2.前世と今世
私が産まれたこの家。というか、屋敷?
多分、かなり上流階級っぽい。侍女っぽい格好をしたお手伝いさんが何人もいるし、執事さんだっている。部屋も広いし。
家具だとかの調度品もよく使い込まれているが、その一つ一つ趣味が良く、高級感漂っている。
部屋数とか家の規模だとかは、まだよく分からない。乳児の私が過ごす部屋なんて、せいぜい2、3部屋だもの。って事は、それ以上はあるって事か…。
貴族様か、大商人の家って感じ?どちらにせよ、セレブだ。セレブ。
そんな感じの家なので、今生での母親の事もつい柄にも無く『お母様』と呼んでしまう。まだ喋れないから、心の中でだけど。
セラフィに『リラ』と呼ばれるお母様は、華奢な身体をした儚げな美人で、とても前世みたく『母ちゃん』なんて気軽に呼べる雰囲気じゃない。
立ち居振る舞いも優雅で、気性も穏やかかつ優しい―――正に貴婦人。
元々身体が弱いのか出産で体調を崩しているのか、よくベッドの上で苦しそうに横になっているのが心配だけど。わ、私の所為?
それでも、私の世話はどんなに辛そうでもメイドさん任せにせず、しっかり見てくれる。
「無理すんな」って言いたい所だけど、言葉も操れぬ乳児にはどうしようも無いので、素直に甘える。大変申し訳無い。
所で、赤子ってどの位で喋り出すんだろう?
声帯も発達してないからかまだまだ「あぅー」位しか言えないけど、異界語習得が現在の最優先事項だと思うので、なるべく早く喋りたい。
異界語習得の為には、どんどん聴いて喋って語彙を増やすしかないが、赤子がどの位で喋り出すのか良く解からない。あんまり早く喋り出しても、不自然だろう。
(……まぁ、深く考えても仕方ないか)
今の所、何をやるにも身体が追いついてないので、成長と共に自然と声も出るようになるハズだ。
赤子の成長なんて個人差が有るって言うし、多少早目に喋り出しても喜ばれるだけだろう。
この間なんて、掴まり立ちしただけで年配のメイドさんに泣かれたし。
お母様やその周囲のメイドさんまで涙目だったのにはビビッた。
誕生時にだって皆で号泣してた位だし、この屋敷には涙脆い人が多いなとは思ってたが、ちょっと異常だ。
この周囲の、異常な涙腺の緩さの心当たりは……有る。
生まれてこの方、まだ会ったことが無い人がいるのだ。
若い男の人―――所謂、お父様っぽい人に。
ちゃんとした屋敷に住んでいる貴婦人なお母様が、まさか未婚の母だとか愛人ってワケでも無いだろう。周囲の雰囲気でもそういう空気で無いのは解かる。
長期出張、単身赴任……だと良いなーと思うけど、誰かの面影を探すように私の顔をじっと見つめて、最終的に泣かれるってのを何人かにやられたら、残念な結果しか思い浮かばない。
多分…いや、絶対死んでるぞ、お父様。
正直会った事も無い人なので、薄情かもしれないけど特に哀しくは無い。だが、ちょっと残念だ。
そして、ちょっと怒りも湧いてくる。
お母様も使用人さん達も、皆こんなに哀しんでるのに、なんで死んじゃったんだよ。子供(私)もいるっていうのに。せめて私が産まれるまで根性で生きてろよ。
――――って、私も人の事言えないや。
前世の家族や友人達も、きっと皆泣いている。
畳の上で大往生が理想の死に方だったのに、あまりにもあっさり死んでしまった。
ボールを追いかけた子供がトラックの前に飛び出した瞬間、反射的に身体が動いた。
死ぬ瞬間、しぶとく受け身とか取ろうとしたけど、全然ダメ。人対トラックじゃパワーバランスが違い過ぎる。せめて乗用車クラスだったら、生きてた気がするんだけど。
あんまり考えたく無いが、最期はスプラッタだったかもしれない。
……庇った子供にゃ相当なトラウマだろうな。まぁ、強く生きろよ。そしてもう路上でボール遊びはするな。
そういや、トラックの運転手のおっさん、突然飛び出して来た人間轢いちゃって気の毒って一瞬思ったけど、明らかに飲酒運転でスピード違反だったような……。うん、同情の余地無し。刑務所入っても、どうせ数年で出てくるんだろうな。ムカつくわー。家族が闇討ちしなけりゃ良いけど。
まぁ家族も友達も、泣くだけ泣いたらその内立ち直るだろう。
特に家族なんか、兄嫁さんに赤ちゃんなんか出来たら、孫に夢中になって私の事なんてあっさり忘れてくれるに違いない。
櫻井一族に精神弱い人は皆無なので、一時落ち込んでてもいつかは浮上する。友人も似たようなもんだろう。
どちらにしろ、時間が解決してくれる。
前世に残してきた家族に対して、そう心配はしなかった。心配しても、助けられないし。
むしろ、今生の家族(使用人含む)の方が精神弱そうで心配だ。
特に、お母様。
私やメイドさん達の前ではあまり泣かないが、偶に夜中とかお母様の眠る寝室で啜り泣く声がするし、朝目元が赤くなってる。
本当に「無理すんな」って言ってやりたい。突然赤子がそんな事言ったら、ショック死されそうで怖いけど。
よし、さっさと喋れる様になろう。話し相手が出来れば気も紛れるハズ。
ついでに歩いたり走ったりして屋敷中引っ掻き回せば、哀しさなんてどっか飛ぶ。飛ばしてやる。
お父様の事なんて、私が忘れさせてやんよ!
決意も新たに掴まり立ちからの歩行訓練をしていたら、屋敷が俄かに騒がしくなった。
いつも冷静な執事さんの大声や、屋敷中の人がバタバタと玄関の方へ駆けて行くのが、締め切った部屋からでも微かに聞こえる。
「?」
この屋敷での初めての喧騒に何事かと思うが、殺気立った気配はしないのでまぁ危険は無いだろう。
それより歩行訓練だ。歩行訓練。
ぷるぷるする両足を叱咤して、テーブルに両手でしがみ付きながらも、横へ横へと移動する。
転んでも柔らかな絨毯があるので怪我も痛みも無いだろうが、テーブルの角に頭ぶつけたりは気をつけなきゃ。
まだ身体に対して頭も大きくてバランス取れないし、足の筋肉も付いてないので、ちょっと気を抜いたらやりかねない。
精神や思考が17歳な分、その辺気を使いながらの作業だ。
夢中になってテーブル周りをぐるぐる移動していたら、大きな音を立てて近づく存在に気付いたのは、その音が部屋の近くに来てからだった。
「?!」
ガチャガチャと重そうな金属音をさせてこちらに歩いてくる人がいる。
一体誰なのだろう?屋敷の使用人とは、足音や気配が明らかに違う。
他の部屋には目もくれず、真っ直ぐこちらに向かって来た人物は、ノックもせずに物凄い勢いで入室して来た。
「……っ!」
猛禽類の様に鋭い眼に、深く刻まれた皺。
腰に佩いた、存在感のある実用性重視の大剣。
重い金属音の正体は、老いても尚屈強な身体を包んでいる鎧だろう。
見える素肌には、所々包帯が巻かれていて血が滲んでいる。―――明らかに戦場帰りだ。
目の前にいるのは、百戦錬磨の気迫を放つ老兵だった。