くっ、屈辱っ!
そんなある日、騎士団での仕事が早く終わって珍しく日の高いうちに帰宅した私は、内庭で遊んでいるシャズナとイーノックを見かけた。
二人は小さな東屋の中でおもちゃの食器を広げておままごとをしている。
シャズナは八歳。イーノックは六歳。年を考えればそういう遊びをしてても全く不思議ではない。
それを十歳の私がまるで遠くの景色のように目を細めて眺めているのが不自然なんだ。
私に武術の才能なんてものがなければ、今でもまだあの場所で二人と一緒に遊んでいたのかもしれない。
わりと意地っ張りな妹のシャズナは一時期私と張り合おうとして色々と頑張っていたのだけれど、いつの間にか彼女の興味は弟のイーノックに向けられるようになっていた。
私への対抗心を起因としたシャズナの刺々しさが少しマイルドになってホッとしていたのは事実だが、マイルドになった分だけ私への関心が薄れたのだと思うと……お姉ちゃんとしてはちょっと微妙だ。
そういえば最近シャズナたちと遊んでいない事に気が付いた。
ずっと騎士団の任務で連れ回されてばかりだったので帰る時間が遅く、ろくに会話もしていない。
そうだ、久しぶりに早く帰れたのだから二人と一緒に遊ぼう。
そう思い立った私は歩く方向を変えて二人がいる内庭に足を踏み入れた。
内庭を半分ほど渡ったくらいで、私が近づいて来るのに気が付いたシャズナがちょっと嫌そうに顔をしかめた。
……その顔は止してくれないかな、お姉ちゃんの心が折れそうだよ。
遅れてイーノックも私に気が付いた。
「あ、メルセデス姉ちゃん! おかえりー!」
シャズナとは反対にイーノックは小さな手をブンブン振り回して私に満面の笑顔を向けてくれた。……天使かな?
「ただいま。今日も二人は一緒に遊んでいるのかい? 仲が良くていいね」
「遊んでいるわけではないわ。これは将来のための練習よ」
イーノックと二人っきりの世界に私がお邪魔してしまったせいでシャズナの機嫌が悪い。
「将来のための練習?」
「そう。これは将来私とイーノックが幸せな家庭を築くためのシミュレーションなの」
シャズナとイーノックで幸せな家庭……。
あれ? そこにお姉ちゃんはいなくていいのかな?
お姉ちゃんは家を追い出されてしまうのだろうか?
……いやいや、まさか。いくら私とシャズナの仲が微妙な感じになっているとはいえ、そこまで嫌われてはいないはず。
きっと私がこの場に最初から居ればこのシミュレーションの中に加えてくれているはずだ。
「そうか。じゃあそのシミュレーションにお姉ちゃんも入れてくれないかい?」
「メルセデス姉ちゃんもいっしょに遊んでくれるの? やったぁ!」
イーノックが無邪気に喜んでくれた。かわいい。
その横でシャズナが「え?」と眉を顰めたように見えたけれどきっと気のせいだ。
「イーノックがこんなに喜んでいるからしょうがないわ。じゃあ私が『もの凄く愛されているお嫁さん』イーノックが『超絶愛妻家な夫』という役割はそのままで、姉さんは私たちの子供という設定でやりましょう」
設定に色々と無理があるシミュレーションだな。
「えっと……私が二人の子供の役なのかい?」
「そうよ。嫌なら参加しなくてもいいわよ」
「あ、いや、それで構わないとも。全力で子供役を完遂してみせようではないか」
相変わらずシャズナは刺々しい態度だけれどそれほど嫌な気にはならない。
なにしろこの子は弟以外の者に対しては基本的にツンツンなのだ。
私たちがいる円形の東屋には中心に丸テーブルがあって、三つのベンチが外周を囲むような配置されている。
シャズナはこの小さな東屋を一つの家に見立てているようだ。
「じゃあ私がお仕事から帰って来たシーンから始めるわ」
「ん? お嫁さんが帰って来るのか。旦那が外から帰って来るパターンじゃないんだね」
ちょっとした違和感を覚えて何気なく聞いてみたら、シャズナは「ふふふ……」と黒い笑顔を咲かせた。
「将来私とイーノックが幸せな家庭を築くためのシミュレーションだって言ったでしょ。結婚したら私がイーノックを養うって決めてるの。そしてイーノックはずぅ~っと家の中で暮らしてもらうわ。結婚したら一歩も外に出すつもりはないの。だってイーノックが私の知らないところで他の女といい関係になって浮気されたら……その女、殺してしまいたくなるでしょ?」
彼女の中で蠢く闇の一部に思いがけず触れてしまいゾクリと体が震えた。
まずい。私の妹がどんどん行っちゃいけない闇の沼に沈んでいってる気がする。
そんな業の深い宣言をされたイーノック本人はどんな反応をしているのかと心配になって横目で様子を見たら、全く意味が分かっていない様子でふにゃりと気の抜けるような顔で私を見ていた。かわいい。
まぁ六歳だし、分かってなくてもしょうがないか。というか八歳のシャズナがここまて突き抜けている方がヤバイ。
……この件は流そう。今ここでほじくり返しても何一つ良い事になる気がしない。
私は何の問題もなかったかのようにおままごと遊びを始める。
「え、えっと、私は子供役だったな。『わ、わ~い、お母さんお帰りなさーい?』」
実際にやってみて分かったことがある。
なんだか無性に恥ずかしいのだが!?
身体の痛みには慣れているが、このような羞恥系の心の痛みにどう対応すれば良いのだ!?
こういう遊びに馴染みのない私にとって子供役に徹するのは少々高いハードルだった。
照れくさいのを我慢して子役を演じきった私をシャズナはまるで舞台監督のような目で見据えて溜息を吐きながら首を振った。
「ダメ、リテイク」
監督が求める合格レベルの演技は相当高いところに設定されているようだ。
「あー、その、今のはどこが悪かったのかな? 恐縮だがアドバイスを貰えないだろうか」
「姉さんが演じる子供の役は生後半年って設定なの。まだ「バブー」しか言えないの。ちなみに男の子よ」
「そういう設定は先に言ってくれ。……待て、それじゃあ私は赤ちゃんの真似をしなくてはいけないのか?」
「そうよ。嫌なら――」
「分かった。やると決めたからには私は退かぬ、最高の赤ちゃん役を演じてみせよう」
シャズナは無理な注文を付けて私を追い出したいのだろうが、むしろここまではっきりと邪魔者扱いをされたら私も少し意地になってきた。
別に役者を目指しているわけではないが、最高の演技でシャズナを戦慄させて「姉さん、恐ろしい子!」って白目にさせてやろうじゃないか。
私は肩に掛けていたマントを外してベンチに敷き、その上に仰向けに寝転がって手足をキュッと縮こまらせながら「バ、バブー」と小声で呟いてみた。
……ヤバい。これは思った以上に恥ずかしい!
「ぐふっ!」
子熊が咽るような音がしたので目を向けると、シャズナが口許を押さえて爆笑するのを堪えながら私から顔を背けていた。
くっ、屈辱っ!
シャズナが身体をプルプル震わせて顔を真っ赤にしながら笑いを堪えている一方で、私も同じように顔を赤くしながら体を羞恥に震わせて泣きたくなるのを堪えた。
 




