そうよね、イーノックと十日も離れてたら禁断症状が出るのもしょうがないわ
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水は循環する。
昔、この世界において水は水の精霊王が生み出しているものだと考えられていた。
けれど今から六代前の王の弟が土の精霊王と水の精霊王を従魔にしたことによって、彼ら精霊は生命という概念が当て嵌らない自然現象に近い魔物であることが判明した。
水の精霊王は水を生まない。水は常温で液体である。けれど寒くなれば氷になり、沸騰すれば湯気になる。そんな水の形態の一つが水の精霊であり、精霊王なのだ。
水は私たちの世界の中に閉じ込められて循環している。
川の水は海へと流れ込み、海の水はゆっくりと蒸発して大気に溶けて雲になり、雲が厚くなって雨になり、雨は大地を潤して川へと還る。
水は循環する。
雲や雨は水の循環の一形態でしかないのだ。
「母さん、今なんて?」
「聞こえなかった? 長雨災害を発生させたのは魔王じゃなくってロッティなのよ」
「「はぁ!?」」
メルセデス姉ちゃんとシャズナ姉ちゃんの悲鳴のような疑問符がきれいに重なった。
「どういう事だシャズナ。雲を作るのは複合魔術だからロッティには無理だって言っていただろう」
「私だってわかんないわよ。だってロッティは基本的に魔力を暴発させるゴリゴリの力技しか使えないのよ? 最近になってようやく探知魔法を使えるようになったけれど、あれだって基本はぶっ放し系魔術の応用なんだから、魔力制御の難しい複合魔術の『気圧操作』なんてあの子に使えるはずがないのよ」
「え? しかし……」
メルセデス姉ちゃんは母さんとシャズナ姉ちゃんの間で視線を彷徨わせる。
どちらも嘘を吐いている感じではないのでそれが余計にメルセデス姉ちゃんを混乱させた。
「ねぇ母さん、順番に説明してくれないとわかんないよ」
「そうよね。でも、どこから話せばいいかしら……」
母さんは右手の人差し指でこめかみを押さえながら、無駄にデカい胸を左腕で掬い上げるようにして腕を組んで目を閉じた。
「……」
「……」
「……」
「…………スピー」
「ちょ、寝ないで!」
俺に肩を揺らされてハッと意識を戻す母さん。
「あぁ、ごめんなさい。私もちょっと疲れていたみたい」
「疲れているのに無理をさせるのは気が引けますが私のイーノックの命が懸かっているんです。お休みになる前に何があったのかを話して下さい」
「そうねぇ……ちょっと話が前後したり重複するかもしれないけれど、思いついたところから話していくわね」
俺たちは黙って頷いて訊く姿勢をとった。
「みんな知っての通りロッティは生まれ持っている体質『無天魔力』があるから眠っているときでも休まずに魔力を回復させているでしょ。
けっこうシャレにならない魔力保持量があるのにいつも全身から余剰魔力を溢れさせているから素の状態であの子の半径五メートル以内に入ると魔力延焼が起きる。
そのままじゃ普通の生活をすることすら難しいのだけれど、幸いにもウチには『完全魔力無効化』の体質を持つイーノックがいたから、イーノックがロッティを抱っこすることで危険な余剰魔力を消失させていた。
でも、この応急処置のような対処がいつまで続くか分からないのよ。
例えばイーノックの体質が急に変わったら?
例えばイーノックの身に何かあったら?
あの子の将来の事を考えるとこのままじゃいけないって思うわけよ、当然。
でー、そんなこんなでロッティがイーノックに依存しなくても良いように、魔力をなんとかする道具を作らせているわけなんだけれど――」
途中から母さんの説明が雑になってきた。つらそうに目をシパシパさせているし、どうやら体力と気力の限界が近いようだ。
仕方がないので俺が質問を絡ませて話を進めさせよう。
「今回の王都行きもその一環だよね」
「そう。完全に無駄足になっちゃったけど」
「それで、その王都に行っている間に何があったの?」
「イーノックがいないからロッティの余剰魔力は魔力拡散器で取り払ってたんだけど、王都滞在が十日を過ぎたあたりからイーノックが側にいないストレスで魔力拡散器だけじゃ処理しきれない量の魔力が溢れるようになって、けっこう危険な状態になったの」
俺がいないストレスって……。
「そうよね、イーノックと十日も離れてたら禁断症状が出るのもしょうがないわ」
「そうだな。そんな恐ろしい状況は考えるだけでもキツイ」
「……」
姉ちゃんたちが全く違和感を覚えることなくロッティに共感している様子に、母さんが『ほら、どうすんのコレ』って無言で俺を見つめながら目で責めてくる。
面倒なので俺は何も気づかないふりをして話を先に進めた。
「それで? 余剰魔力が危険な状況からどうして巨大な雨雲を作る斜め上な展開に?」
「簡単な話よ。今日イーノックが興奮してるあの子に『祝砲』を撃たせて魔力を消費させたように、私もあの子を王都の近くにある海辺に連れて行って水平線に向かって全力の攻撃魔法を撃たせたの」
「全力の攻撃魔法? 雲を作らせたのではないのですか?」
メルセデス姉ちゃんが話の食い違いを指摘すると、母さんは深々と溜息を吐いた。
「私もその時はそこまで考えられなかったから偉そうな事言えないんだけど、あなたたち『水の循環』って知っているわよね?」
「えぇ、まあ」
「それくらいは普通に」
「川の水は海へと流れ込み、海の水はゆっくりと蒸発して大気に溶けて雲になり……ってやつだよね」
「そう。『海の水は蒸発して大気に溶けて雲になり』なのよ」
「…………あっ」
そこでようやく俺たちはロッティがどうやって大災害級の巨大雲を作り出したのかを察した。
母さんは遠い目をして呟く。
「水平線の向こう側で海が沸騰している光景……凄かったわよ」




