6.ガル爺の引っ越し・中編
―――隠居すると、決意を固めた後は思いの他早く事が進んだ。
そもそも、孫息子のギルファランスに今の伯爵位を譲るつもりで、以前から色々と準備を進めていたのだ。
譲る相手となれる者はもう一人、次男の息子でギルファランスの従弟にあたる、もう一人の孫息子のエルトーレンがいる。
勿論、エルトーレンも竜持ち…正確に言えば、竜とは形状が異なる大型の竜よりも希少種である“龍”を愛龍にしていて、竜騎士団の中でも特殊な龍術師団に所属している。
希少種である龍は、竜とは違い蛇の様に長い胴を持ち短足で、知能がすこぶる高い。攻撃専門の竜とは違い、守備専門。
龍の相棒となる龍術師も各々頭も良く、守護魔法である結界の構築に長けていて、国の要となる守護結界は龍や龍術師達の御技によるものだ。更には、国王や王太子も龍を愛龍とする龍術師。
辺境の領地だとはいえ、辺境故に重要な位置にあるこの広大な領内をエルトーレンならば充分に護っていけるだろう。
遠距離通信用の魔道具を使い、自らの引退を王都にいる主だった要人に伝えた。多少渋られたりしたが、こっちももう歳も歳なので、最終的には誰も反対する事無く許可を得た。
水面下での根回しが済み、領主交代・爵位譲渡等の書類を大急ぎで作成し、通信伝達専門の小型竜に王都への配達を依頼する。
ここまでで半月程かかってしまったが、まずまずの出だしだろう。
同時に、荷造りを誰にも悟られないようにこっそりと進めていく。
百年程前、隠居用にと領地の端の端に屋敷を買っていたので、住居に困る事は無い。
後は、さっさとエルトーレンに引継ぎ、リルファローゼと一緒に引っ越すだけだ。
竜持ちになり、有力貴族の伴侶となれば、一生の富と名声に加え常人よりも長寿という事が約束されているのだ。リルファローゼを平民として育てるなど、どうせ周囲は大反対するに決まっている。
エルトーレンもあの可愛いリルファローゼを見れば、まだ独り者のクセに速攻で親代わりになって手元に置きたがるに決まっている。そして絶対に貴族教育も施すだろう。
そうならぬよう、自分と愛竜のヴィルグリッドだけでリルファローゼを育てれば良い。
広大な土地と豊かな資源を有する、大陸でも有数の大国でもあるこの国―――スフェルオーブは常に、隣国や魔物の脅威に晒されている。
平民まで巻き込んだ本格的な戦争こそここ数百年していないが、隙あらばと領土を狙ってくる隣国ユレンフールとの小競り合いは、頻繁に起こっている。
魔物だって、小物程度ならどうという事も無いが、たまに上位種である魔族が侵攻してくるので、魔界と隣接しているこっちとしては常に油断ならない存在だ。
小国がひしめき合っていて、常にどこかの国と壮絶な戦をしている地域よりは遥かにマシだが、それでも竜騎士や竜騎兵にでもなれば、国の要として必ず戦に駆り出される。
そして戦に往った夫を待ち続け、陰で泣くのは、いつだってその妻だ。
リルファローゼは優秀な娘だ。少々お転婆な部分もあるが身体もすこぶる健康。竜持ちにさせる子として非常に理想的だ。
きちんとした教育を受けさせれば、将来中型の竜とだってすぐに魂を結んでしまうだろう。
もしかしたら、大型の竜とも結べてしまうかもしれない。
女性の身で大型竜と結んだ者は滅多に居ないが、決して皆無では無い。常の世に、必ず片手程の人数は存在する。
いや、頭の良いあの娘なら、龍と結ぶ可能性の方が高いだろう。
大型の竜よりも希少種の龍は、身体能力よりも頭脳の方を重要視して結ぶ相手を選ぶので、女性と結ぶ割合が大型竜よりも高い。
現在、大型竜と結んでいる女性は2人。だが、龍と結んでいる女性は確か10人前後いたはずだ。
大型竜や龍と結べば、たとえ女の身でも強大な力を持った者の責任として竜騎士団の所属が強制され、その身を国の剣や盾として一生戦に縛られる。
それだけは、避けねばならない。
『……良いのか?アレは相当気に入られる性質だぞ』
長年の相棒であるヴィルグリッドに今後の事を報告すると、そんな事を訊かれた。
色々主語が抜けているが、相棒の言いたい事はよく解かる。
「ふん、そんな事解かっとるわい」
リルファローゼは、間違い無く竜に気に入られる性分だろう。
