ヘタレ勇者しか姫様とこの国の未来を守れる人はいないんだから!
「よかったですね姫様。なんとか最悪の事態は避けられそうで」
王女のお世話をするために側に残ったメイド長のインジャパンが紅茶を注ぎながら彼女に労りの言葉を述べた。
「えぇ、ほっとしたわ。今朝までずっと気が気でなかったもの」
今後の計画が決まったことで心労が薄れたのか王女の顔にようやく生気が戻ってきている。
「でも姫様、本当にナタリアを止めてもいいんですか?」
インジャパンは淹れたての紅茶を置きながら王女に聞くと、王女は彼女の質問の意図が分からなくて少し首をかしげた。
「いえ、他意はありませんよ。ただ私が思うに、このままナタリアのしたいようにさせておけば民衆の中で笑い者にされている『最弱勇者』との婚約を結ばずに済むんですから、あえて放っておくのも選択肢としてはアリかと」
「ダメ!」
普段はあまり強い言葉を使わないアルフラウル姫が珍しくきっぱりと否定した。
「え!? 姫様自身がこの婚約を望んでいるんですか? もしかしてすでに勇者様と面識があって想いを交わされているとか? なにか秘めたロマンスとかあるんですか!?」
噂話(特に恋愛関係)が大好物なインジャパンは目を爛々と輝かせて食いついてきた。
「いいえ。あの方は侯爵家の子息ですから夜会で何度か儀礼的挨拶を受けたことはありますけど、顔の輪郭も目鼻立ちも朧げなくらいにしか覚えていません。勇者様とはその程度の交流です」
「へ? じゃあ……」
「国王であるお父様が決めたことだから私は彼を婚約者として受け入れる。それだけです」
「国王様の命令だからですか……。でも、それでは姫様のお気持ちが……」
インジャパンに憐憫の目を向けられて王女は困り顔になった。
「あなたもナタリアと同じ誤解をしているわね。あなたたちは私の境遇が不憫だと思っているようだけど、私はこの婚約話に不満はないのよ」
「そうなのですか?」
「えぇ。だってお父様は私に誰が一番良い相手なのかを真剣に考えて、そして勇者イーノック様を選んだんですもの。彼と結婚することが正しいことなんだわ。だから私はそれでいい。ううん、それがいいの」
インジャパンは王女の言葉に不可思議な気持ち悪さを覚えた。
まるで初めて馬車に乗って酔ってしまった時のような気持ち悪さだ。
なんだろう?
インジャパンは心の内で自問した。
今の姫様の言葉は何かが変だった。
でも何がどう変だった?
どこで私はそれを感じた?
しばらくの沈黙を経てインジャパンはあっと気が付いた。
「姫様。さっき姫様は仮の婚約者ではありますが彼のことを『それ』と呼びましたね? 言葉の選び方があまりにもおかしいじゃありませんか。いずれ成婚すれば夫婦の関係になる相手に対して使う言葉ではないように思えます」
「あら、そうだった? 無意識に言葉になってでちゃったのね。気が付かなかったわ」
「姫様は本当に彼に対して欠片も興味がないようですね。それなのに国王様に命じられたから結婚する? そしてそれに全く不満がない?」
「えぇ、白状すると彼自身には全く興味が惹かれないわね。自分でも不思議なくらいよ」
困ったふうに苦笑いをする王女を見てインジャパンは背中に薄っすらと冷たい汗をかいた。
「あの、失礼なことをお聞きしても良いでしょうか?」
「なにかしら?」
「姫様、大丈夫ですか? 無理をしすぎて、我慢をしすぎて、気づかないうちに心が病んでませんか? 辛かったら辛いって打ち明けて下さっていいんですよ?」
「まぁ、インジャパンにまで勘違いされたら困るわ。私は本当に今回の件は嫌じゃないの。確かに婚約者の方には興味も関心もないけれど、お父様が私にお命じになったことをきちんとこなす『良い子』でいられることが何よりも嬉しいの。本当に、本当に、嬉しいのよ」
王女の立場を思えばこんなセリフを吐き出すときに全てを諦めた表情か、逆に強がった表情でもしていれば自然に受け止められるのに、王女はなぜかうっとり恍惚とした表情をしていたのでインジャパンはひどい違和感を覚えた。
「『良い子』……ですか?」
