姉さん……アレ何?
理解が追い付かない。このメイドはいったい何を言ってるのだろう?
「落ち着いて。私にも理解できるように――」
詳しく話を聞こうとしていたら横から問答無用の力強さで私の腕が引っ張られた。
「シャズナ、すまないが手を貸してくれ」
すぐ横にメルセデス姉さんの顔があった。
「私が? 私にお産で私が手伝えることなんてないと思うんだけど」
姉さんに掴まれた手を払って突き放すように言うと、姉さんは両手で私の手を包むように握りながら真剣な表情でさらに顔を近づけてきた。
「いいや、シャズナの力が必要なんだ。シャズナじゃなきゃダメなんだ。力を貸してくれ」
「うっ……わかった。わかったから離れてよ、顔近い」
生まれた時からメルセデス姉さんの派手な顔を見ているから私は耐性はあるけれど、こんなに凛々しく整った中性的な顔を近づけられてお願いされたら大抵の女の子なら何でもいう事をききそうな気がする。
というか、私と姉さんのやり取りをメイドたちが足と息を止めて食い入るように見てるので今すぐやめて手を放して欲しい。
変な誤解が生まれそうだし、私がそうされて嬉しいのはイーノックだけなんだから。
「それで私は何をしたらいいの?」
「出産を取り仕切っていたシスターが重傷を負った。あぁ、違うよ。家の中に賊が押し入って来たわけじゃない。そうではないのだが……ともかく今は父さんがシスターの治療に当たっているから母さんの方まで手が回らないんだ。だから中位神聖魔法の『治癒』が使えるシャズナの力が必要だ」
メルセデス姉さんはまるでダンスにエスコートする紳士のように私の手を引いてお母さんのいる寝室へと導く。
「シスターが重傷? さっきメイドから少しだけ聞いたけれどわけが分からないわ。いったい何が起きてるっていうの」
「見ればわかる」
そう言われて連れて行かれたお母さんの寝室は、端的に言ってえらい事になっていた。
姉さんは私に「見ればわかる」と言っていたのだけれど見ても全然分からない。
部屋の中は異常な事ばかりだった。
簡潔に列挙していくと――、
部屋の中がまるで落雷に遭ったかのようにいろんなところが黒く焦げていて、部屋中に焦げ臭さが漂っている。
出産の指揮を執っていたと思われる老シスターが体中から黒い煙を上げて倒れていて、お父さんが『再生』と『治癒』の回復魔法を交互に何度もかけ続けている。
これらだけでも相当に異様な様子だというのに、さらに異様で異質なものが部屋の中に出現していた。
「姉さん……アレ何?」
私より先に部屋に来ていたイーノックが青く光る何かを抱えていた。
青く光るそれはウゴウゴと蠢き、時々小さな稲妻を放出している。
「アレという言い方は感心しないね。あの子はさっき生まれたばかりの私たちの妹だ」
「妹!?」
強い光を放っているので見えにくかったけれど、目を細めてよく見ると光の元は確かに赤ん坊の形をしていた。
「どうして赤ん坊が光ってるの? というかイーノックはその子を抱いてても平気なの!?」
光っている赤ん坊を抱えているイーノックは戸惑いの表情をしながらも頷いた。
「う、うん。僕は平気」
どう見ても殺傷能力を備えてそうな光を発している赤ちゃんを抱いていて平気なんて事が有り得るんだろうか?
「どうなってるのよ……」
分からないことだらけで立ち尽くしていたら、重傷のシスターを治療していた父さんが疲労の色の濃い顔を上げた。
「シャズナ、疑問は尽きないだろうが、まずは母さんの治療にあたってくれないか。今母さんに『治癒』をかけてあげられる人はシャズナしかいないんだ」
確かに父さんの言う通りだった。
よりにもよって最も力の強い回復役のシスターが瀕死の重傷を負ったせいで回復役二番手の父さんが彼女の治療に掛かりきりになっている最悪な状況。
母さんも回復魔法は使えるけれど今は昏睡状態で治療を受ける側。
この状況だとこの家で中位回復魔法の『治癒』を使えるのはもう私しかいない。
姉さんが申し訳なさそうに眉尻を垂らす。
「こんな大役を押し付けてすまない。私に神聖魔法の適性があれば自分でやるのだが生憎『応急治療』以上の回復魔法は使えないんだ」
「姉さんにこれ以上の才能が開花しちゃったら自信無くしちゃう人が続出するから神聖魔法くらい苦手のままでいてよ!」
私は自分の杖を部屋に取りに行く時間を惜しんで壁に掛けられているインテリアの魔法杖を取り外し、腕まくりをして母さんに近づいた。
「シャズナ、治療の方法はわかっているかい? もし分からないなら最初は私が手本を――」
私が治療を行うことを少々心配そうにしている父さん。
「私を見くびらないで父さん。確かに私は姉さんのような天才じゃないけれど、それでも普通じゃないってくらいには凄いんだから」
私は姉さんのようになはれない。けれどその差を少しでも埋めようと努力している。
姉さんのように誰からも褒められるようになりたいなんてもう望んだりしない。
けれどイーノックにとってずっと尊敬される姉でありたいと願っている。
そのための努力を欠かすことはないし、それを苦労だとも思わない。
私が『治癒』を修得できたのはイーノックに「凄い!」って尊敬されたい一心で頑張った結果だ。
私は母さんが寝かされている黒焦げのベッドの側で膝をついた。
母さんは私の呼びかけに応えられず、浅く早い呼吸を繰り返している。
母さんに掛けられているタオルケットをとって患部を確認。
ちょっと言いにくい部分がやはり一番ひどい事になっていた。
でも大丈夫。これくらいなら私の『治癒』で対応可能だ。
一番焼けている股の部分を『洗浄』の魔法で清潔にしてそれから『治癒』をかける。
回復系魔法はずっと同じ魔法を長時間かけ続けると傷口の皮膚が低温火傷したように爛れるので一分毎に『治癒』と『体力回復』の交互掛けだ。
「大丈夫そうだね。母さんの顔に血の気が戻ってきた」
私の治療行為を心配そうに見ていた父さんの顔がホッとしたように緩んだ。
「うん。それより――」
私は眩しいほどに発光している妹と、そんな妹を抱いて途方に暮れているイーノックに目を向けた。
「イーノックはその子を抱いていて本当に大丈夫なの?」
産まれたての妹から出ている光はプラズマのようにゆっくりと動いてる。
その光の筋は不規則に現れて指先でなぞるようにイーノックの体を這ったり、床で蠢いたりしていた。
そして不思議な事にイーノックの身体を這う光は霧吹きの水のように霧散していくのに、床を這う方の光は床の絨毯を焼き焦がしながらウネウネと動き続けていて簡単には消えない。
「僕は平気なんだけど……この子、このままでいいのかな? 産湯? とかにつけなくていいの? 手足が冷え始めてるんだけど」
「あ、そうね。そこの見習いシスターさん、この部屋には入らなくていいから処置の仕方を教えて」
シスターの助手としてついてきていた見習いシスターが部屋の外から怖々と顔を出して処置の仕方を教えてくれた。




