ソーセージにしたらいいんじゃないかしら
魔族領遠征から帰って来てイーノックはいつも通りの生活に戻っていた。
つまり、これまで通りにやるべきことも仕事もなく姉たちにかまい倒されて甘やかされる毎日だ。
もちろんイーノック自身はそんな自堕落な生活なんて求めていない。
イーノックは魔族領の遠征から帰って来たのを契機に今度こそ過保護な姉たちから離れて自立しようと決意したのだ。
決意した日の夕食後――、
「姉さんたち聞いてくれ、俺、冒険者になりたいんだ!」
リビングでまったりと過ごしていた姉たちにイーノックは意を決して打ち明けると、長女のメルセデスはひどく悲しそうな顔をした。
「イーノックが冒険者になるのは私に一度でも勝つことができたら、という約束だったはずだが? イーノックはお姉ちゃんとの約束を反故にする気なのかい?」
メルセデスが本当に悲しそうに目を伏せたのでイーノックはものすごく悪いことをしているような気になった。
「え、えっと、じゃあ町に出て働きたい! 普通の仕事ならいいよね!?」
すると今度は次女のシャズナが物憂げにため息をついた。
「それは別の意味で危険だわ。お外に働きに出てイーノックに惚れちゃう女がいたらどうするの? 後始末するのが面倒だからやめてね」
「……後始末?」
なんだか不穏な言葉が聞こえた気がしたけれど、そこを突くと余計な深みに嵌りそうな予感がしてイーノックは本能的にこの会話を切り上げた。
「えーっと……つまりね、俺はもう十五だし、そろそろ自立した大人になりたいんだ。だから家を出ようかと思ってる」
今度はイーノックの膝の上に乗っているロッティが天井を見上げるように顔を上げて、心配そうに眉を八の字に下げた。
「次の家ってロッティが一緒に住んでも大丈夫? ウチみたいに魔力耐性強化したお家じゃないとロッティの魔力に焙られてすぐに大きなキャンプファイヤーになっちゃうよ?」
ロッティは当たり前のようにイーノックと一緒に住むことを前提とした心配をした。
家を出るのは別に止めないけれど、そこには当然自分も行くというスタイルだ。
事実としてロッティをイーノックから離そうとすれば前回の魔王討伐の発端になった災害級の魔力暴発をやらかすのが目に見えているので、世界平和のためにもイーノックがロッティと離れて暮らすのはまずい。
「あ、うん。そのへんはちゃんと気を付けて物件探しをしよう思ってる。ともかく、このままじゃ俺は何もできないダメな大人になるから。そういうのは避けたいんだ。将来のためにも自立して生活できるくらい稼げるようになりたい!」
いつもなら姉たちにすんなり丸め込まれるイーノックだけれど、今回の魔王領侵攻で思うことがあったらしく珍しく食い下がった。
「なんだ、そんなことを気にしていたのか。相変わらず可愛らしいことを考えるね。でもイーノックが無理して稼げるようにならなくても別に良いんだぞ。心配しなくてもバーグマン家次期当主である私が一生面倒見てやるさ。イーノックはずっとお姉ちゃんの側にいるだけでいいんだよ」
メルセデスはハンサムな笑顔でにっこり微笑んでイーノックの独り立ちを拒んだ。
「家を出たいのなら別荘くらい私が用意してあげるわよ。政権中枢に工作出来る程度の資金は動かせるようになったから個人の家を買うくらいのお金はすぐ出せるわ。でも、そうね。せっかくなら新築にしましょう。一度入ったら二度と外に出られないように檻のある家で、外からは誰も覗くことのできない窓のない家にしましょう。きっと素敵な生活になるわ。うふふふ」
清貧を説く宗教関係者であるはずのシャズナがシスター服に包まれた巨大な胸を揺らしながら怪しく微笑む。
シャズナが望む家の理想像が非常に怪しいものだったけれど、イーノックは『人の好みはいろいろだよな』と自分に言い聞かせて深く考えないようにした。
「ロッティね、魔王領にお出かけしたとき新しい魔法作ったよ。その名も『もうダメ我慢できないから出しちゃうねピュッピュ砲』。これなら魔物を真っ黒な炭にしないで殺せるからちゃんと死骸が残るよ。だから魔物の素材は取り放題。お金稼ぐの超簡単。ロッティがいるかぎりお兄ちゃんに貧乏させない。お兄ちゃんは何もしなくていい」
イーノックは二人の姉に続いて妹にまで労働を否定されてもう何も言えなくなった。
そんなイーノックたちのやりとりを後ろで控えながら聞いていた元魔王で現従魔のネギがしれっと会話に加わってきた。
「主様、お姉さんたちが養ってくれるのになんで自分で働いて稼ぐことにこだわっているのかな? ボクなら、やったー働かなくていいんだーって、すごい喜んじゃうよ? うらやましいなー」
