ははっ、どうやら俺は失禁したらしい
前魔王に雑兵へ落とされて以来誰にでも噛みつくようになった狂犬ザバルダーンは、まだ死んでない新鮮な人間が現れたので嬉しそうに「チタタプ、チタタプ」と呟き始めた。
ふっ、馬鹿め。次はおまえがチタタプされる番だ。
「おいおい、ザバルダーンよぉ。また俺の獲物を横取りかぁー?」
すぐそこに存在する『死』の前で俺は大げさに不機嫌さをアッピールして肩をすくめてみせた。
でも内心は大喜びだ。誰がこんな危険な奴と戦いたいものか!
「俺も久しぶりに人間を殺したかったんだがなぁ。ったくしょうがねぇなぁ~」
いかにも残念そうに大きなため息をついて俺は下がることにした。
テメェが代わりに死んでくれるならこれほど有り難いことはねぇぜ! バーカ! ブァーカ!
「む、そうだな。さっきも俺が途中から出しゃばったせいでノッブタは見ているだけだったな。では、公平になるよう今回俺は見ているだけにする」
俺を押しのけて前に出ようとしていたザバルダーンがすまなそうに眉尻を垂れて一歩下がった。
なにいいいぃぃぃぃ!?
いや、行けよ! 俺に代わって殺されてこいよ!
なんでこんな時に限って俺の顔を立てようとしてんだよ!?
オマエ今までそんな気遣いする奴じゃなかっただろ!?
両手にナイフを持ったアサシンスタイルの人間は、俺たちの会話を聞いてザバルダーンに向けそうになっていた視線を再び俺に固定した。
ひいいぃぃぃ!?
悪魔の俺は下半身が山羊の形に近いのだが、今は生まれたての小鹿のように足がプルップルに震えている。
「ほぉ、武者震いか。やる気が溢れているなノッブタ」
ザバルダーンがまるで状況を理解しないでニッコリと良い笑顔を向けてくる。
うるせぇ! テメェはもう喋るな! つか死ね! 今すぐ死ね!
「しかしノッブタがそこまでやる気になるとはな。……もしかしてお前が勇者なのか?」
おぉう!? ザバルダーンがちょっとだけ利口になった!
けれどザバルダーンはすぐに首を振って自分自身で述べた予測を否定した。
「いや、違うな。俺が聞いた話では今代の勇者は男で召喚士だったはず。女のアサシンではない」
「え? ……違うのか?」
俺はてっきりこの女が勇者だと思っていたんだが。
「違うとも。それは私の執事だ。その変態と私の愛しい弟を間違えてもらっては困る」
凛とした声が俺たちの会話に割り込んできた。
……おや? 股間が温かいぞ?
ははっ、どうやら俺は失禁したらしい。
いやもう、ね。なにこれ?
フナしかいない堀の中に突然ブラックバスが入って来てビビってたら、今度はサメが来たような? なんかそんな感じ。
白銀の鎧を纏った女が、目の前のアサシンを勇者と誤認していた俺を見ながら苦笑している。
俺はその苦笑に含有されている僅かな殺意だけで戦意、というか抵抗する意思? なんかそういうのがまとめてポッキリ折れた。
明らかに強さの桁が違う。雰囲気からしてもう違う。
その腰に帯びている剣を抜かずとも俺を殺せる化け物だっつーのアレ。
俺の足の震えは全身に広がって、股間から流れる温水の勢いが増す。
俺がこれだけ怖れているというのに、俺に無機質な目を向けていたアサシンの反応は俺とは真逆で、その女が来た途端に表情をパアーっと明るくさせると瞬間移動のような素早さで女の足元に戻って跪いた。忠犬と呼ばれているような犬だってあそこまで飼い主に従順ではないと思う。
「お嬢様申し訳ありません。この場にいる者を皆殺しにして証拠隠滅をするつもりでしたが、あの悪魔に初撃を防がれました。その実力からおそらく彼らが東方魔王の四天王かと」
「そうか。……あれは?」
白銀鎧の女がザバルダーンによってチタタプにされた男どもの成れの果てを見て目を眇めた。
白銀鎧の女に続いて大きな檻を牽いていた彼女の部下たちがそれを見た瞬間「うぐっ!」「おえええぇ!」と吐瀉している。
嘔吐している部下たちとは別に、身軽なシスター服を纏った胸の大きな女も新鮮な肉塊の山を見て顔を青褪めさせていた。
「あれは、もしかして……赤竜騎士団の選抜部隊?」
シスターの声が恐怖で震えている。
……あれ? 部下とあのおっぱい女はわりと普通?
というかあの白銀鎧の女とアサシンがおかしいだけ?
少しだけ自分の知っている普通の世界に近い存在を見つけて俺の緊張が緩みかけたとき、特大の異物を見てしまって俺の意識が飛びかけた。
なんだアレ? なんなんだアレ!?
……もう考えるの止めよう。
あのシスターの後ろにいる小さいのが何なのかはもう考えたくもないし見たくも無い。
「はあーっはっはぁ! 見ろカス共! お前らの同族はこのザバルダーン様がこのようにミンチにしてやったわ! 恐れおののけぇ!」
ちょおー? ザバルダーンさぁん!? 何言ってんのー!?
これだけの差がある相手に対してああも無謀に挑発できるとは、ある意味で感動すら覚える。
きっと今まで自分より強い敵に会ったことがほとんど無かったから相手の強さを測る感覚を鍛える事をしてこなかったのだろう。
やばい。コイツと一緒にいたら俺まで巻き込まれる。
一秒でも早く逃げたいけれど足が竦んで力が入らねぇ!
「そんな……貴方がその人たちを殺して、そんなふうにしたの?」
人類の中で『愛』とか『正義』とかを説くシスターが同族を虐殺したザバルダーンに問いかけた。
「そうだ!」
ザバルダーンが誇らしげに胸を突き出す。
「ピュッて飛んできた『何か』に貫かれて死んだんじゃないのね?」
「ふっ、自分の強さをひけらかすつもりはないが、これは全て俺一人でやったのだ! 驚いたか。ふはははは!」
ザバルダーンの残虐性に、檻を運んでいた雑兵どもが嫌悪感を露わにした。しかし、シスターの反応は真逆だった。
「そう、良かったぁ」
なぜかシスターはザバルダーンの告白を聞くとニッコリと表情を和らげた。
「はぁっ!?」
え? なんで? 俺もザバルダーンに続いて心の中で疑問符を浮かべた。
自分の同族があれほど無残な死を遂げたというのにシスターは心底ホッとしているようだった。