「忘れたの? インジャパンが私のお作法の先生だったときに何度も教えてくれたでしょ。「あなたは王女なのですから誰よりも『良い子』でなくちゃいけませんよ」って」
「あぁ、そんな頃もありましたね」
「それで私が『良い子』って何? って聞いたら「お父上であられる国王様はもちろん、王妃様や他の先生がたの言いつけにきちんと従う子が『良い子』です」って教えてくれたでしょ? それから私はずっと良い子でいるの」
「私が教えたのは十年以上も前の話ですが、まさかあれからずっと?」
「もちろんよ。だって私が良い子でいればみんなが褒めてくれるもの。それにね、あれから一度も叱られたことがないのよ。ずっと良い子でいたから。うふふふ」
ちょっと得意そうになって微笑む王女の無垢な笑顔に、インジャパンは例えようのない恐怖? 気持ち悪さ? みたいなのを感じて二の腕にゾワゾワッと粟粒のような鳥肌が立った。
『なんてこと、なんてこと、なんてこと!? 私が躾をしていた幼女の頃から王女の中身がほとんど成長していない!? なまじ『良い子』だったから今まで誰も気づいていなかったけれど、これってかなり危ない状態なのでは!?』
思い返してみると、つい先ほどもナタリア対策を決めなければいけない場面で自分から何かを決断することはしなかった。案を出してもオロオロとするばかりで、結局ローズが最善策だと推した案にすがりついた。
きっと誰かの指示に従ってばかりいたために、自分で何かを自発的に行う積極性や何かを選択する決断力を獲得しないまま成長してしまったのだろう。
こんな極端な性格に育ってしまったのが一般人ならまだそれほど大きな害にはならないだろうけれど、アルフラウル姫はこの国の王女で現国王の唯一の子であることが問題だ。
インジャパンは背筋を駆け上る悪寒にブルブルと身体が震えた。
もし王女の婚約者になる人がとんでもない野心家だったら?
現国王はまだ若くて早々には世代交代はないだろうが、どんな命令でも嬉々として従う姫様を利用して国政を牛耳る可能性も出てくる。自分の親族を国政の要職に据えて現国王を引きずり落とすことも不可能ではない。
婚約者の一族によって他の大貴族が要職を追われでもしたら大貴族たちからの反発は必至。大規模な内乱に発展するだろう。
そんなことになったらこの国は魔族に攻められるより先に人間同士の醜い権力闘争で滅んでしまう。
そこまで考えたインジャパンはハッと気づいた。
もしや国王様は姫様の心の欠落を十分に理解しているからこそ野心の「や」の字もなさそうなヘタレ勇者を婚約者にあてた!?
さっきまではヘタレ勇者を娘の婚約者に選んだ国王に対してなんて愚かな判断をしたのかと憤っていたインジャパンだったが、まるで世界が反転したかのように国王の判断がこの上ない英断だったと気が付いた。
野心も覇気も無い若い貴族なんてあの勇者以外でもいっぱいいる。けれど、そんな有象無象が姫様の伴侶になると、別の野心家が言葉巧みにすり寄ってきて姫様もろとも操ることだろう。
しかしあの勇者イーノックの場合は違う。
彼自身が民衆にも嗤われるほどのヘタレでも彼には人知を超えた能力を持つ姉たちがいる。
抜刀だけで山をも斬る人類最強の『戦姫メルセデス』。
驚異の人心掌握術で教会のみならず政財界にも多くの信者を持つ『聖女シャズナ』。
魔族すら恐怖する戦略級人間兵器『魔女ロッティ』。
もし野心剥き出しの愚か者が王女の婚約者になったイーノックを侮って自分の都合のいいように操ろうとしたり、舐めて恫喝しようとしたりすれば必ずあの三姉妹から制裁が加えられる。きっと死よりもむごい苦痛を味わうことになるだろう。
『あぁ、だから国王様は彼を姫様の婚約者に選ばれたのですね……』
身に沁みるように得心がいったインジャパンは国王の深慮遠謀に感心し、同時に今回の婚約話がご破算になった場合を考えてゾッとした。
姫様の婚約者はあのヘタレ勇者以外にあり得ない。そうじゃないと国が亡ぶ。
ダメよナタリア、絶対に余計なことはしないで!
ヘタレ勇者しか姫様とこの国の未来を守れる人はいないんだから!
インジャパンが心の中で叫んだ願いは、ここにいないナタリアに聞こえるはずもなかった。




