ウェーズリー殿はもうご結婚されているんですか?
「すみませんねウチのお嬢の察しが悪くて。俺が今じっくり言い聞かせましたんで」
ウェーズリーは王女たちの会話に勝手な解釈をしてナタリアに説明したのだが、彼らが真逆の受け止め方をしていることに王女たちは気付いていない。
「あ、はい。分かってくれたのならそれでいいのです。ねぇナタリア。くれぐれも、くれぐれも、勇者様に手出しすることは禁止ですからね」
「了解です! (これが噂の『押すなよ!? 絶対押すなよ?!』というヤツですね! お任せください姫様。ご期待に応えてみせますとも!)」
ナタリアが決意を新たにしていたら馬車の扉がノックされた。
「姫様、お話がお済みでしたらそろそろどちらに向かうかご指示を下さい」
「あらローズ。どちらって何のことかしら」
「目的だったナタリアの捕獲が完了しましたので、これからどちらに向かって馬車を進めるか指示をお願いします。このまま進路を変えずにバーグマン家の領主館を訪問するのか、それとも今回の訪問を見送って王都に帰るかです」
「それで? 私たちはどちらに向かえば良いのかしら」
「は? あ、いや、それを姫様に決めて頂きたくてお伺いしているのですが」
とたんに王女の眉間に皴が寄った。
「決める? 私が? ローズは前に頼りにしてもいいって言ってくれたじゃない。だからこれからは全部あなたに決めてもらいたいのだけれど?」
王女の発言を隣で聞いていたインジャパンは思わず息を呑んだ。
部下とはいえ意思決定権を他人に預ける危険性を王女は理解していない。
国王が危惧していた王女の危うさがとうとう表面化し始めている。
「待ってください姫様。確かに頼ってくださいとは言いましたが、それは作戦行動中に起きた想定外の事態への対処を求められたからです。作戦が終了した後にまで武官の私に意見を求められても困ります。バーグマン家への訪問は政治的な意図も絡んできますので姫様ご自身で決めて頂きませんと……」
ローズが武官として模範的な返答をしたことにインジャパンは胸を撫で下ろす。
もしローズが野心家だったら今の一言をもって王女を自分の操り人形にすることだって出来たのだ。
そんな危険性があったことも気づかずにアルフラウル姫はまるで高い木に上ったけれど突然はしごを外されてしまって降りれなくなった子供のように絶望した顔で青褪めている。
「そんな……。じゃあ私は誰を頼ればいいの? 誰が私に指示を出してくれるの?」
親を見失った幼子のような目で王女に見つめられたローズは困り顔をしながら何かを言いかけたがハッと思い直して動きを止め、ゆっくりと数拍の間を置いて決然と言い切った。
「そのような顔をされても私からは何も言えません。武官の私がここで意見を言うのは越権行為に当たります。ですので姫様がこの件について意見を求められるとするなら、それは文官かご自身の配偶者に限られます」
王女は泣きそうな顔で隣のインジャパンに目を移すものの、インジャパンも首を横に振る。
「私も文官ではありませんよ姫様。私は姫様の身の回りのお世話をするため王家に雇われた使用人に過ぎず、国家に雇用されている役人ではありませんので。そして今回の随行員の中に文官はおりません。文官が必要になる想定は無かったものですから」
「そんな……」
王女はオロオロと他の寄る辺を探して身の周りを探すけれど、狭い馬車の中にいるのは他家の騎士団長をしているおっさんと、今回の騒動を作り出した張本人であるナタリアだけ。
途方に暮れている王女を見かねたインジャパンは彼女の震える手を上から握って落ち着かせた。
「姫様。今の私は文官ではありませんが一時期は姫様に礼儀・行儀作法を教える講師の役を頂いておりました」
「え、ええ。そうね。それが何か」
「ですので、礼儀作法の元師匠が元弟子に指導するという形で言わせて頂きます。いいですか? あくまでも『礼儀作法』に関しての指導ですので、このような助言は今回限りだと思って下さい」