本来、竜は魂を結んだ相手以外の人間には、個体差は有るがほとんど関心を寄せない。
相棒の伴侶となる人間や同格の竜持ちの人間や血縁者にはそこそこ関心を示すが、相棒である人間を思っての事だ。
例え血が繋がっていようと、気に入らない相手だったら歯牙にもかけず徹底的な無視をするか、威嚇して相棒と自分に決して近づけさせない。
竜持ちが恋人を作ったり、結婚を考える相手がいる時は、自らの愛竜も相手を気に入るか、相手の愛竜とこちらの相性が重要だったりする。
それなのにリルファローゼは、竜の中でも特に気難しい部類に入るセラフィーリラでさえ虜にし、献身的な子守までさせていた。
大型だろうが小型だろうが、大抵の竜は子守なんぞしない。自分の仔でさえ、卵をしかるべき場所に産み落としたら、『ハイ、サヨナラ』と飛び立つのが殆どだと聞く。せめてもの情けに、周囲の危険生物を一掃しておく位が精々だ。
竜に母性や父性など、一切持ち合わせていないといって良いだろう。
そんな非情ともいえる習性を持つ竜だが、気に入った相手には懸命に尽くす。母性等は欠落しているが、情は深い生物なのだ。
リランメーゼの愛竜を思い出す。
余程、自らの相棒が命がけで産んだ赤子が可愛かったのだろう。
セラフィーリラが愛情深くリルファローゼの柔らかな頬を舐め取る姿は、大変微笑ましかった。
ヴィルグリッドも、リルファローゼを一目で気に入っていた。
老成した為か、近年では周囲の人間にも竜にも割と寛容な相棒だが、若い頃は自分も含めて中々に荒くれ者だった。
歳は取ったが、その分経験豊富な大型竜だ。今でも、嫌な相手には一切遠慮しないだろう。
そんなヴィルグリッドや気難しいセラフィーリラを一瞬で虜にしたリルファローゼは、ヴィルグリッドの言うように『気に入られる性質』なのかもしれない。
過保護と誹られようが、リルファローゼを平民として育てる。
半ば意地になりつつ、迷う事も無く着々と必要最低限の荷物を纏めあげた。
流石に執事頭のイーヴァソールやその妻で侍女頭のミライムモーネには薄々感付かれているのか、物問いた気な視線を何度も受けたが、全て沈黙で流す。
リルファローゼの分の荷物は下手に弄るとバレるので、お気に入りの服や玩具をさり気なく頭に叩き込み、持って行くものを厳選する。幸い少量で、この分なら一刻程度で一気に荷造り出来るだろう。
細々とした引継ぎの為の書類作成も苦手分野だったが、少しずつだが粗方の用意が出来た。
これで、自分がいなくてもエルトーレンならば、さして混乱もせずに爵位と領地を引き継いでくれるだろう。
なんとか引っ越し・引継ぎ作業に目処がついた頃には、隠居を決意してから半年近くも時が流れていた。
国王陛下からの正式な承認のある各書類と一緒にエルトーレンがやって来たのは、全ての準備が整ってから三日もしない内だった。
「何勝手に、やらかしてやがるんですか。この耄碌爺っ!」
夜も深け、空の支配が太陽から月と星へと変わった時分、執務室の扉をノックもせずに蹴破って入室したエルトーレンは、重要書類の束を握り潰しながら、開口一番祖父である自分を罵った。
中央の王都から国の端にある辺境の領地まで、かなりの長距離を満足な休憩も無く翔けて来たのだろう。いつも清潔に保たれている龍術師の証たる制服の長衣が、埃っぽく薄汚れている。
良く考えたら、ここ数年お互い忙しく、一切顔を会わせていなかったが、すこぶる元気そうだ。
「……真夜中なのに、元気そうじゃのぅ」
先程の一吠えで、屋敷中の人間が起きてきそうだとの非難も込めて言ってみたが、自分と同じ琥珀色の眼にギロリと射殺さんばかりに睨み返され、一蹴された。この孫恐い。
「本人の承諾も無く、色々裏から根回し済みで、ある日突然爵位と領地を押し付けられたら、こうもなりますよ」
確かに、王都で龍術師の中でもそこそこ責任の有る地位に就き、父親の爵位と領地も継ぎ気楽な独身貴族を謳歌していたエルトーレンには、今回の件は寝耳に水だったろう。
ある日突然任命され、拒否権無し。自分だったら、キレて暴れ回る自信がある。
「ギルファやリランの墓参りに、一回でも帰って来てたら、相談でもしたんじゃがの」
