6R
ようやく試合に入ります。
試合開始。
そうレギーナから告げられ翔平は相手を観察する。
カルザゲは軽く顎を引き、左手はやや伸ばし気味に前方へ向けて、右手は顎付近に。
足は肩幅よりやや広めで左足を前に、右足は軽く膝を曲げて体重をのせている。
背筋は真っ直ぐ伸ばしたその構えは、ボクシングでいうところのアップライトスタイルに近いが、違う点といえば前に突き出した左手がやや伸びている事と、通常ならば中央付近におく重心が、カルザゲのそれは完全な後方重心の構えだ。
(こっちではこの構えが普通か?…機動力は多分無し。自分からじゃなくて間合いに入ってきたところに右を合わせるってところか…。)
相手の構えをみてそう判断した翔平は、それじゃあ…とすり足で徐々に距離を詰める。
(ここか?…もうちょい。ここは?…まだ打たないか。)
そうして相手の射程距離を図る。
通常ボクシングでは、前に構えた手のパンチを素早く真っ直ぐに打つ。
これをジャブといい、相手との距離を測る役割をもつ。
ボクシングに限らず彼我の距離、単純な距離では無くパンチしてくる距離やその届く範囲を把握するのは、格闘技において非常に重要なファクターをしめる。
ここであえて使用しないのは、体格差と相手の情報の無さに起因する。
手の長さ(リーチ)で大幅に劣る翔平は自分のパンチを当てる為に、当然近づかなければならない。
その為にステップで相手へと踏み込む事をステップインというが、ステップインして自分の手が届く距離に近づくという事は、当然相手の手も自分に届くと言うことだ。
ボクシングと違い階級制限がないこちらでの試合。
更に拳は布を巻いているとはいえ、ほぼ剥き出しの状態となれば、一撃が致命傷になりかねない。
慎重になり過ぎるくらいが丁度良いのだ。
(ここは?…あ、多分来る)
じわじわと近寄る翔平に対して、固く握られたカルザゲの拳がピクっと反応する。
それと同時に、待ってましたと言わんばかりに大砲(右の直拳)が発射された。
しかし、その拳は翔平に届かない。
カルザゲの初期動作を感じた瞬間に回避行動に入っていたからだ。
来る。
そう感じた瞬間に後方へとステップ(ステップアウト)してカルザゲとの距離を広げた翔平。
よく、ボクサーは動体視力がいいとされている。
至近距離のパンチを躱す、防御する為だ。
なるほどそれは確かにそうなのかもしれない。
しかし、人間の身体は脳からの動けという伝達に対して身体が反応するまでに、平均で0.3秒掛かると言われている。
超一流といわれるアスリートですら、反応を限界まで引き上げても0.2秒程だ。
では、パンチに話しを移そう。
一般的なボクサーのパンチの速度はどれくらいだろうか?
平均では時速30kmといわれている。
実はそれくらいのスピードしか出ていないのだ。
しかし、これを秒速に置き換えて、腕の長さ(リーチ)に当てはめて考えてみよう。
30km/hは秒速に置き換えると約8.3m。
仮に腕の長さを60cmと仮定した時、腕が伸びきるまでの時間。
0.072秒だ。
人間の反応速度が0.3秒。
当然、パンチが発射されてから避けていたのでは間に合わない。
では、何故ボクサーはあんなにもパンチを躱す事が出来るのか?
それは予測からくる初期動作の早さに起因している。
有り体に言えば、相手が打つ直前には避け始めているのだ。
打つ側としてはそれを読まれない為に、予備動作の無いパンチを打つ必要がある。
これをノーモーションと表現する。
カルザゲはそこを意識出来てはいないのだが。
逆にあえてモーションを見せてフェイントをかける場合もあるが、ここでは割愛する。
(すげぇ迫力。当たったらヤバイな。…当たったらね。さて、距離はあそこか。もうちょっと確認しとこうか。)
久しぶりの実戦の為、やや興奮した思考の中でしかし状況を分析する翔平はもう一度とジリジリとカルザゲに近づき、パンチがくる度にその射程範囲から飛び退く。
何度となく繰り返すその動作に痺れを切らしたのは周囲の野次馬達だった。
「おい!デュラン!!てめぇ大口叩いといて相変わらずの逃げ腰かよ!いいからさっさと打ち合えや!」
そうだ!そうだ!と捲し立てる野次馬達を尻目にカルザゲは不思議な感覚に陥っていた。
(なんだ?…観察されている?いや違うな…なんだ?パンチを打たされている様な…ええい!やめだ!よく分かんねえ!)
その考えはあながち間違えでは無かった。
文字通りカルザゲは翔平によってパンチを打たされているのだ。
射程距離ギリギリに身体を置き、あえて打って下さいと言わんばかりの翔平にカルザゲは躊躇なく打ち込む。
それが翔平の分析に繋がるとは知らずに。
何度となく繰り返した動作により、射程範囲を翔平は既に把握していた。
(よし、大体掴んだ。そろそろ行きますか。)
ジリジリとカルザゲへ近づく。
またか。
そう思ったカルザゲとの距離が射程範囲に入る直前で、グンッと翔平の身体が加速した。
なに!?
そう思ったと同時にカルザゲの頭が跳ね上がる。
ヤバイ!
反射的に振り回したカルザゲの右手はしかし何も捉えることなく空を切った。
(何が起こったッ!?…アイツが急に加速したのは分かった。この状況から考えて俺は被弾したんだろう。しかし何をもらった?俺が全く反応出来ない様な直拳なぞアイツが撃てる訳がない…。見極めてやるぞ。)
ステップインからの左ジャブ。
それがカルザゲが被弾した拳の正体だった。
何度も繰り返し測った事でカルザゲは、己の射程距離を翔平に掌握されている事に気付いていない。
加えて、翔平のジャブは予備動作のないノーモーションから発射される。
今まさに大砲を打ち込んでやろうと力んだカルザゲの頭ではその正体を見極める事が出来なかったのだ。
そんな事はお構いなしとばかりに、翔平の動きに躍動感が出始める。
先程とは異なり、身体を左右に小刻みに揺らしながら躊躇なくカルザゲの間合いを侵略していく。
「くそがっ!ガッ!」
カルザゲにとって謎の攻撃が再度飛来した。
見極めてやる、と目を見開き己を傷つける攻撃を見定める。
カルザゲの目に飛び込んできたのは折り畳んだ左手からの射撃だった。
この時に始めて自分の顔に被弾しているのがデュランの左拳である事に気付いたカルザゲ。
しかし、尚も翔平は止まらない。
後ろへ後ずさったカルザゲを追うように再度ステップインしながらの左ジャブを放つ。
「ぐッ!舐めんなぁ!」
右目に受けたそれを構うものかと自慢の大砲を撃ち抜いた。
そしてそれは確かにデュランの顔面を捉えたはずだった。
「なッ!?」
消えた!?
驚愕に目を見開くカルザゲの顎が、上空へと打ち上がる。
その直後、打ち上げられた顎に横からの衝撃を感じたと同時に頭の中で火花が散ったような感覚。
真っ白になった視界と共にカルザゲの意識は闇に堕ちていった。
あの…こんな予定では無かったのですが、圧勝してしまいました…。
あと、説明が長くなってしまう。
最初の方は試合中に説明が結構入ります。
それが終わればもっと試合を長く、早い展開でかけるように努力します。