第98話「ハロー・"ゴールデンバー"・パーティ」
「お前、ラズィ・キルベル、なのか?」
折れた腕に対し、回復魔法を使おうとしていたレミィは疑問符を浮かべて言った。
「……だとしたら、なに?」
ラズィは感情をすべて殺したような瞳を向けた。レミィは頭を振る。
「雰囲気がかなり違ったからさ。服のせいかな」
「あなたも、雰囲気が違うわね。腰にあるのは刃物かしら。長包丁?」
レミィは誤魔化すように鼻で笑うと、ラズィの折れた腕を掴み回復魔法を発動した。淡い緑色の光が包み込み、赤みが退いていく。
「魔法まで使えるのね」
「昔、ちょっと齧っていてね」
「相当の間違いでしょう。あなた、ただの受付じゃないわね」
「そっちこそ、ただの魔術師じゃなさそうだ」
ふたりの視線が合わさる。先に視線を切ったのはレミィだった。腹の探り合いなどしている場合ではない。
レミィはゾディアックに視線を向ける。ゾディアックは獣人が走り去っていった方向を見据えていた。
「あいつがセントラルに乗り込んできた大馬鹿野郎だ」
「……だろうな」
「罠だぞ、ゾディアック。あいつの狙いがわからないが、ガーディアンを殺したいのは確かだ。最強と名高いお前が本当の標的なのかもしれない。馬鹿みたいに亜人街に行く必要はこれっぽちもない」
ゾディアックの視線がラズィに向けられる。
「まだ、あいつの味方なのか?」
兜の下に浮かんでいる表情は見えない。だが、声色から「味方であって欲しくない」と言っているようであった。
呆れたようにため息をつくと、ラズィは肩を竦めた。
「行くなら、私も連れて行って欲しいわ」
「……それは、なぜ」
「なぜ? 決まっているでしょう」
ラズィは自身の首元を指差した。
「あのクソ野郎に、痛い目見せてやりたいのよ」
ラズィは言った。今まではまったく違う声色と口調だったが、それがラズィの本音のように聞こえた。
ゾディアックは黙って頷きを返した。
★★★
外では黒い影が亜人たちを襲っていた。大半の亜人は身体能力を活かして逃げるか、家に立てこもるかのどちらかだった。
「きゃあ!」
踊り子をしているグレイス族の女性は、足がもつれて倒れてしまった。
誰もいない路上、自分の店までは数メートルもない。
倒れたまま振り向くと、ナイフを持った黒い影が迫ってきていた。
「い、いや!! 来ないで!!」
影は返答のかわりに、ナイフを掲げた。
女性は目を閉じて衝撃に備える。
「オラァアア!!」
荒々しい声と共に、狐顔のガネグ族の少年が、影の背中を蹴った。
突っ伏したその背中に、ククリナイフを突き立てる。
影は一瞬跳ね上がった後、黒い水となって消え失せた。
「お姉さん、大丈夫!?」
少年が焦った眼を向けた。
「君は」
見覚えのある少年を見ていると、金色の尾を揺らしながら、ジルガーが合流した。
「あぁ。よかった、無事やったんやな」
「ジルガーさん!!」
女性は嬉しそうな声を上げた。少年が助けた時よりも嬉しそうな顔をしている。
「チェ。なんだよ。オレが助けたのに」
「拗ねへんの。逃げてるのんはあんたひとり?」
ジルガーが聞くと、女性は頷いた。
「お店に何人か、後輩が」
「ほな入口を固めて、絶対にみんな動かへんようにしとって」
「……おい、ジルガー!!」
指示を飛ばしていたジルガーは少年の方を向いた。視線の先には、大勢の黒い影が迫ってきていた。
「さっきよりも多いじゃねぇかよ」
黒い波のように押し寄せてくる群衆を見て、少年は舌打ちした。
「ジルガー、そのお姉さん連れて逃げろ」
「なんかっこつけてんねん!」
「かっこつけてねぇよ!! ただ、オレよりジルガーがいた方がマシだろ! 囮になるからさ、早く行けよ!!」
言い争っているうちに、影が押し寄せてきた。
少年は覚悟を決めてククリナイフを構える。
「来い!!!」
迫り来る無数の短剣。少年は死を覚悟しながらも、目を閉じずに足を前に進めた。
刹那。
少年の目の前に、至極色の光を纏った、黒い影が差し込んだ。
影は手に持っていた巨大な大剣を振った。剣風が巻き起こり、次いで無数の黒い水が、地面や壁に飛び散るのが見えた。
「ゾ、ゾディアック!!」
少年は声を高くして言った。
ゾディアックは黙ったまま、敵に向かって剣を構える。
影たちはまるで恐れをなしたかのように、身を翻してどこかへ逃げ去っていった。
「はっ!! なんだよ、ざまぁみやがれ!!」
少年は落ちていた空き瓶を投げた。
ゾディアックは大剣を背負い、少年とジルガーに視線を向ける。
「無事、みたいだな。よかった」
「当たり前だろ、あんなのに負ける俺じゃねぇって」
少年が自分の胸をどんと叩いた。
ジルガーは警戒すような視線をゾディアックに向けている。
「あんた、この前の」
ゾディアックは軽く頭を下げた。
そこに、後を追っていたレミィとラズィが合流した。
「ゾディアックさんは、相変わらず走るの速いわね」
「本当だよ。ついて行くので精一杯だ。怪我人いんだからもっとゆっくり歩けよ」
レミィはゾディアックの肩を叩いた。
「……すまない」
「いいって」
レミィは少年を見た。
「やぁ。また会ったな、少年」
