お姉ちゃんスラッシュ!
「なぁんだ。せっかく隙を見せているのに戦わないの?」
頭を抱えてしゃがんでいたダーラが上目遣いでメルセデスの動きを見ていた。
メルセデスもダーラに見られていると気づいていた。
ダーラにしてみれば本気でぶつかる前のちょっとした駆け引きのつもりだったのだが、目の前の勇者はそれを見抜いたうえで戦いを忌避するように半歩引いた。
「キミは戦いたいのかい? どうしてもというのなら相手になるよ」
メルセデスが首を傾げながらおどけてみせるとダーラはしばらく「う~ん」と唸りながら悩んだ後で肩をすくめた。
「やめておくわ。なんだかそんな気分じゃなくなっちゃった」
「よかった。キミの相手をするのはスリルがありすぎて少し怖かったんだ」
「怖い? あなたが私を怖がっているようには見えなかったけど」
ダーラがメルセデスの内心を探るように目を眇めて睨むが、メルセデスは仮面のような微笑を浮かべたまま表情を動かさなかった。
「……ま、いいわ。何だかやる気が削がれちゃったし、もう帰ることにするわ」
「何のお構いもできずに申し訳ないね」
さすがに「ちょっとお茶でも」と気軽に誘える関係ではないのでメルセデスは引き止めなかった。
大魔王には自主的に帰っくれるというのなら、何も問題が起きていない今のうちにとっとと帰ってもらうのが一番望ましい結末だ。
「でも、このまま帰っちゃうのも味気ないわね。せっかく人間の領域に来たんだから手土産くらい欲しいわ」
顔には出さなかったが内心でホッとしていたメルセデスが再び緊張を大きくした。
「何をお望みで?」
渡せるものならばすぐにでも用意させようと希望を聞いたら、意外にもダーラは魔族領の統治者として当然の要求を突き付けて来た。
「ネギ君を返しなさい。あの子は我が魔族領の民。大魔王として我が国の臣民であるカモ・ネギの解放を求めます」
急に統治者としての顔を見せたダーラにメルセデスは戸惑った。
けれどメルセデスも次期侯爵家当主として政治に携わることが多々あるため、すぐに思考を切り替えることができた。
「私は別にかまわないのだけれど……」
それでもメルセデスは即答をしかねた。
「なに? 人間の国王の許可がいるとか? 勝手に拉致っておいて許可とかふざけたことを言うのは無しよ。それともやっぱり力づくで奪い返した方がいいのかしら?」
「いや、怒らないでくれ。そういうことじゃないんだ。正直言うと我が家には国王がどれだけゴネても聞き流すくらいの政治力が備わっているのでそこは問題ない」
「じゃあ何?」
「なんと言うか、その、あの子はほとんど生贄みたいな扱いでこっちに差し出された子だからね……」
「ん?」
なんだか言いにくそうにしているがダーラには何のことだか分からない。
「信じていた同族に裏切られたことがまだ幼いあの子にはかなりショックだったようで、あの子はもう魔族領には戻りたくないって言ってるんだよ。ゴツいミノタウロスに力づくで簀巻きにされた時の恐怖のシーンを今でも夢に見るらしくて、泣きながら目を覚まして、ここが人間領だと分かるとホッとするらしい」
「トラウマになっているのね……痛ましい話だわ」
自分の本能に忠実であることを美徳とする魔族ゆえにダーラには他人の命なんてそれほど価値があるものと見做してはいないのだけれど、他人の痛みを思いやるくらいの心の奥行きは持っている。
「今のあの子のメンタルを考えると、少なくとも今はこっちで生活させた方が良さそうだ。私の弟とはすごく気が合うようで毎日楽しそうに遊んでいるし。帰りたくなったらいつでも帰っていいよとは本人にも伝えてあるんだけどね」
「なるほど。そういう状態なのね……じゃあこのままのほうがあの子にとってはいいのかしら。あの子の父親はこれから厳罰に処してやるつもりだからちょっと生活が厳しくなりそうだものね」
「では、本人が帰りたいときに帰るという感じで良いかい? 決して無理に拘束したりしないと、あの子を預かっているバーグマン家次期当主として約束しよう」
「そうね、それでいいわ。一応ネギ君には私と話が付いたことだけは伝えておいてくれる?」
「了解だ」
メルセデスはこれで話がようやく終わったと内心で一息ついたが、ダーラの話は終わらなかった。
「と、ところで勇者。あなた前回の侵略時に召喚士の仲間を連れて来なかった?」
ダーラは大魔王らしくずっと太々しい態度でメルセデスと相対していたのに、ころっと一転してモジモジしながら妙な事を聞いてきた。
「召喚士……思い当たるのは一人だけだが」
