ちょいと連れション行くか
バーグマン家が侯爵の爵位を賜っているクルルッツォ王国。
その国王には子供が一人だけしかいない。
それが王女アルフラウル・クルルッツォ。
イーノックより二つ年上の十七歳。
彼女の母親であるアトリアス王妃はクール系美人で、王女も母親と同じくせの強い青銀色の髪と明るいエメラルドグリーンの瞳をしている。
本来なら美姫と評判になりそうなパーツを受け継いでいるのに、内向的で常に受け身なアルフラウル姫には王妃のようなキツメな目力が無いのでどこかぼやけた印象を周囲に与えてしまっていた。
人に指示されることに慣れきってしまっている彼女は自分で決断することを極端に恐れているため、自発的に何かを始めることは滅多にない。
そんな滅多にない『例外』が今回の旅の中で発生し、彼女は自発的に意思を貫き通す場面があった。
そして、とても困った状況に追い込まれていた。
母親譲りの癖っ毛が今や水に濡れてペッタンコになり、服もぐしょ濡れでスカートを失い、下半身はガーターベルトとストッキング、そしてパンツだけ。
そんなセンシティブな恰好で王女は川岸を川上に向かってトボトボと歩いていた。
「どうしましょう。困ったわ、困ったわ、助けを呼ぶべきかしら」
王女がそんな状況に追い込まれたのはもちろん暴走メイド・ナタリアのせいで、その発端となったのは王女が乗っている箱馬車という構造上の欠陥に依る。
今より三十分ほど前。
「ねぇインジャパン。馬車を止めて」
珍しく、本当に珍しく、王女が馬車を止めるよう命じた。
どこか切羽詰まった様子の王女の顔にメイド長のインジャパンは不穏な空気を感じ取った。
「えっ!? まさかバーグマン家に行くのをお取りやめにするのですか?」
「いえ、行先はこのままで。ただちょっとだけ馬車を止めて、少しだけ外に出たいの」
「馬車の振動で酔いましたか?」
王女はこれまでに何度もこの馬車に乗っていてそれで酔ったことなどなかったし、バーグマン領に入ってからは道の状態が格段に良くなっているので、むしろ快適な乗り心地なはずなのだが。
「酔ってはいないわ。とにかく一度止めて。……その、お手洗いに行きたいの」
言葉を濁していたらその分だけ時間が掛かると判断した王女は素直に自分の状況を伝えた。
「お手洗いですか。それならちゃんとここに用意してありますよ?」
インジャパンは不思議そうな顔で座席の下から排便用の壺を取り出してみせた。
箱馬車の致命的欠陥。それは排便施設が『壺』ということである。
普通の乗合馬車なら二、三時間程度で一度のペースで休憩があり、その場で便意を解消するものだけれど、高貴な身分の者が乗る箱馬車は警備上の観点から基本的には出発地点から目的地までノンストップで走り続け、その間の尿意などは座席の下に収納してある壺で済まして、中のモノは目的地に着いた後にメイドが片付ける。そういう仕組みになっている。
「それが嫌なの。そんなの使うなんて恥ずかしくて死んじゃいそう」
揺れている馬車の中で同性とはいえ同乗者がいる中でパンツを下ろして壺に跨って用を足す。
それを年頃の少女にやらせるのはいろんな意味で難易度が高い。
「私は姫様のおむつを何度となく交換していますので、今更恥ずかしがられても……」
「あ、姫様、なんなら私が壺を持って支えてますよ。おまかせあれー!」
「絶対イヤ! それより早く馬車を止めて! もう本当に大変なの!」
王女は自分の尊厳を守るために半泣き半ギレ状態で強引に馬車を止めさせると、道沿いに見えていた川辺に向かってスカートをたくし上げて走って行った。
「王女たる者があんなにも必死になって走るなんて……」
インジャパンは嘆息しながら首を振る。
そんな彼女にローズは肩をすくめてみせた。
「王女らしく優雅に歩きながら、しめやかにお漏らしすればいいと? 無茶を言いますね」
ローズ隊長は王女の去って行った方を見ているだけで追いかけはしなかった。
ナタリアは不思議そうに訊いた。
「隊長は護衛につかなくて良かったんです? 川辺にモンスターとかいたら怖いですよ」
「ここはもうバーグマン侯爵領だ。あの家の長女『戦姫メルセデス』がとうの昔に領内のモンスターを殲滅しているし、彼女が指揮する『ヒヨコ騎士団』が領内警備を執拗なくらいに密にしているせいで賊もいない。国内でここ以上に安全な場所は無いくらいだ。用を足すくらいの間くらい離れていても大丈夫だ」
「ふぇ~、モンスターを殲滅! でも、そんなに安全だとここの冒険者ギルドは暇そうですね」
ローズとナタリアが立ち話をしていると、周りが若い女性騎士ばかりで肩身が狭かった中年ウェーズリーが話に加わってきた。
「俺が聞いた話ではバーグマン領にある冒険者ギルドでは戦闘力が必要な依頼なんてここ数年一度も無いらしいな。その代わり鉱山関係の力仕事が山ほどあるらしい」