「セントラルのお姉さんじゃないか。なんであんたこんな所いんだよ」
少年はムッとした表情を浮かべた。
「危ないぞ、あんたみたいな美人、すぐにスカウトされまくるし」
レミィは方眉を上げて、次いで噴き出した。
「君、面白いな」
「はぁ!? 面白くねぇよ!」
「あははは」
「何笑ってんだよ」
「気にしないでくれ。そうだな。気をつけよう」
レミィの尻尾が立っていた。
入れ替わるようにゾディアックが少年に近づき膝を折る。
「……逃げるんだ。敵は俺たちに任せてくれ」
少年はゾディアックの兜の下に見える、灰色の青い瞳を見つめ、次いでラズィを見た。
魔術師の女性だということにはすぐに気がついた。だが、雰囲気がまるで違う。
「聞こえたかしら? ガーディアンでもない亜人は、邪魔だから家にこもっていて頂戴」
威圧するような言い方に、少年は目に角を立てる。
「なぁ、あんたらなんで亜人街に来た?」
「それは……」
「当ててやるよ。誰か探しに来たんだろ。ガーディアンがオレたちを助けに来るわけがない。たいていは人探しだ」
少年は腰に手を当てた。
「オレの嗅覚舐めんなよ。探し人いるなら、例え国中だろうと一瞬で見つけてやるぜ」
威張るように言う少年に、ゾディアックはふっと笑い、小さな頭に手を置いた。
「が、ガキ扱いすんなよ!!」
手を振り払われた。
ゾディアックは立ち上がり、ジルガーを見る。
「彼はこう言ってますが、引き取ってくれませんか? 戦いに連れていくには、あまりにも幼い」
ゾディアックのかわりにレミィが聞いた。ジルガーはため息をついた。
「坊」
「あん? なんだよ」
少年は振り向いた。
「行きたいんか? その人たちと」
「いや、それは」
「遊びちゃうねん。半端な気持ちで行くだけ足引っ張るだけや。やめとけ」
咎めるようにジルガーは言った。だが、少年は鼻をスンと鳴らす。
「オレはな、いつだって真剣だよ、ジルガー」
少年はぎらつく目をジルガーに向けて言った。
我が強い少年の性格を知っているジルガーは、苦笑いを浮かべるしかなかった。
★★★
屋上から視線を感じる。黒い影がずっと見下ろしているのだ。襲い掛からず、じっとゾディアックたちを見下ろしている。
周囲からも悲鳴が上がらなくなっていた。影たちが、自分たちの許に集まってきているのが、ゾディアックには感じ取れた。
「匂い消えそう。もう一回嗅がせてくれ」
鼻をすんすんと動かしていた少年はラズィを見た。ラズィは眉根を寄せた。
「……あんまりしたくないんだけど」
「恥ずかしがってる場合かよ」
「っち。煩いわね、このガキ」
ラズィは悪態をつきながら膝を折った。少年は詰め寄り、赤みが引かないラズィの首元に鼻を押し付けるほど近づけた。
単純だが、匂いを頼りに敵を探している最中だった。ラズィの首元はさきほどまで力ずよく握りしめられていた。その場所に残り香が残っていたため、少年とラズィはたびたびこの動作を行っている。
「腕の部分に匂いが残っていればなぁ。オレだってこんなことしたくねぇぜ」
「こっちのセリフよ」
「悪かったな。まさか魔法のせいで匂いまで消えるとは思わなかったんだよ」
レミィが腕を組んで言った。
「あなたの体臭がキツイんじゃないの?」
「あ?」
「半獣の方が臭そうだもの」
「……んだとこのアマ……」
ラズィとレミィが睨み合った。ゾディアックは早く目的地にたどり着くことを願った。ふたりの仲を取り持つほど、器用ではない。
「近い」
少年が駆け出した。3人もそれに続いた。
そして立ち止まる。目の前にあったのは、廃墟と化した酒場だった。外装は剝がれ、昔経営していた名残だろう看板だけが残っていた。
店の名前は「アミーカ」らしい。麦酒の絵も描かれていた。
焼け焦げたような色に染まっている。とてもじゃないが、経営しているようには見えない。
「ここにいる。すげぇ血の匂いとかもするけど。あと、これは、薬品か?」
ラズィは前に出て扉に手をかける。
その手の上に、黒い小手が覆い被さる。
「……俺が先に行く。何が待っているか、わからないだろ」
ラズィは言い返そうとしたが、渋々といった様子で手を離した。
ゾディアックは警戒しながら扉を開けた。開けた瞬間に攻撃が来ることはなかった。
中の光景を見て、4人は目を見開いた。
「なんだ、これ」
レミィが呆けたように言った。
外装からは想像もつかないほど、綺麗な酒場の風景が広がっていた。光沢を放つ床に、汚れひとつ見当たらない壁。
金を練り込んでことが、その輝きから見て取れた。
天井のシャンデリアは光り輝き、階下の景色をより一層眩しくしている。均等に並べられた丸テーブルも、椅子も、破損の痕すら見当たらない。
今日開店した高級店に紛れ込んでしまったような錯覚に陥り、レミィと少年は周囲を見渡した。
視線を一点に絞っていたのは、ゾディアックとラズィだった。ふたりは、カウンター席を見ていた。
バーカウンターだ。上等な材質で作られた木製のカウンター。後ろにはさまざまな銘柄が並ぶ酒瓶。
そして。
「いらっしゃい」
挑発的な笑みを浮かべる、ダークスーツに身を包んだトムがいた。
お読みいただき、ありがとうございます。
次回もよろしくお願いします。