ふふふ……。なんだか泣きたい気分なのに笑えてきたのはなぜかしら
王女御一行が突然夜中に出ていくことを知ったオロローム伯爵家はひどく狼狽えた。
王女様に何か失礼なことでもしてしまったのかと顔面蒼白にして謝罪に来た伯爵家の人々に対して、不満もないし他意もないと説明して宥めるのに少し手間取って出発が遅れたものの、昼を少し過ぎた頃にはバーグマン領との領境が見えるところまで進むことができた。
「む? あれは……」
王女が乗る馬車に並んで馬を進めていたローズが進行方向からやってくる馬車を見つけて目を凝らした。
屋根も幌も無いほとんど荷車のような乗合馬車に乗っている客は二人だけ。
一人は冒険者風のくたびれた中年おやじで、もう一人は見覚えのあるメイド服を着こんだ少女だった。
「姫様、こっちに向かってくる馬車にナタリアが乗っています」
「ナタリアが!? 本当にナタリアなの!?」
王女は思わず馬車の中で腰を浮かしかけたが貴人用の箱馬車は中から前方が見えるような作りにはなっていないので外にいるローズからの実況だけが頼りだ。
「まだ声が届くほど近くはありませんが、あの特徴的なデザインのメイド服は間違いありません。そもそも王城支給のメイド服で乗合馬車に乗るような人物なんて他にいるとは思えません」
「確かにそうね。郊外を往く乗合馬車にメイド服で乗る子なんてナタリアぐらいしか思い当たらないわ」
ナタリアの破天荒ぶりに改めて気が重くなって王女は馬車の中で項垂れた。
同乗しているインジャパンも頭を抱えている。
「姫様、ナタリアがこのタイミングでこちらに帰還している途中だということは、目的を達成したか、もしくは失敗したかのどちらかだと思われます」
「どちらにしても『事後』なのはこれで確定ね……。今の時点でもうあの子から話を聞くのが怖いわ」
馬車の中が葬儀場のような雰囲気に落ち込んだのとは真逆に、王女の馬車に気が付いたナタリアは乗合馬車から飛び降りて満面の笑顔で手を振りながら子犬のように走ってきた。
ナタリアが何をやらかしたのか事情聴取するために彼女の護衛として同行していたウェーズリーも王女が乗る馬車に招待(拉致)された。
「すみませんねウェーズリーさん。なんだか無理に同席させてしまったみたいで」
インジャパンが申し訳なさそうに頭を下げるが『みたいで』も何も無理に同席させたのだ。
ナタリアが王女の馬車に乗り込んだのを見届けたウェーズリーがようやく肩の荷が下りた晴れやかな表情で「じゃ、俺の仕事はここまでって事で」と一人で別行動しようとしたのをインジャパンは素早く王女の親衛隊で取り囲ませて馬車まで連行させたのだ。
「いいえ、こちらこそ王女様と同席できる栄誉に望外の喜びでありますでございます」
本当なら馬車を壊してしまうくらい暴れたいところだが相手は貴族どころか王族だ。理不尽な仕打ちに湧き上がるムカつきをグッとこらえて頭を下げるしかない。
馴染みのオロローム伯爵が相手ならタメで話せるのだが王女相手に失礼な言い回しはマズイと思いウェーズリーは話し方を改めたのだけれど、舌を噛みそうでどうにも窮屈だ。
そんな彼の様子に王女はクスリと笑みを漏らす。
「無理に畏まった喋り方をしなくていいですよ。私はむしろ冒険者の方がどのような話し方をなされるのか興味があります」
「え、いいんですかい?」
王女の横に座るメイド長に目を向けると彼女も微笑みながら頷いた。
「よろしいですよ。姫様もそれを望んでおられるようですし」
「じゃあお言葉に甘えさせてもらいます」
「ええ、そうしてください。そうじゃないとナタリアと共に何をやらかしてきたのかを話し難いでしょうからね」
微笑んでいるメイドの目が全然笑っていなかった。
