溜まってるいんでしょ。今なら出しても大丈夫だから溜まってるのを全部吐き出しちゃいなさい
ロッティたちが王都にいるときのお話です。
バーグマン侯爵妃パネー・バーグマンは王都の貴族街にあるバーグマン侯爵都邸で表情筋を引きつらせていた。
「まさか、あれほどまでとはね……」
覆水盆に返らずというがパネーは三時間だけでも時間を巻き戻したいと切に願った。
今日の午後、パネーたちは大事件を起こしてしまったのだ。
王都に来てからずっとロッティは『お兄ちゃん成分欠乏症』で不安定な精神状態にあった。
そんな彼女の気晴らしにでもなればとパネーは娘を連れて海を見に行くことにしたのが事件の発端である。
貴族最上位の侯爵家らしい豪奢な箱形馬車に専属メイドのエミリーを同乗させて都邸を出発。
馬車の中でのロッティは全身に魔力拡散器の端末を張り付けていたけれど、それでもパチパチと小さな炸裂を起こしている。
この状態でロッティの近くにいると高い魔力耐性を持つパネーでも数秒で魔力火傷を負うので、エミリーとパネーは狭い馬車の中でできるだけロッティから距離をとって座った。
馬車が海岸沿いの街道に入ってもロッティの気分は晴れない。ずっとイライラした様子で一言も発せずに海を眺めている。
そんなロッティを不憫に思いながらパネーは優しく微笑んで海を指差した。
「ちょっと海風に当たりましょうか」
観光地でもなんでもない寂れた漁村の外れでパネーたちは馬車を降りて砂浜に立った。
「溜まってるいんでしょ。今なら出しても大丈夫だから溜まってるのを全部吐き出しちゃいなさい」
「……いいの?」
「えぇ、ここなら大丈夫。間違っても危険な事にはならないわ」
パネーはそう言ったが大丈夫じゃなかった。間違っていた。そして取り返しのつかないレベルで危険な事になってしまった。
「お兄ちゃん、大好きぃいいいぃぃぃー!」
そんな恥ずかしいセリフを海に向かって全力で叫ぶロッティ。
母親としては色々と心配になる内容の固有詠唱で発動される『お兄ちゃん大好き砲』は直径七メートルを超す巨大な光球を射出した。
「ちょっ!?」
王立魔道部隊の精鋭兵でもスイカほどの大きさの光球を出すのが限界だという。それだけで村の一つを完全に焼き滅ぼすことが出来るそうだ。
ところがそれと比較する気にもならないほど巨大な光球が自分の真横から打ち出されたたので流石のパネーも思わず足が竦んだ。
光球が光の帯で緩い放物線を描きながら水平線に向かって飛んでゆく。
ちゃくだぁぁぁぁぁん、今!
水平線の彼方に消えた光の砲弾が海を焼いた。
朝日のように輝く真っ白な炸裂光。
巨大なキノコのような雲。
かなり遅れてやって来た爆音。
浜で干されている漁獲網が爆風を受けてバタバタと旗のように鳴る。
爆音と爆風が駆け抜けて、不自然な静けさが戻って来た後、沸き立つ海から天駆ける竜のように太い蒸気の柱が天に上って行くのが見えた。
「……」
パネーは無言のまま足元に目を向けると、とてもすっきりした顔で表情をへにゃらせている愛娘がいて、その十メートル向こうでエミリーが顎が外れそうなくらい口を開けた驚愕顔で沸き立つ海を見ていた。
「エミリー。帰るわよ、至急!」
「は、はいっ!」
帰ろう。すぐに領地に帰ろう。そして無関係を装うしかない。
都邸に戻ったパネーはすぐに帰郷の準備をさせた。
エミリーが他のメイドたちを指示して慌ただしく荷物を纏めている。ロッティ用の寝具であり拘束具でもある棺型魔力拡散器も馬車に詰め込んだ。
出立の準備が終わりかけたところで王宮からの使者が来た。曰く、
『思いがけず新鮮な焼き魚が手に入った。久しぶりに晩餐を共にしたいので王宮に来られたし』
パネーは招待状を握ったまま仰け反ってソファの背もたれに体重をかけた姿勢で呻いた。
「……もうバレた」
文面の『新鮮な焼き魚』がすでにおかしい。『新鮮な魚』ならわかるが『新鮮な焼き魚』って何だ。
こうなっては変に逆らったりしなほうがいい。反省の意を示しつつ、できるだけ軽い罰を受ける方向で今回の件の落としどころを探っていくのが上策だろう。
「エミリー、夜逃げは取りやめよ。晩餐会という名の査問会に出頭しなきゃならなくなったからその準備を。できるだけ従順に見えるように寒色系のドレスがいいわ」




