31.いつもと違う朝・前編
「うぅん……もう朝、か」
気だるい身体を起こして天蓋のカーテンを引いて窓の外を確認すると、薄っすらと空が白み始めている。
部屋の窓は璃皇がいつでも覗けるように、基本的にカーテンは引いていないので、外の様子もすぐに確認できた。
昨日から降り続けていた雨は夜のうちに止んでいたようで、今日は終日快晴だろう空模様だ。飛行訓練はさぞ気持ち良いだろうな。
そういえば雨だったからたいして気にならなかったけど、昨夜は私が寝る寸前頃からやけに外が騒がしかった。
騎士団全体がざわざわしていたというか……もう少し煩かったら、怒鳴り込みに行くところだったけど、まぁ何とか寝れたので良しとしよう。
竜持ちの丈夫な身体は睡眠時間も短時間で大丈夫らしいけど、成長期はやっぱり十分な睡眠を取るに越した事はない。
「よし、朝練朝練」
軽く身支度を整えて、部屋の隅に置いてある木刀を手にする。素振りだけだし折れる事はないだろうけど、念の為二本程持って行くか。
お姫様仕様だった自室は、数日にしてそれなりに変化を遂げていた。
部屋の至る所に薬草が吊るされ、真っ白くて可愛らしい箪笥の上には、璃皇の歯茎にぶっ刺さっていた例の骨を飾っている。
その隣には、編みぐるみのウサギさんが鎮座しているのだが、本物の兎の毛皮を服代わりに巻きつけておいた。何かに加工しようかととっておいた獲物の毛皮が、いいところで役に立った。
木刀は演習場に置いておいたら勝手に使われて最悪折られてしまうので、全部自室に置いている。弓や鉈なんかもね。
作りかけの木刀もその辺に転がっているので、暇な時にちょこちょこ削って製作して、なんとか木刀の残り数を減らさないように努力している真っ最中だ。
うん、改めて自室を見渡すと、かなり混沌とした部屋になったな。
ピンクの乙女空間に、蛮族が住んじゃったみたいな……否、ここは戦乙女にしておこう。鏡台とかには、変なものは置いてないから普通だし!
こんな感じの部屋だけど、自分で作り出した結果なので居心地は結構良かったりする。
魔道具とかの設備も最高のが揃っているからね、慣れれば問題ないよ。
でもまぁ、もう少し内装に統一性を持たせた方がいいかなとは思うけど……暇もないしお金も節約したいので、その内でいいかな。
今度の休みに城下町でも回って、色々見てみようっと。
終日休みの日って十日に一度しかないから、やりたい事が次々と増えていくな。
貴重な休みの為にも、今日も一日頑張らなきゃ。
しっかりと戸締りをして、自室を後にした。
ここ最近お気に入りである、竜舎近くの野原で朝練を開始しようと歩を進めるが、竜騎士団内の違和感に首を傾げる。
「……人がいない?」
今までならここまで来るのに、朝練中や夜勤明けの竜騎士たちと何人もすれ違って挨拶を交わしたりするのだが、今日は人っ子一人見当たらない。
いつもより多い位の割合で野原や遠くの岩場にぽつぽつと転がっている竜や龍の姿が見えるので、皆出払っているという訳でもないようだ。一体、何なんだろう。
薄っすらとだが、人の気配も感じる。というかよく耳を澄ませば、苦しげな唸り声の様なものがそこかしこから微かに聞こえていた。
その唸り声の正体は――確かめたくもないので、放っておこう。多分、碌な事じゃないよ。
不気味というか、嫌な予感をひしひしと感じるのは、気のせいだと思いたかった。
……とりあえず、素振りしよう。
爽やかな朝に、貸切状態での朝練も悪くないな。
昨日の雨で地面は湿っているが、大きな水溜りに気を付けて素振りや型の練習をする位だったら、全然問題なかった。
私の気配に目聡く気付いた璃皇も近くにやって来て、のんびりと寝そべりながら朝練の見学中だ。
涼やかな風も吹いて、非常に気持ちが良い。毎日こうだったらいいのに。