インジャパンが越権行為ギリギリのところを攻めてきた。
本人も危ない橋を渡っている自覚があるので今回限りだと念押ししている。
「姫様は王都を出発する際にバーグマン家に対して事前に訪問の知らせを出しています。一刻も早くナタリアを確保するためにバーグマン家からの返事も返事を待たずにこうして出てきましたが、この行為は失礼・無礼にあたります。それなのにこのタイミングでまた一方的に訪問を取りやめて王都に戻るようではバーグマン家に対して失礼を重ねることになります。しかも今回の訪問は婚約が内定してから初めてのご訪問。今後姫様にとって義理の姉妹になる方たちの心象をこれ以上悪くしないためには――……」
インジャパンはわざとそこで言葉を切って王女の口から『回答』が出てくるように誘導した。
「つまり、バーグマン家を訪問するのが正解なのね!?」
ようやく行動の指針らしきものを聞けたローズは王女が言葉を濁さないうちにすかさず部下たちに命令を下した。
「皆、方針が決まったぞ。バーグマン侯爵家公邸に向かう。馬首を侯爵領に向けよ! ここからなら夕方になる前にアイアンリバーの街に着くだろう。一騎先行して宿の手配をしておくように! ところでウェーズリー殿、まだ未婚であられる姫様の馬車に男性がいつまでも同乗されているのは都合が悪い。こちらで馬を用意するのでそれに乗ってもらえるだろうか」
「あぁ、わかった」
ウェーズリーが『やれやれ、やっと俺の仕事が終わった』みたいな空気を滲ませさながら馬車を降りると、馬車に残っているナタリアが慌ててその背中に声をかけた。
「おじさん! 勝手にウチに帰ったらダメだからね。私の護衛はまだ続行中だから!」
「あ~ん? 王女様の親衛隊がいるんだからもうお嬢個人に護衛なんかいらないだろ」
「やぁ~だぁ~。父さんに超過勤務手当出すように言っておくから最後まで付き合ってぇ~」
「チッ、先に言っておくが倍の報酬を要求するからな!」
「ぼったくりすぎ!」
「当然の請求だ! 俺の人生で一番やばかったのは闘士熊との遭遇だったが、今回はそれ以上にやばいのに遭ったんだから危険手当三倍でも足りねぇくらいだぞ!」
ウェーズリーは闘士熊に出会ったときは必死になって逃げたが、シャズナに殺意をぶつけられた時にはポッキリ心が折れて逃げる気にもなれなかった。
それほどの恐怖体験だった。
「あ、うん、そうだね。それは認める。ごめん」
ナタリアは聖女モードのシャズナに心酔しているものの、大悪魔モードの彼女の怖さも実際に体感しているのでウェーズリーの言い分は素直に納得できた。
「あと、自分だけ助かろうとしたのもごめんなさい」
ウェーズリーにはいつもわがまましか言わないナタリアが珍しく謝罪の言葉を口にしたので驚いたウェーズリーが思わず振り返ったが、大きな音を立てて馬車の扉が閉まる瞬間しか見えなかった。
その後、親衛隊から借りた馬に鞍をつけていたら、なぜかローズがすぐ側まで来て彼の横顔をガン見しながらブツブツと何やら独り言をつぶやき始めた。
(顔は……まぁ普通か。伯爵家の騎士団長という地位に就いているなら収入に問題はないだろう。歳はおそらく私とそんなに離れていない。あのナタリアが懐いていることからかなりのお人よしなのだろうが、冷酷な男より千倍はマシだな)
「あの……何か?」
最初は気づかないふりをしていたウェーズリーだが、ローズがあまりにも無遠慮に見ているのでたまらず声をかけた。
「ウェーズリー殿はもうご結婚されているんですか?」
「は? えぇまぁ。私には勿体ないくらいに可愛い妻がいますけど、それが何か?」
「かぁーっ、ペッ!」
ウェーズリーが妻帯者だと判明したとたんローズは鬼のような形相になり、痰を吐いて去って行った。
「……なんなんだ、あの女」
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