その言葉に、ぐっと詰まるエルトーレン。痛い所をつかれたとばかりに、ばつが悪そうに視線を逸らした。
「……っこっちだって、お祖父様に西の後始末を押し付けられてなきゃ、ギルファ兄さんの時にだってすぐにでも駆けつけたかったですよ!」
………そういや、領地が心配だからと色々面倒な事後処理を周りに押し付けたかの。
それを孫だからと、残していった事後処理の殆どがエルトーレンに回ってきたのは、想像に難くない。
―――あの時は、ギルファランスが死んで落ち込んで自暴自棄になって、周りに迷惑を掛け捲った。巡り巡ってほぼエルトーレンに回ってきたみたいだが。
「それに、その後の結界の修復だとかも押し付けられて、やっと終わったと思ったら、色々綻びが見つかったって規模が国全体になってたし……」
もう、かける言葉が見つからない。
国境等の国の重要地域にかける龍術師の結界魔法は、術を掛ける時に長期間持つようにと繊細な術式と緻密な計算が必要とされる。
結界魔法は龍術師だけの専売特許というわけでは無く、竜騎士にだって出来ない事は無いが、殆どの竜騎士達は頭脳労働に向いてなく、術式と計算を考えるだけで酷い頭痛がしてきて脱落する。
修復や補修とはいえ、無駄に神経と時間を使うその過酷な作業を、国の上層部はちょうど良いとばかりに目の前の孫息子とその部下達に押し付けたらしい。ちなみに、どんなに最速で仕上げても龍術師5~10人程度の一班だけでやれば、軽く数十年単位はかかる任務だ。
エルトーレンの言い訳から始まった愚痴はいつの間にか、部下の使えなさから次第に竜騎士の悪口へと流れ、終いには竜騎士団上層部や国の愚痴と言うか罵詈雑言にまで発展していた。
王族やその周囲に聞かれたら、不敬罪に処されてもおかしくない。まぁ、実際は聞かれた所で鼻で笑って更に面倒な仕事を押し付けられるだけだろうが「あのハゲ」とか「〇〇〇野郎」とか、うっかり本人に聞かれたら殺されかねない単語もかなりの声量で呟かれている。
「―――……で、とりあえず一区切りついたと王都に帰ったら書類の山が積まれてて、いつの間にか従兄の嫁さんは死んでるし?身動きも出来ずに必死に書類を処理してたら、祖父が突然の引退と領地・爵位を押し付けてきた……ってどういう事ですかゴルァ!」
やっと現実に戻って来てくれたエルトーレンは、掴みかからんばかりの勢いで身を乗り出して矛先をこっちに向けて来た。やっぱりこの孫恐い。
「僕の前に、まずギルファ兄さんの娘であるリルファローゼがいるでしょう!リルファを竜持ちにさせて、大型竜持ちの婿でも貰ってそいつに領地なり爵位なり押し付ければ良いんですよ。っていうか、リルファはどうしたんですか?真っ先に頬擦り位させてくれるのが筋と言うもんでしょう。ええ!?」
駄目だ。この孫壊れてる。
もう深夜に差し掛かるというのに、激務続きの上に長時間の過酷な長距離移動で壊れた孫息子は、興奮を治める事無く矢継ぎ早に捲くし立てている。
「……ちょっと落ち着け。風呂でも入って旅の埃を良く落とせ。その小汚い姿でリルファに会うな。可愛いリルファが病気にでもなったらどうすんじゃ。第一、今何時だと思っとる。幼子はとっくに眠っとる時間だ!」
こちらも負けじと捲くし立てる。
自分も数年前、戦場帰りの小汚い姿で真っ先に曾孫に逢いに行き、後でイーヴァソールやミライムモーネに散々小言を貰ったが、そんなのは完全に棚上げだ。
機能停止した孫息子は、「…お風呂……オフロ……」と呟きながら、執務室を出て行った。
エルトーレンの立てた大声や騒音で起き出して来ていた、イーヴァソールとミライムモーネ夫妻やその他の使用人達に、エルトーレンの面倒を見るように頼む。このままだと、風呂で眠って溺れかねない。
「あー、風呂の他にも夜食の用意もしといてやれ。たっぷりな!」
「はいはい」
すべて心得てますよといった態度で、ミライムモーネが他の侍女を引き連れて、エルトーレンの後を追いかけて行く。この分だと、料理人も叩き起こされるに違いない。
深夜の静寂に包まれていた屋敷が、一気に騒がしくなった。
執務室に集まっていた使用人達をさり気なく追い出す事に成功し、思わず笑みがこぼれる。
よし、これで時間稼ぎが出来た!