ふふっ、絶望しかないこんな世界なんて滅んでしまえばいいんだ。いや、むしろ私が滅ぼしてやる……
シャズナがレッドカーペット子爵と密議を終えて自宅に帰ってくると、屋敷の内門にバーグマン家の私兵であるヒヨコ騎士団の団員たちが集結していた。
「あら、どうしたのかしら」
重そうな甲冑を着込んだ騎士たちが玄関前の前庭にひしめいているのでシャズナは庭の外周をぐるっと回り込んで正面玄関に向かった。
「おや、シャズナ。今日は帰りが遅かったんだね」
玄関扉の前で副官と何やら話をしていたメルセデスがシャズナを見つけて緩い笑顔を向けてきた。
「えぇ、予想外の嬉しい出会いがあってついつい話し込んじゃったの。それよりもこれどうしたの? 見た感じほとんどの騎士団員を呼び集めているみたいだけど。そんなに強力な魔物でも出たのかしら? それとも魔獣大発生?」
「ははっ、強力な魔物なんてバーグマン領に入ってくるはずがないさ。強い魔物ほどロッティの存在を敏感に嗅ぎとって逃げていくんだから。スタンピードだって私が向かえば一瞬でかたがつくよ」
「そうよねぇ、だからこそ全く見当がつかないわ。これから何が始まるの?」
「実は突然のことで私も戸惑っているのだけれど、これからちょっと王都に攻め入って母上と王女の首を刎ねてこようかと思っているんだ」
「ふ~ん、お母様と王女の首を刎ねに王都へねぇ…………って、どういうこと!? 何があったのよ!? あ、よく見たら姉さんの目のハイライトが無くなってる!! 何、何があったの!?」
どんな時でも沈着冷静な姉が密かにブチギレしていることに気づいたシャズナは姉の肩をガッシリと掴んで揺さぶった。
「ふふっ、絶望しかないこんな世界なんて滅んでしまえばいいんだ。いや、むしろ私が滅ぼしてやる……」
いつだって爽やかさ100%だったメルセデスがすっかり闇落ちしている。焦点の合わない目で宙を見つめて呪言を吐くほどだから事態は深刻だ。
「ロ、ロメオ、ロメオォー! 出てきて説明してぇー! 姉さんに何があったのー!?」
いつもなら家族をドン引きさせるのはシャズナのほうなのに、いざ自分がドン引きする側にまわるとプチパニックになって人目も憚らずに大声で女執事のロメオを呼んだ。
シャズナが呼ぶ声に応えてロメオが急ぎ足で屋敷の中から出てきた。
「お帰りなさいませシャズナ様。無駄な説明は省きます。先ほど王都に滞在中のパネー様からイーノック様宛にこの手紙が届きました。お嬢様がキレたのはこの手紙を読んだからです」
そう言って渡された手紙を見てシャズナは眉を寄せた。
彼女の手の中にはビリビリに破られた手紙を修復した紙片が握られている。
べつにイーノック宛の手紙をメルセデスが勝手に読んだことを不審に思ったわけではない。イーノック宛の通信を検閲するのは姉として当然の権利であり、むしろ義務だとすら思っている。
シャズナが不審に思ったのはこの手紙が細切れに破かれていたことだ。
おそらくロメオが修復したのだろう。ちゃんと文字が読めるくらいに直されてはいるが、メルセデスがこんな無作法をした意味が分からないし、この状態の手紙をイーノックに渡すのは少しだけ気が引ける。
「お母様ったら、いったい何を書いたのかしら」
シャズナは継ぎ接ぎだらけの手紙を読み始めた。
「……え? お母様が国王様と直接交渉? は? 王女の婿にイーノックを推した? え、ちょっ、何して…………へぇ~、もうほとんど決まりなのね。後は二人の顔合わせと元老院の承認だけ? ふぅ~ん……」
手紙を最後まで読んだシャズナはすべての感情が抜け落ちたような無表情になって、手紙を紙吹雪くらい細かく破って空に撒いた。
「あぁぁ~二十分かけて修復したのに……」
空に舞い上がってゆく紙片を見上げながらロメオが悲しそうに肩を落としていたが、今のシャズナにはロメオを気遣う余裕はない。
「姉さん、王都に行くなら私も一緒に行くわ。仲間外れにするのもかわいそうだからロッティも連れて行ってあげましょう。あの子に王家が滅亡する喜劇を見せてあげたいわ。劇の幕間にお母様がどんな最期を迎えるのかも見どころね」
「それは良い考えだ。眠っているロッティが目覚めるまであと二日ほどかかるけど、目覚めた後に私たちだけで歌劇を楽しんでいたと知ったら拗ねてしまうだろうからな」
まるで小旅行にでも行くような気軽さで二人は国家を滅ぼそうとしている。
「ロメオ、そういう事だから寝ているロッティを魔力拡散装置ごと荷馬車に積み込んでくれ。四半刻後には出発したいから急ぎで頼むよ」
ロメオは諾々と頭を下げるしかなかった。弟ラブな二人を怒らせてしまったせいで滅ぼされる王族たちがちょっとかわいそうだったけど、二人を止めようとして己の命を散らすような愚を犯すロメオではない。
ロメオがいそいそと屋敷の中に消えたのと入れ替わるようなタイミングで二人のもとに早馬が到着した。
早馬に乗っていた使者はバーグマン家の門内に私兵が集められているのを見てギョッとしたが、気を持ち直して「王女殿下からの私信である。通されよ!」と声を上げて乗馬したまま門内に分け入ってきた。
「王女……だと?」
光の消えていたメルセデスの瞳にギラリと剣呑な炎が灯り、
「あら、油断ならないわね。王女がもう何か手を打ってきたのかしら」
シャズナの体からはドス黒い殺意がゆらゆらと立ち上り始めた。
一方その頃、バーグマン公邸から徒歩で半刻ほど離れた野原――、
「主様はバカなの!? なんでサキュバスのボクを前衛に配置するんだよ! どう考えてもおかしいよ!」
「しょうがないだろ! 召喚士の俺が前衛に立つわけにはいかないし、俺の従魔はおまえしかいないんだから!」
実戦経験ゼロの勇者イーノックはいつか冒険者デビューできることを信じて、唯一の従魔であるサキュバスのネギと二人でギャイギャイと言い争いながら陣形訓練(という冒険者ごっこ遊び)をしていた。
「大丈夫だって! ネギは数日とはいえ魔王になってたくらいだからイケるイケる!」
「イケるわけあるかー! ボクは魔王という名の生贄にされていただけだよ!」
イーノックが王女の婚約者候補になったことから始まった今回の騒動は様々な者たちの思惑が混ざり合って、バチバチと火花を散らすほど緊張感が高まっているのに、肝心の当事者であるイーノックは周囲の変化に全く気付くことなく普段と変わらない日常を過ごしていた。