「平和なんですねぇ」
「知り合いの冒険者は剣を鋳つぶしてツルハシに作り替えたと言っていたな。他の奴らも同じで、おかげで生活が安定して家庭を持った奴がごろごろいるぞ」
「そぉいや、おじさんがベリーさんと結婚できたのは冒険者辞めたからだって聞いたことあるかも」
思いがけず自分の事に話を持っていかれたウェーズリーは照れながら頬を掻いた。
「ま、まぁな。ベリーに求婚したとき、ギャンブルはしないことと、冒険者を辞めて定職に就くことを約束させられた。冒険者やっているといつ死んでもおかしくないし、収入も安定しない。仕事で家を空けることも多いから離婚率がハンパねえから、結婚相手を見つけるにはこれほど不向きな職はねぇ」
話の半ばあたりからローズが鬼のような表情でペッペッと地面にツバを吐き散らしていた。
「ところでウェーズリー殿、休憩中とはいえ所定の位置から離れてくれては困る。早々に戻られよ」
ローズがまるで家の庭に迷い込んできた猫を追い払うかのようにシッシとウェーズリーを遠ざけようとするのでウェーズリーは困り顔で肩をすくめた。
「いやまぁ、隊長の言うことは分かるんだけどよ。若い女騎士の中にいるとやたらと視線は感じるのに全く話しかけてはこないってゆー、なんかこう、おじさんにはちょっと居心地が悪いっていうか……」
「自分から話しかければ良かろう。あの子らは自分から男性に話しかけるのが恥ずかしいのだ」
「恥ずかしい?」
「私もそうだったから分かるのだが、あの子らは騎士になることを目指して幼少のうちから剣術修行に没頭していた。その反動で普通の女子よりも男に対する免疫が極端に少ない。ここは男の方から歩み寄ってやるべきところだろう」
「そんなことを言われても俺だってどう話しかけていいか分からないんだが」
「チッ、妻帯者のくせになにを純情ぶっているのだ。私は知っているぞ、妻帯者なんてちょっと目を離せば浮気しまくる生き物だとな。どうせオマエも普段から女に声を掛けまくっているんだろうが!」
妻帯者に対するローズの偏見がもの凄い。誰か彼女を止めて。
「無茶言うな。恥ずかしながら俺はそんな器用じゃねぇんだ。商売女相手ならいくらでもいけるがよ、一般人相手に声を掛けるのは苦手なんだ。一目ぼれしたベリーと最初に交わした会話なんて「ねぇちゃん、いい乳してんな。揉ませろよ」「死ね、クズ野郎」だったくらいだぜ?」
「おじさん、よくその始まりから結婚までもっていけたね」
「あぁ、すげー頑張った」
「頑張りでなんとかなるものなのか?」
ローズが疑わしそうな目をウェーズリーに向けているが、本当になんとかなってしまったのだからしょうがない。
「それはともかく、こちらから声を掛けるのは勘弁願いたい。一緒にいるのが男の騎士だったらこういう隙間時間にでも「ちょいと連れション行くか」ってな感じで声を掛けやすいんだがなぁ」
「連れション?」
「お嬢は知らないか? まぁ女の子だもんな。ちっと下品な話になるが、連れションてぇのは並んで放尿することだ。ガキの頃だとどっちが遠くまで飛ばせるかって競い合いになったりもする。隣り合ってすることで妙な連帯感みたいのを感じて仲良くなれたりするわけだ」
「元々仲良しだともっと仲良くなれる感じ?」
「そうだな。これを経験しておくと、大人になってからそいつと再会したときにはガキの頃の思い出話としてちょくちょく話題に上るな。酒を飲みながら「あの頃は~」みたいな感じで」
「へぇ、いいですねそれ」
「あははは。いいですねって言われてもこればっかりは男にしかできな「あたし、今から姫様と連れションしてくるー!」ってオイ!? なに言ってんだお嬢!? って行くな、止まれぇー!!」
思い立った瞬間に走り出したナタリア。
ナタリアを止めようとしたウェーズリーの手はギリで届かない。
猟犬のような加速で一直線に王女が向かった方へとナタリアは猛ダッシュ!
「姫様ぁー私もご一緒しますー! 連れションしましょー!」
「え!? ちょ、何で!? どうして来ちゃうのよ!?」
黙っていればよかったのに思わず声を上げてしまった王女。
声がした川辺の方にクルンと向き直ったナタリアが満面の笑みを浮かべる。
「あ、そこにいたんですね! 今そっちに行きます!」
「や、ダメ! 来ないで! 見ないで! って、なんで来るのよぉー!?」
その直後、ダポォーン! と大きな水音。
「あ、姫様が川に落ちちゃった」
「何てことをやらかしてんだお嬢ぉー!?」
ウェーズリーは今回の任務で寿命が十年は縮んだ気がした。
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