長女メルセデスの場合
私、メルセデス・バーグマンは『お姉ちゃん』だ。
二つ年下の妹シャズナが生まれて来るまでは一人っ子だったのだけれど、物心がついたのは三歳の頃なので両親の愛情を独り占めに出来ていた幸せな時間を認識できないまま私は『お姉ちゃん』になっていた。
お姉ちゃんは我慢しなきゃいけなかった。
お母さんに抱っこしてもらいたくても、妹がおっぱいを飲んでいるから我慢しなきゃいけなかった。
じゃあ私も飲みたいから抱っこしてと言ったら「お姉ちゃんはおっぱいもう卒業したでしょ?」と断られた。
しばらくしてシャズナがおっぱいを卒業して一人で歩けるようになった。
やっとお母さんのお膝が空いた……と思ったら今度は弟が生まれた。
シャズナは特等席だったお母さんの膝を弟に奪われて「だっこしてー!」と癇癪を起こしたので「シャズナもお姉ちゃんになったんだから我慢しなきゃいけないんだよ。ね、私が遊んであげるから」って慰めてあげた。
ずっと不機嫌だったシャズナの遊び相手になっていると、ちょっと疲れた顔をしたお母さんが「ありがとう。メルセデスは良いお姉ちゃんだね」って私を褒めてくれた。
私はこの時初めて『甘やかされる嬉しさ』とは違う『褒められる嬉しさ』というものを知った。
それから私はずっと『良いお姉ちゃん』でいることを心がけてきた。
シャズナが野菜を食べ残したら、私はお手本を示すために、それが苦手なトマトでも頑張って食べて見せた。
シャズナがお母さんに本を読んでとねだっていたら、私は一緒に本を読んで文字のお勉強しようって誘った。
ある日どうしてもお母さんに甘えたいとダダをこねるシャズナに手をやいていると「じゃあ今日はパパがシャズナを抱っこしてあげるよー。メルセデスもおいでー」ってお父さんがニッコニコの笑顔で近づいて来て両手を広げた。
けれどシャズナは「パパはイヤ」とバッサリ断って部屋に閉じこもった。
お父さんがすごくショックを受けていたけれど、気配りのできる子供を目指していた私はあえて見なかったことにした。
そうやって『良いお姉ちゃん』な日々を過ごしていた私に一度目の転機が来たのは六歳の時だった。
私の家は侯爵というかなり位の高い貴族なので、その地位に相応しくあるよう子供の頃から色々と学ばなければいけないらしい。
これまでは家の中で文字を勉強したり行儀作法を習ったり魔術の仕組みを覚えたりしていたけれど、六歳になって初めて屋外での習い事が始まった。
剣術だ。剣術の先生は侯爵家の伝統とかでお父さんがするらしい。
剣術の練習といっても、私の体がもっと大きくなるまでは軽く走るくらいしかしないらしい。ただ、剣術を修めると最終的にはこういうことが出来るようになるという見本としてお父さんが凄い技を見せてくれた。
「メルセデス、そしてシャズナ。よぉく見ておけよ。今から父さんが剣術の手本を見せてやるからな」
そう言ってお父さんは前後に開いた足を地面に食い込ませるように重心を落として剣を左下に構えた。
お父さんの目線の先にある台座には硬そうな鉄製の兜が置かれている。
「きえええぇい!」
お父さんは大きな声を張り上げてバッタのようにジャンプ。
下げていた剣を振りかぶるように真上に振り上げて、足が着地する直前に全体重を乗せた一撃を兜に叩き込んだ。
ガキーンと火花を散らして金属がぶつかり合う。
父さんは兜の抵抗を力で抑え込み、拝むような姿勢で剣を振り抜いた。
台に乗せられていた兜は剣の圧力で少し変形していたけれどこそこそきれいに両断されていて、父さんの剣は音叉のようにインインと衝撃の余韻を響かせている。
宣言通りに兜を割ってみせたお父さんがドヤァな感じで口髭の端を吊り上げた。
「これが奥義『兜割り』だ」
得意げな様子のお父さんが台座の上にある兜を指差す。
うん、割れてるね。……で?
私は不思議だった。兜を割るために剣を振って兜を割った。言ってしまえばそれだけの事なのに、まるで私の似顔絵を描いてくれたシャズナのように『すごいでしょ。褒めて!』みたいな顔をしているのはなぜだろう?
「父さん。私はあの兜が割れるようになれればいいの?」
「最終的にはな。でもこれが出来るようになるには十年以上の習練が必要だ」
「へぇ? でもこれ、そんなに難しい事なのかな?」
素直な気持ちで訊いたらなぜか父さんはグッと眉を寄せて滔々と訓示を垂れ始めた。
「いいかメルセデス。今日からこの父がお前に武術というものを教える。今やって見せたように剣を極めればこれくらい出来るように――」
なんだか話が長くなりそうだったけれど、さっき父さんがやったことがどうしても凄い事だと思えなかった私は本当に出来ないのだろうかと試してみるつもりで練習用に貰った剣で兜を打ってみた。
キンッ!
思った通り兜はあっさりと割れた。というか斬れた。
父さんが割った兜の断面は力で無理矢理引き裂いたようにガタガタしているけれど、私が斬った兜の断面は鋭利な刃物のようにエッジが立っていた。
「……へ? 今、どうやったんだ?」
まるでパン屑を投げつけられた鳩のようにお父さんは目をパチパチと瞬かせた。
「どうやったんだと訊かれても……。こうすれば斬れるかなって、勘で」
「勘で!?」
どうやら私には武術の天分があったらしい。
当時はまだ体が小さかったので重い武器は持てなかったけれど、基本的な剣、槍、杖、棒などはその武器を持った瞬間にどう扱えな良いのかを感じることができた。
一度見ただけで達人クラスの人たちの技を修得できたし、七歳になって身体がある程度大きくなると体術、組手も出来るようになって、八歳になった頃には斧や戦鎚も使えるようになった。
十歳で騎士団の入隊試験に合格して最年少入隊記録を更新。私に期待をかけてくれているたくさんの人たちがとても喜んでくれた。すごく褒められた。
……でも、あまり嬉しくなかった。
もう昔ほど褒められる事に『嬉しい』と感じられなくなっていた。
何かを為して褒められる事は、同時に『その次の結果』を期待される事だと理解したからだ。
『彼女はきっと最年少の騎士団長になるんだろうな。将来が楽しみだ』
―― 上限のない期待 ――
『彼女さえいれば侯爵領に住む者は外敵に怯えずに暮らせる』
―― 日々重くなるプレッシャー ――
『たかが十歳の女児のくせに生意気な。出しゃばりやがって』
―― 栄誉が集まり名声が高まるほど周囲に満ちる嫉妬や反感の悪感情 ――
欲しくも無いのに上がっていく社会的地位。
それに伴う重い責任。
私は期待に応えなければいけない。
期待されているのだから失敗してはいけない。
責任のある立場にいるのだから子供っぽい言動は改めなければいけない。
理不尽な嫌味を言われても怒ってはいけない。泣いてもいけない。
……もう嫌だ。
誰も褒めてくれなくていいから私を放っておいてくれ。
頑張れば頑張るほど『――してはいけない』と禁止される事が増える。
そんな生活が当たり前のように続いて私は押しつぶされそうになっていた。