種族が淫魔のネギは廃退した生活に嫌悪感は無いようで、むしろ憧れすら抱いているようだ。
「ネギ、それはあまりにも将来を考えてなさすぎる。俺だっていつかは誰かと結婚して家庭を持つ日が来ると思う。そんな時になって『俺、稼ぎがありません』って状態だったらどうする。そんな甲斐性のない俺のままだと大切なお嫁さんに逃げられちゃうじゃないか」
イーノックが不用意に言った『嫁』の一言に三姉妹の表情がピシリと凍り付いたがイーノックたちは気づいていない。
「大切なお嫁さん? ははぁん、もしかして主様は最近ウチに顔を出すようになった肉屋の娘が気になってるんだね?」
「なっ!?」
イーノックは一瞬で顔を赤くして慌てたが三姉妹はそれどころではない。顔の表情だけでなく息まで止めて彼女たちは体を強張らせた。
「主様は魔力完全耐性があるのにそっち方面じゃまったく耐性できてないんだよ。ボク見てたけど、たまたま厨房にお肉の納品に来てたあの子に「訓練お疲れ様です。剣を振ってる姿がかっこよかったですよ」って声をかけられただけだよね? それなのにもう結婚まで考えて……ぷぷーっ(嘲笑)いまどき子供でもそこまでピュアじゃないんだよ。ぷぷぷーっ」
「う、うるさい。そんなんじゃないから!」
イーノックがネギにからかわれてわちゃわちゃしている後ろで、息を吹き返した姉たちがハイライトが消えた目で静かに密議を始めていた。
「ロメオ。いるね?」
「はっ」
メルセデスが呟いた言葉に反応してスッと姿を現した女執事ロメオ。
バーグマン家の執事として働いているこの女性はメルセデスのことが好きすぎることで有名だ。元はメルセデスのことを暗殺しに来たアサシンだったとの噂があるが真偽のほどは本人たちしか知らない。
「ロメオ、何をすべきか言わなくてもわかるね」
「はっ、当該肉屋との取引を本日限りで停止します。娘のほうはいかがしましょう」
「とりあえず「ソーセージにしたらいいんじゃないかしら」って、私の指示に割り込むなシャズナ。今はまだそこまでしなくていい。商売上の取引がなくなればその泥棒猫はウチに入って来なくなるはずさ。それでしばらくは様子見だ」
「あら、姉さんは甘いわねぇ」
「お前が過激すぎるんだシャズナ。ロメオ、念のため他の納入業者にも若い娘をウチに来させないよう改めて通達を出すように」
「はっ」
イーノックがネギとわちゃわちゃ言い合いをしている間にイーノックと肉屋の娘の再会の可能性が消えた。
姉二人がイーノックの囲い込み強化をしている間、ロッティは一言も口を挟まなかった。
イーノックの膝の上に乗っているから距離的に姉たちの会話に加われなかったのもあるけれど、ロッティ自身が兄が自分じゃない誰かと結婚してもいいんじゃないかと考えていた。
もっとも、それにはある条件を飲んでもらうことを必須とした承認である。
ロッティは異常なくらい膨大な魔力を持って生まれた。
その体質のせいか生活リズムも常人とは違っていて一週間のうち五日を眠って過ごして残りの二日間ずっと起きている。
ロッティとしては兄の嫁になる人が一週間の内二日間だけ兄を独占させてくれればそれで不満はない。
この条件の飲んでくれるなら結婚を許すし、家族として仲良く一緒に暮らそうとも思っている。
もちろん嫁になる人がロッティを要求を拒絶したら殺す。そこに容赦はない。
このように、三姉妹の中ではイーノックの結婚について最も寛容なロッティは(嫁との共存の可能性が残されているという点で寛容)兄の嫁になれそうな人物像について考えてみた。
単純に考えると一般人では無理。
なにしろイーノックへの好意が限界突破している姉たちの実力と覚悟が普通じゃない。
敵ならば殺すことをためらわない姉たちにうっかり嫁宣言してしまえば二十四時間以内にその人はソーセージの妖精に転生してしまうだろう。
それを避けるには最低でもメルセデスと互角以上の武力を持ち、そのうえ政治工作が得意なシャズナでも手が出せないくらい身分の高い人でないと生き残れない。
でもそんな人がこの世界にいったい何人いるんだろう?
ロッティはイーノックの膝に乗ったままの姿勢で腕を組んでウ~ンと考えてみたけれど該当しそうな人は思い浮かばなかった。
ま、いっか。お兄ちゃんが一生独身でもロッティは困らないし。なんならロッティがお嫁さんになるし。
考えるのが面倒になってきたロッティはイーノックの胸に背中を預けてゆったりと全身の力を抜いてくつろいだ。
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