嫌な予感を覚えたメルセデスの顔から表情がスンッと抜け落ちる。
ロメオがまるで沈没前の船から逃げ出すネズミのように敏感に何かを察してメルセデスの背後からスッと離れた。
「やっぱり知っていたわね! 私その者の名前を知りたいの! よければ何処の誰なのかも教えてくれると嬉しいわ! 彼はどこに住んでいるのかしら!?」
一方のダーラはメルセデスの様子が変わったことも気が付かないくらいにテンションが上がっていた。
「それを知ってどうする?」
メルセデスの声がグンと低くなっている。
「ん? どうして急に殺気を纏い始めたのよ怖いわね。あぁ、勘違いしないで勇者、私は別にその召喚士を害そうなんては思ってないわ。むしろ仲良くなりたいの。えへへへ」
テレテレに照れた表情を見せるダーラにメルセデスは、
「必殺『お姉ちゃんスラッシュ』!」
「ちょっ! あ、危ないわね! なんで急に攻撃してくるの!?」
ダーラの目にも捉えられないほどの剣速で水平に振り抜かれたメルセデスの斬撃をダーラはぎりっぎりのタイミングで仰け反って躱した。
斬撃の余波を受けたダーラの背後の草原がまるでチャーハンを作っている鍋のお米のようにひっくり返って畑二十枚分の荒地が一瞬で出来上がっていた。
その惨状を見てダーラが顔を引きつらせる。
「あ、あなた、私と戦いたくないって言いながら、なんてえげつない攻撃してくるの!?」
これほどの威力を持つ斬撃を直接食らったらさすがのダーラでも一撃で再起不能になるところだった。
「誰であろうと私の大切な弟と仲良くなんてさせない。特にそんな発情期を迎えたメス猫みたいな顔をした女なんかを弟に近寄らせたりするものか」
「弟なの!? あの気の抜けるようなポヤポヤ系の子が!? いきなり斬撃をブチ込んでくるあなたとはかなり性格違うわよ!? てか、誰が発情期を迎えたメス猫よ!?」
「お姉ちゃんスラッシュ!」
「のわああぁぁ!」
今度は大地をぱっくりと割る縦の斬撃。
高速に近いその斬撃をダーラは人間には不可能な反射速度の横回避でなんとか避けた。
「こっちがまだ話をしているのに攻撃とか容赦ないわね! 最高にムカつくわ!」
ここ数十年の間感じたことのない本気の怒りで顔を歪ませながらダーラは下ろしていたフランベルジュを上げかけて……ダーラはふと思った。
『この女を殺したらあの召喚士怒る? 怒るよね、姉だし。人間は家族を殺したらすごく怒るからなぁ……別に怒るのいいけど、嫌われたりするのは嫌だなぁ……』
ダーラが迷っている間にもメルセデスは細かい斬撃を数千単位で送り続け、ダーラは合金よりも堅い空気の防御幕を無限の玉ねぎのように何重にも発生させ続けて対応。
互いに攻撃しあえばほぼ互角の実力者同士だけれど、ダーラは一切の攻撃を捨てて防御に専念しているので考え事をするだけの余裕はあった。
『この勇者って実の弟に尋常ではない執着を持っているみたいね。なんだか面倒な相手。そもそも勇者って時点で私にとって邪魔な存在なのよ。歴史的に見てもいずれは始末しなきゃならない相手なんだし』
ダーラは悩んだ。
『この勇者を殺しても召喚士の子に嫌われない方法ってあるかしら? ……そうだ!』
ダーラの決断は早かった。
『この勇者と対戦するとしたら、きっちりと『大魔王VS勇者』の舞台を整えてやりあいましょう。勝っても負けても納得のいく公正な場でしっかりと勇者の息の根を止めて、戦後に勇者の墓前で召喚士の肩を支えながら「人類と魔族の争いは無くならないけれど、せめて私たちだけでも仲良くしましょう。そうでないと平和を望みながら死んでいったお姉さんが悲しむわ」みたいな陳腐な慰めを言いながら、空に浮かんだこいつの半透明の笑顔を見上げる。……と、まぁ、そんな感じであの召喚士をカタにハメましょうか。そういう駆け引きに慣れてなさそうだから簡単に掛かりそうよね』
ニヤッと邪悪な笑みを浮かべたダーラは段々と深く食い込んでくるようになった剣撃から退きながら背後にワーブポータルを出現させて居城に帰還することにした。
ダーラがワープに逃げ込もうとしたのを見てメルセデスが叫ぶ。
「待てぇ! その首置いていけ邪悪なメス猫めぇー!」
血の涙を流さんばかりに歯を食いしばって剣を振り続けるメルセデスの気迫にダーラは本気で恐れ戦く。
「怖っ! あんたのほうがよっぽど邪悪に見えるわよ! バーカ! ブース!」
そんな捨て台詞を残してダーラは居城に帰って行った。
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