そして万が一の事態になったら身を挺して私が逃げる時間を稼いでね!
ウェーズリーがホール係に案内されるままに狭くて薄暗い廊下を進む。
彼の後ろについてくるナタリアが不気味なくらい大人しい。
ナタリアがまだおしめをしている頃から知っているウェーズリーでさえこんなナタリアは今まで見たことがない。
こんなに怖がっているのだからナタリアだけ先に帰らせようかとも思ったが、これから面会する元締めはなぜかナタリアにも同席を求めた。
ナタリアが同席を拒否してし逃げ出さないように二人の背後には厳つい顔をした用心棒風の男がついてきていた。
「オーナー。二人を連れて来ましました」
「おう、入れ」
重そうな分厚い木材の扉を開けて部屋の中に案内されると、そこには頭部が猫で身体が大猿という姿の魔族がイライラしながら爪を噛んでいた。
『おい、おいおいおい。なんだこりゃ!? なんで娼館なんかに下級悪魔がいるんだよ!?』
悪魔がいたとしてもせいぜい淫魔程度だろうとふんでいたウェーズリーだが完全に読みを外してしまった。
下級悪魔。
下級とついているが悪魔であることには変わりなく、人間の数倍の身体能力を持っている。魔力や魔法抵抗力は人間の上級魔術師並はあるので、冒険者のランクに当てはめるとしたらS級には届かないもののA級の上位に入る実力を持つ。
もしこの悪魔が二人に襲い掛かってきたら、最盛期を過ぎているウェーズリーではとうてい敵わない。決死の覚悟で戦ってもナタリアを逃がす時間すら稼げるかどうかという実力差だ。
『いや、あわてるな俺。べつに戦いに来たわけじゃない。最初の予定通りに仕事の依頼をして折り合いがつかなければ縁がなかったということでお別れすれば良いだけのことだ』
数々の修羅場を潜り抜けてきた経験でウェーズリーはすぐにここでの勝利条件を『交渉成立』から『生還する』に切り替えた。
「わざわざ時間を取ってもらってすまないねぇ元締め。先ほど案内してくれた姉ちゃんには伝えたが、俺はあんたらに仕事を頼みたくて「うるさい、勝手に喋るな糞虫が」」
さっきからずっとイライラした様子を見せていた下級悪魔がずっと齧っていた爪を噛み切って吠えた。
「バカ! この方はこの店のオーナーだ。ここら一帯を仕切る元締めじゃないよ! で、あんたらを連れて来いって仰った元締めはこの奥にいらっしゃる」
ここまで案内してくれた女性の店員がオーナー室の奥にある扉を指した。
チッ! とオーナーが舌打ちをする。
「てめえが持ち込んだ仕事の話を聞いて元締め様の機嫌が一瞬でドン底まで落ちた。横にいた俺の寿命が百年ほど縮んだぞこの野郎」
オーナーはイライラしながら顎をしゃくってウェーズリーたちに奥の扉へ付いてくるようにうながした。
『どういうことだ。下級悪魔がこんなにビビリちらすなんて。まさかこの奥には上位悪魔が!?』
ウェーズリーが恐怖に足を竦ませて一歩も進めないでいると、上着の裾をクイッと引かれるのを感じて振り返った。
ナタリアが眉尻を跳ね上げた表情で見上げていた。
「しっかりして、気持ちで負けちゃダメよ!」
「お嬢……」
「勇気を出して堂々と言いたいことを言えばいいの! そして万が一の事態になったら身を挺して私が逃げる時間を稼いでね! ベリーさんにはちゃんと遺族年金が渡るよう手配しておくわ!」
「……」
ナタリアの励ましで折れかけていた心が復活し、直後の言葉でポッキリ折れた。
ウェーズリーは項垂れて目頭を覆う。
『どうしてこの小娘はいちいち俺のやる気を削いでくるんだろう? バカなのか?(自問) あ、バカだったわ(自答)』
「どっちも逃がすわけないだろ。早く行け」
二人の後ろにいる厳つい顔の用心棒がウェーズリーの背中を拳で小突いた。
奥の部屋の前で二人を待っていたオーナーが緊張感を滲ませながら三回ノックをする。
「姐さん、先ほどの依頼をした野郎とその連れが来ました。通してもよろしいでしょうか」
まるでドアボーイのような恭しさでお伺いをたてると、扉の向こうからは意外にも若い女性の声が返ってきた。
「かまわないわ」
オーナーは静かに扉を開ける。そしてすぐに体を引いて壁際に寄り、ウェーズリーたちに『入れ』と手を振り子のように左右に振って急がせた。その素振りには『俺は絶対おまえらの巻き添えになんかなりたくねぇからな!』という強い意志を感じられた。
『それほど怖いのかよ!?』
完全にビビりが入っているウェーズリーは今からでも逃亡しようかと真剣に考えたが、すでに出口は塞がれている。完全に袋のネズミ状態だ。
『もうここまで来たら逃げられねぇな』
ウェーズリーたちは覚悟を決めて『懺悔室』のプレートが掛かった部屋に入室した。




