が出現した。
空中にいたラズィは避けることもできず体を掴まれる。
「ぐあっ!!」
巨大な骨の手で掴まれたラズィは声を上げる。この質量と力で握りしめられたら、紙屑のように丸められ潰されてしまう。
力が徐々に込められている。額に汗が浮かぶ。身をよじるがビクともしない。
「ラズィ!!」
ゾディアックの叫び声が聞こえた。だが、圧力のせいで意識が遠のき始めた。
打つ手なしかと、諦めの感情が瞳に浮かんでいた時、視界に赤い髪が飛び込んできた。
敵の攻撃をやり過ごしたレミィは、ラズィと同じ場所から飛び降り、思いっきり刀を振り下ろした。
「おぉおおおおお!!!」
気合の一振りは、手首を真っ二つに斬った。
力が緩まり拘束から解かれたラズィは意識を取り戻し、そのまま喉元へと落ちていく。
視界の隅に、落ちていくレミィが見える。
「あとは任せたぞ!!」
彼女はそう言って黒い靄に飲み込まれた。
ラズィは奥歯を噛むと、落下しながらナイフを逆手に持ち振り上げる。
そしてサンディを視認した直後、ラズィは靄に飲まれた。自由落下は免れたが、再度捕らわれてしまう。
骸骨が咆哮する。靄が青い炎に変わり、ラズィに襲い掛かる。
高温の炎に身を焼かれながらも、ラズィはナイフを離さず、もう片方の手を使い、前へ前へともがきながら進んでいく。
目の前に姉の手が見えた。
もう少しだ。姉を助ける。ただその一心で前に進んでいく。
顔が焼かれ、視界の半分が見えなくなった。
――構わなかった。
全身が焼かれようと、構わなかった。
死んでも家族を助けるんだ。
死んでも、守るんだ。
その思いが届くように、ラズィの手が、サンディの手を掴んだ。
ラズィは顔の半分を焼かれながらも、大声を上げながら力を振り絞り、サンディを手繰り寄せる。
次いで魔力をナイフに注ぎ、振り上げる。魔法は既に唱えてある。
狙うは、心臓。
「うぁああああああ!!!」
叫び声を上げる。
魔法は既に唱えてある。
”心を殺す”魔法を唱えてある。
ラズィは最愛の人に。この世で最も大切な存在の胸元に、ナイフを突き立てた。
世界が一瞬止まった。
全ての音がなくなったような、一瞬の静寂が流れる。
直後、骸骨の悲痛な悲鳴と、肥大化した大量の靄が、室内を埋め尽くした。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回もよろしくお願いします!!