「……あ、龍だ。綺麗だなぁ」
ふと手を休めて空を見上げたら、一頭の龍が空を翔けていた。
それ自体は王都ではさして珍しい事でもない日常の風景なのだが、初めて見る龍だったのでついつい目を奪われる。
風に乗って、泳ぐ様に優雅に周囲を飛び回っている龍の体色は白く、真珠の様な不思議な光沢を放っているのがここからでも分かった。
眼の色は……赤かな? 皮膜や爪も同じく、血の様に鮮やかな赤だった。
アルビノっぽい配色の白龍か……神々しいなぁ。
虚弱な個体ならここまで生き残れないだろうから、実際はアルビノではないんだろうけどね。このカラーリングは何かこう……ご利益でもありそうって思っちゃう。
龍を見ると、ついつい神々しく感じて拝みたくなるのは、きっと元日本人としての性なのだろう。
「――……おや、朝の稽古ですか?」
白龍を目で追うのに夢中になっていたので、声をかけられて初めて近くに人が来ていた事に気が付いた。
以前副団長とも遭遇した場所なので、ほんの少し既視感を感じたが、副団長とは全然違う相手だった。
声のした方へ顔を向けると、白龍と同じ血の様に鮮やかな赤が、こちらを見ていた。
身に着けている制服からして、多分龍術師だろう。
「感心ですねぇ」
真珠の様な、不思議な光沢を放つ白くて長い髪を揺らして、にこやかに話しかけてくる美人なお兄さん。腰まであるサラサラストレートな長髪は、背中のあたりで緩く一つに結ばれている。
待て、お兄さん……? と、一瞬疑問に思う程の中性的な、しかも飛び切り上等な容姿をしているが、高い背丈に低い声、着崩したシャツから覗く胸板や腹筋、その全てが立派に男性のものだった。
……着痩せするタイプの細マッチョか。細マッチョ体型って、龍術師に多いよね。
優しげな微笑みを崩すことなく佇んでいる目の前のお兄さんは、シャツの釦を全て外しているんじゃないかっていう全開っぷりで、龍術師の制服を着崩していた。
全身から物凄い色気を放出していて、正直目のやり場に困るんですが。
お兄さんは、よいしょと自然な動作で璃皇の前足に寄りかかった。おい、マジかよ。
寄りかかられた璃皇は怒るでもなく、興味深そうにお兄さんの匂いを確認している。
よ、良かった……璃皇との相性はそう悪くないようだ。
生理的に受け付けないタイプの人間にやられたら、確実に相手をぺしゃんこにしてたよ。
これ以上の刺激はやめて欲しいのだが、お兄さんはあろう事か近付けられた璃皇の鼻面を、あははと楽しそうに笑いながら片手でべしべしと軽く叩きだした。ちょっ、やめてぇぇぇ!
「成る程、立派な大型竜です」
璃皇の鱗を撫でたり叩いたりしながら満足そうに頷く龍術師のお兄さんだが、その片手に握られているのは――酒瓶。
見るからに高級そうな酒瓶は、お兄さんが登場した時から、ずっと片時も離さずに握られていた。
先程からお兄さんの方から漂ってくる香り……というか臭いに、とうとう耐えきれなくなり思わず鼻を摘んだ。
「……お酒臭い」
少し離れていても分かる強烈なアルコール臭が、お兄さんに纏わりついていた。
酒樽の中身を全身に浴びたのかっていう程、全身からアルコール臭が漂っている。こいつは酷い。
先程からの、大胆というより命知らずな行動は、酔っ払った末の奇行なのだろうか。
こっちが酒の匂いに顔を顰めていてもお兄さんは気にする様子もなく、妖艶に微笑んだ。
妖艶とか男の人に使う表現でもないけど、この人にはピッタリだ。
……朝っぱらから振り撒いていい、色気と酒の匂いじゃないよ。
これは、あれだ。朝帰りのホストだ!
しかも指名率とか不動のナンバーワンのベテランホスト!
爽やかな朝だったはずなのに、一人の酔っ払いの乱入により、一気に爛れた朝になってしまった。




