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ある少年を君たちのような美女の魅力でメロメロにして欲しい。そういう仕事だ

 ウェーズリーは魔鉱石のランプが煌々と燈る怪しい酒場通りを歩いている。


 紫や桃色の魔鉱石ランプが醸し出す扇情的な光景に興奮したナタリアがまるで躾のなっていない駄犬のようにフラフラと脇道に逸れようとするので、ウェーズリーはナタリアが迷子にならないようしっかりと襟の後ろを掴んでいる。


 落ち着きのないメイド服姿の少女とくたびれた冒険者風の中年男の取り合わせがいかにも奇妙で、普段ならうっとおしいほど取りすがってくる客引きの男たちでさえ苦笑いの視線を送るばかりで誘ってこない。


「どこまで足を引っ張ってくれるんだこのはた迷惑なお嬢はよぉ……」


 ウェーズリーは空いているもう一方の手で顔を覆って項垂れる。


 正直言えば今すぐにでも放り出したいところだが、さすがに雇い主の娘をこんなことろに放置するわけにはいかない。


 景気の良いバーグマン侯爵領の商都だけあってアイアンリバーの歓楽街は規模が大きくて、行きかう人の数は多く、店の規模も大小様々だ。


 ナタリアを引きずりながら短くない距離を歩いたウェーズリーは少しだけ道を戻って、これまでに見た店の中でも一番人の出入りが多くて間口の広い店に入ることにした。


 間口が広ければ逃げやすく、人が多いということは安心できる店だということだからだ。

 自分一人ならそこまで気にする必要もないけれど、ナタリアがいる以上できる限りの警戒はしなければならない。

 店内に入ると中はいい感じに混んでいて、粗野な男の汗臭さと鼻腔をくすぐる甘い香水の匂いが充満していて、その中には蜂蜜のようにねっとりとした淫靡さも混じっていた。


 良かった。ここはアタリだ。


 ウェーズリーは内心でホッとした。


 安全性の高い店は『お健全』すぎて『売り』をする女がいない場合が多い。


 そういう酒場で飲むのも悪くはないけれど、今回は言葉の駆け引きだけの恋愛ごっこに興じているような『売りなし』の酒場女には用はない。


 今回の目的はがっつり『売り』をやっている『魔性の女』に勇者を堕落させる仕事を依頼することだ。


 男と女の欲望が絡みつく場所に初めて足を踏み入れたことに緊張しているのかナタリアは店に入った途端に大人しくなった。


 まるで怯えているかのように静かになったナタリアと入口付近の席について改めて店内を見回すと、ちょうど一組の男女が互いの腰に手を回して二階への階段を上がって行くところだった。


 おそらく上の階が『そういう部屋』なのだろう。


「お客さん、なにしに来たんだい?」


 席に着いたウェーズリーたちのところに胸元がぱっくり開いた際どい服のホール係のお姉さんが迷惑そうな顔を隠しもせずにやってきて開口一番に聞いてきた。


「ここはそんな子供を連れて来るような店じゃないってわかるだろ?」


「すまんな。商売の邪魔をするつもりで来てるんじゃねぇ。ちぃっと頼みたい仕事があって来させてもらった」


「仕事?」


「ある少年を君たちのような美女の魅力でメロメロにして欲しい。そういう仕事だ」


「へぇ……。誰かからの紹介状でもあるのかい?」


「いや、生憎とこの街に伝手がなくて手探り状態だ。一見(いちげん)お断りなら言ってくれ。他をあたる」


 迷惑そうだった顔から面倒そうな顔に変わったホール係の女性は少し考えてから訊いた。


「ちなみにその少年ってどこの誰のことだい?」


 ウェーズリーが指をちょいちょいと動かして、顔を寄せたホール係の女性に小声でイーノックの名を告げると、彼女はハッと目を見開いた。


「私が判断して良いことじゃなさそうだね。上に聞いてくるよ」


 そう言って店の奥に消えたホール係の女性を黙って見ていたナタリアは自分自身を抱くように胸の前で腕を交差させて小さく震えた。


「な、なんだか今まで経験したことのない怖さを感じるわ。あのお姉さんがっていうより、この店全体が……なんだか『魔窟(まくつ)』って感じがする」


 珍しく気弱なことを言うナタリアを目にして、なんだか気分の良くなったウェーズリーは大人の余裕を見せつけるようにニヤニヤと悪い顔で笑った。


「ふははっ魔窟か。確かにこんな店は慣れてないとそういうふうに思えるかもな」


「違うよ。違う」


「あ? 何が違う」


「こういう店っていうのはどういう店を指して言っているのか何となくわかるけど、この店の怖さってそれとは違うの。この店だけが異様で、この店だけが異質なの」


 ぞくりとウェーズリーの背中に寒気が降りた。


 ナタリアは行動や言動がおかしい娘だが、妙に勘が良くて普通では考えられないような幸運を引き寄せていることをウェーズリーは知っている。


 そんなナタリアがここまで怯えるなんて、はっきり言って異常だ。


「どういうことだ?」


「わかんない。でもなんだか嫌な予感がする。特にね、あのお姉さんが向かった店の奥から悪意とか狂気とかがぎゅっと凝縮したような何かを感じるわ。ねぇ、逃げたほうが良くない? すごく嫌な予感がする」


「悪意と狂気ねぇ……。店の用心棒として悪魔でも飼っているのかもしれねぇな。褒められたことじゃないが、そういう店もたまにあるからな」


 元冒険者のウェーズリーは何も感じなかったが、勘の良い者はたまに悪魔の存在を本能的に察知する場合がある。


 その場合ちょうどナタリアがしているような反応をするのだ。


「ま、大丈夫だろう。娼館で飼われている悪魔はたいてい淫魔でそれほど攻撃力は高くねぇ。俺一人でも十分対処できるから安心していいぜ」


 店の奥にいるモノが何なのか大体の察しをつけたウェーズリーが安全を保障したタイミングで、先ほどのホール係が戻ってきた。


「元締めが直接話を聞いて下さるそうだよ。くれぐれも失礼のないようにしな」

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