第99話「マイシスター・"ガーディアン"・マイファミリー」
店内は3階まで吹き抜けになっている構造であったが、天井から吊るされたシャンデリアの照明は非常に強かった。
やかましいと表現できるほどの煌びやかな空間を目の当たりにし、少年は薄目になっていた。
「ガーディアンでもない、子供を連れてくるとはな」
獅子の顔をした獣人は鼻で笑った。少年が眉を上げて獅子を見据える。
「同じ獣人同士を鉢合わせれば、俺が戸惑うと思ったか?」
その視線がレミィに向けられる。
「半獣でも連れてくれば、俺に迷いが生まれるとでも?」
「……どれも違う。仲間だから、一緒に行こうと行ったから、連れてきたんだ」
ゾディアックはバーカウンターに近づきながら言った。3人はその背中に続く。
獅子は笑い声を上げた。
「まるで死神だな。ゾディアック。その仲間とやらが、この場で全員死ぬぞ」
「死なないさ。俺がいるからな」
ゾディアックは自分自身に驚いていた。初対面の相手に対し、流暢に喋れている自分に。
「お前は、変わらないなぁ」
急に、懐かしむような口調で獅子は言った。
「昔からそうだった。突拍子もないことをよく言って、無茶ばかりする。色んな連中を巻き込んで。けれど……争いが始まっても、お前が全部収めていた」
口元に笑みが浮かぶ。まるで友人と話しているかのような、穏やかな声色に、ゾディアックは足を止めてしまう。
「皆、お前の強さと人柄に惹かれて集まった。お前には華がある。妄信してしまうような香りが漂っているんだ。今だってそうだ。昔からずっと変わらない」
獅子の顔が歪む。鋭く尖った犬歯が口元からのぞいていた。鬣が逆立ち、眉間に皺を寄せる。
「なのに、なぜだ。どうして。どうしてだよ、ゾディアック。皆、お前を信じていた。なのに……”あの時”だって勝ったのに……お前はどうして”あんなこと”をした? お前の帰りを待っていた連中は、全員歪んでしまったぞ」
フゥ、フゥと、荒々しい呼吸を口の端から漏らした獅子は、殺意の籠る視線をゾディアックに向け続けていた。
話が見えないレミィはゾディアックに小声で話しかける。
「旧友なのか? 元パーティとか?」
ゾディアックは何も答えなかった。少年がゾディアックの腕を掴む。
「なんかよくわかんねぇけど、とりあえず謝ってみたら? 案外許してくれそうな気がすんだけど」
ゾディアックは頭を振った。口を閉じ続けるゾディアックを見て、獅子は興奮を抑えるようにため息をつく。
「怒っていても話が進まないな。何か飲むか?」
そう言ってカウンターに大きな手を置いた。
「トム!!」
黙っているゾディアックの前に、ラズィが立つ。
トムと呼ばれた獣人は顔をしかめた。
「ホーネット……いや、ラズィ。結局、裏切りの道を歩むのか?」
「先に裏切ったのはそっちでしょ。感動の再会なのかどうか知らないけど、私にとってはどうでもいいの。姉さんを返して。そしたらもう邪魔しない。あんたらで好きに戦っていればいいわ」
早口で言うとラズィは肩で呼吸をした。だが、トムは黙ったままだった。
相手の反応を見て、最悪の展開がラズィの頭の中に浮かび上がる。
「まさか」
唇を震わすラズィを見て、トムはふっと笑った。
「安心しろ。殺してはいない。これから使う”道具”を、捨てるわけないだろう」
「何を、言っているんだ」
トムは視線を切ると、しゃがんでカウンターの内側から何かを手に取った。
巨躯を誇るトムの身長は2メートル近くある。腕は丸太のように太く、自前の筋力で重たい物でも悠々と掲げることができるだろう。
そんなトムが手に持って、ラズィに見せつけるように持ち上げた。
ラズィは細くなっていた目を大きく見開いた。
「……姉さん……」
全身を包帯で巻かれたサンディが、そこにはいた。包帯を巻かれていない顔の半分と、そしてラズィと同じ桃色の頭髪が、包帯の隙間からのぞいているのを見て、ラズィは辛うじて判断した。
なんとも痛々しい姿だった。死んでいると言われても疑いもしない風体。枯れ木のような四肢、細いその体は包帯で巻かれていただけであった。
項を掴まれて持ち上げられている様は、さながら人形のようである。ラズィよりも低い身長のせいで、余計にそう見えてしまう。
服すら着ていないそれを見て、ラズィは口を開けて、顔が徐々に青ざめていく。レミィは奥歯を噛み、少年は息を呑んだ。
「ひ、ひでぇ……」
少年の呟きを聞いたトムは、大口を開けて笑った。
「酷い? 酷いものか。俺がここまで治したのだ」
開いた方の手でサンディの顔を掴む。目を閉じているサンディはなんの反応も示さない。顔色からは、生気がまったく感じられない。
「や、やめろ……やめて!! 姉さんを離して!!」
まるで物のように扱われる姉を見て、ラズィは悲痛な声を上げた。
「どうした、急に態度を変えて。今までの生意気な態度はどこに行ったんだ」
「お……お願いだから……姉さんに、酷いことしないで」
弱々しい声だった。その声は、唯一の肉親であるサンディが、ラズィにとってどれほど大切な存在であるかを物語っていた。
トムの鋭い視線がラズィを射抜く。
「残念だ。あともう少しで目覚めたのにな」
動揺が隠せないラズィはサンディに視線を向けたままだ。
「……俺を殺すというのは、そういうことだったんだな」
そう言うと、ゾディアックはラズィの隣に立った。
「トムだったか。お前の狙いは、俺なんだろう? なら、その子を離して、俺と戦えばいい」