「あ、あははは……。できれば本人に聞いてくださいませんかね、俺ぁもうこれ以上この件に深入りしたくはないんで」
「ではナタリアに訊くことにしますが、彼女の説明に何か間違いがあったら指摘してください。それくらいの協力ならできるでしょう?」
「えぇ、まぁ……」
「じゃあナタリアに喋ってもらいましょうか。まずはどのようなことをやろうとしてバーグマン領に入ったのか、その目的から聞きましょうか」
「了解ですインジャパン様!」
それから長く長くナタリアの主観による擬音交じりの分かりにくい説明が続いて、話が進むほどに王女とメイド長の顔から血の気が引いていくことになった。
「――それでですね、あの街の夜を取り仕切っている元締めって人が実はヘタレ勇者のお姉さんのシャズナ・バーグマン様でした!」
「ねぇナタリア。あなたはどうしてそうピンポイントでやらかしてくれるの?」
気弱でいつも一歩引いた発言しかしない王女が思わず素の表情でナタリアに詰問した。
「あなたたちがやろうとしていた計画だと勇者様の身内って一番知られてはマズイ人よね……。ふふっ、ふふふ……。なんだか泣きたい気分なのに笑えてきたのはなぜかしら」
なんかもう王女の目が死んでいる。
「姫様、お気を確かに! ナタリア、それは確かな話なのですか。シャズナ・バーグマンといえば『聖女』の二つ名で親しまれている聖職者ですよ。数年後には教会初の女教皇に就任するんじゃないかと噂されているくらい高潔な人物がなぜ夜の街の元締めに?」
インジャパンの反応を横目で見つつウェーズリーは腕の表面に浮いたサブイボをそっとさすった。
『あの姉ちゃんすげぇな。よくもまぁ自分の本性とは真逆のイメージをここまで拡散できるもんだ。あの懺悔室で初めて会ったときには死と憎悪のオーラを体中から滲ませていたくせに、俺たちが敵でないと判断したとたん清らかな乙女の顔に切り替わりやがった。変わりっぷり凄すぎて思わずゲロ吐きそうになっちまったぜ』
ウェーズリーはまだこの時点では気づいていないが、昨夜のシャズナとの出会いが心的外傷になっていた。そのせいで悪夢 化したシャズナがたびたび彼の夢に出てくるようになってウェーズリーは軽度の睡眠障害に悩まされることになる。
ウェーズリーにはシャズナが大悪魔にしか見えなかった一方で、わりと単純な脳構造をしているナタリアは変貌したシャズナの外面と耳当たりの良い話術ににコロッと騙されて、別れ際にはすっかり心酔していた。
「シャズナ様は言っていました。親のいない孤児は、大きくなって孤児院を出た後にそういう仕事に就く人も少なくないみたいで、今までの聖職者は理想論? とか言うばかりで実際に何もしてなかったところをシャズナ様は現実を受け入れて、そこで働く女性を否定せずに適切な保護と管理するようにしたって」
「あぁ、なるほど。さすがは聖女様。社会的弱者に現実的で持続可能な救済を実行しておられるのですね。目の付け所が違います」
「はいっ! とってもすごい人です!」
『いやいや絶対それは建前だ。あの女の目的は地下組織の掌握と金集めに決まってんだろ』
ウェーズリーは心の中で反論したがもちろん口には出さない。命が惜しいから。
『てゆーか、お嬢は初っ端にあの女の本性を見ているくせにどうして見え見えな上っ面に騙されるんだ? バカなのか? あ、バカだったわ』
ウェーズリーはナタリアの単純さに呆れているが実はナタリアだってそこまであれな子じゃない。
ナタリアは良くも悪くも直情本能型で、ウェーズリーが嘘だと決めつけているシャズナの弱者救済が嘘ではなく本気の活動だと見抜いていた。
ただ、ウェーズリーが勘繰ったような目的もシャズナは本気でやっているのでどちらかが嘘というわけではないのだが……。
面白かった!と思われましたら、ブクマ・評価をお願いします!
 