ゾディアックは背中から大剣を抜き、構えた。巨大な切先がトムに向けられる。
「ゾディアック……」
ラズィは弱々しい声を出しながら隣に視線を向ける。不安気な表情を浮かべるラズィを見て、ゾディアックは下唇を噛んだ。
「……すまない。もっと早く、話を聞くべきだった」
こんな状況になっても味方だと信じているゾディアックに、ラズィは何も言えなくなり、心にあった微かな敵意も殺意も、消えていくのを感じた。
腰に差した夕陽を思わせる色をした鞘を持ち、刀の鍔に親指をかけたレミィが、ゾディアックの隣に立つ。
「すまんが見過ごすわけにはいかない。ゾディアックと戦うつもりなら、私も邪魔するぞ」
出遅れた少年が、ククリナイフを持ってラズィの隣に立つ。
「怪我人に対して優しくしない奴なんか、弱っちいに決まってるぜ。さっさとあいつ倒して、姉さんだっけ? 助けようよ」
少年はラズィを見ながら言った。
少年の純粋な言葉を聞いて、動揺していたラズィの目に火が灯る。
「……姉さんを、返してもらう」
一触即発の雰囲気が煌びやかな店内に広がった。
トムはため息をついた。
「残念だよ、ラズィ」
「っへ。人質いるからって、粋がってんじゃねぇぞ。どうせお前はその姉さんとやらを殺さねぇよ」
少年はナイフを向けた。
「正面切ってゾディアックと戦っても勝てないから、人質なんていう狡い手使おうとしてんだ。切り札を、みすみす捨てるような真似するもんか」
挑発するように言うとトムは笑った。
「その通りかもなぁ。だがな少年。君はひとつ間違っている」
「あ?」
「こいつは、”人質”じゃあない」
そう言い捨てるや否や、トムはサンディを放り投げた。レミィが驚きの声を上げる。
「姉さん!!」
ラズィが叫び、同時にゾディアックが駆け出そうとした。
瞬間。
店内の窓ガラスが割れ大きい音を立てて入口が開かれた。次いで外から、黒い液体状の影がゾディアックたちを避けるように動き、サンディに纏わりついていく。
液体は膨張しサンディを飲み込み、ついには見えなくさせた。
「な、なんだよこれ」
突然のことに少年が一歩後ろに下がる。
ゾディアックはカウンター席の奥で、悠々と酒を造ろうとしているトムを睨んだ。
「何をした!!」
叫ぶように聞いたが相手は答えなかった。視線を膨張を続ける液体に向ける。
液体は形を変え、巨大な何かへと変貌を遂げようとしていた。
液体が蒸発し、靄が発生した。煌びやかな店内を覆うようにそれは広がり、トムの姿もほとんど見えなくなった。
そして靄の中から、巨大な黒い骸骨が姿を見せた。
10メートルほどの大きさをしたそれは、全身骨だらけであり足元が若干透けていた。両手が三又に分かれた、鉤爪のような形をしている。
さらに、背中から骨と化した腕が生えていた。こちらは鉤爪ではなく、手は人の形をしていた。
腕を4本生やした異形の黒骸骨。巨大なモンスターが、サンディを媒介にして生まれた。
「ジャミング・ゴースト」
レミィはモンスターの名を呟いた。
ラズィはモンスターと化した姉の姿を見続けていた。まだ中で生きているのかどうか、まったく判断ができない。
絶望する中、ゾディアックがラズィの隣に立つ。
「生きている」
そして間髪入れずに言った。
「え?」
「彼女は、お姉さんは生きている。助け出そう」
ゾディアックは腰からナイフを取り、ラズィに手渡す。それは紛れもないラズィの武器だった。
「だから……手伝ってくれ。仲間を、頼ってくれ」
静かにそう告げた。
ナイフを見続けていたラズィの脳裏に、姉との思い出が蘇る。
★★★
「ねぇ、どうしてお姉ちゃんは、ガーディアンになろうと思ったの?」
「今更聞く? ガーディアンになってから半年近く経つけど」
「今だから聞くの。今までランク上げに必死だったし」
ラズィは言った。
「やっぱり、市民を守りたいから?」
サンディは唸った。
「違うかなぁ」
「じゃあ、お金を稼ぎたいから?」
「それはちょっとあるけど、本来の目的じゃないかなぁ」
「……じゃあ、なんで?」
「大層な理由じゃないよ。ただ――」
サンディは口元に笑みを浮かべて言った。
「ラズィを……家族を守りたいだけだよ」
それを聞いた時、ラズィは呆れてしまった。
「もっと欲出しなよ~」
「いいの! これで! そういうラズィは、どうしてガーディアンになったの?」
「ん~、私? 私はね――」
照れくさそうに、ラズィは言った。
★★★
「ただ……私は、家族を守りたいだけ……」
サンディの思いが、ラズィの口から零れ落ちた。
ラズィは差し出されたナイフを手に取る。誕生日の時、サンディがプレゼントしてくれた、大切な武器を手に取り、誰よりも前に立つ。
「同じだよ、お姉ちゃん。私も同じだよ……」
――そういうラズィは、どうしてガーディアンになったの?
「助けるからね」
――ん~、私? 私はね――
「私は、たったひとりのお姉ちゃんを守りたくて、ガーディアンになったんだ!!」
ラズィはナイフをモンスターに向け、叫ぶように言い放った。
「返してもらう! たったひとりの、私の家族を!!」
ラズィを中心に、4人全員が武器を構える。
同時に黒骸骨から叫ぶような唸り声が上がった。それは、サンディが苦しんでいるようであった。
決死の覚悟を決めたラズィが駆け出す。
刹那、黒骸骨が大きく腕を振り上げ、初撃を放った。
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