17.ガル爺の憂鬱
「リルファの将来について、一度徹底討論です」
エルトーレンにそう宣言され、ヴォレルアースにある領主時代の屋敷に戻って来て、早二週間近く――――
正直もう、帰りたい。
「大体、お祖父様はいつもいつも……―――って、聞いてるんですか?!」
「………おう、聞いとるわい」
積み上げられた書類を怒涛の勢いで片付けつつ、長年溜まりに溜まった恨み辛みを聞かせるエルトーレン。
小さい頃のあの可愛さは、一体何処へ行ったのか。
「リルファを平民にしたいというお祖父様の気持ちも解かりますが、僕の事も考えて下さい」
すっかり冷め切ってしまった紅茶で一度喉を潤し、気を落ち着けたエルトーレンが、静かに切り出す。
「竜持ちで無い人間の寿命なんて、100年と無いんですよ?リルファもこのままだと、後70年生きるかどうか……。お祖父様だって若くは無いし……ヴァリエーレの人間が、僕一人になっちゃうじゃないですか」
エルトーレンが言いたいのは、家の存続云々よりも血縁者がいなくなり、自分独りきりになってしまう恐怖の方だろう。
上位種の竜(龍)持ちならば、竜の格によって親しい友人や血縁を寿命で喪う事も多い。
エルトーレンも、龍持ちとしてはまだまだ若年の、200歳と少し―――そろそろ、若い頃に出会った同年代の小型竜持ちの友人・知人の多くと別れ、自分との寿命の違いを痛い程実感する頃だろう。
本来ならば、龍とほぼ同等の寿命を持つ大型竜を愛竜にするリルファローゼの父、ギルファランスがエルトーレンの傍にいたのだ。
この先の孤独を想像し、焦っているのだろう。自分も大型の竜持ちとして、気持ちはよく解かる。
頭ごなしに説得されるより、こうして切々と訴えられると、決心がグラグラ揺れてくる。
「………早く嫁さん貰え」
「今迎えても、仕事に追われてる内に数十年……気が付いたら、相手が寿命間近という未来が見えます」
速攻で、素っ気無く帰って来る答え。
「そもそも、結界魔法の補修作業もまだ終了していないので、お見合いする時間もありません。領地の管理も忙しいし」と、大量の書類に埋もれながら言われてしまうと、それ以上強く言えない。元凶、全部ワシだし。
室内に、気まずい沈黙が流れる。
もう、本当に帰りたい。
近くにある窓を開けて、そのままヴィルグリッドに飛び乗って、リルファローゼの待つ家に帰ってしまいたい衝動に駆られるが、ぐっと耐える。
ここで帰ったら、怒り狂ったエルトーレンが地の果てまで追いかけて来るだけだろう。ついでとばかりに、リルファローゼまで拉致されるに違いない。
長々と深い溜息を吐いたエルトーレンが、重い沈黙を破って切り出した。
「……いっそ、リルファを龍持ちにさせてしまえば良いんですよ。龍術師なら、戦になっても結界張る為に後方配備が多いし、僕も傍で護れます」
「そうさせたくとも、肝心の龍がいなければどうにもならんぞ」
大型竜よりも希少種の龍は、相棒を探す自由な龍として国に来る事が、数十年に一度あれば良い方だ。そう都合良く、龍がやって来るわけが無い。
ちなみに、自由な大型竜ならば、数年に一度来れば良い方だろう。
「ここ数年、大型竜も龍も割と頻繁にやって来ているので、その辺は大丈夫ですよ。こういう時は次々と来るものです」
「………豊作期か?」
「おそらく」
数十年から数百年に一度、大型竜や龍が続々とやって来る所謂“豊作期”と呼ばれる時期がある。それが、今この時とは―――
「今更リルファを龍持ちにさせようとも、その為の教育を受けてないからの……」
子供を竜持ちにさせる教育は、行儀作法や一般教養、武術の訓練の他に一般的に使われるエルテノ文字に、魔法文字や神聖文字とも呼ばれるアーギオ文字まで習わせておくのが、貴族の常識だ。
自分もそうだったが、複雑で数も多いアーギオ文字を一から覚えるとなったら、相当苦労する事になる。
そうだというのに、エルトーレンは何故か自信満々な笑みを浮かべた。
「目指すだけなら良いじゃないですか。それに、教育に関してならご心配無く。リルファはアーギオ文字まで、ちゃんと使いこなしてますよ」
「………なんじゃとっ?!」
「文通する度に数文字ずつアーギオ文字を教えていたら、いつの間にか使いこなしてました。今では、アーギオ文字交じりの文章の手紙を書いてますよ。リルファは、本当に頭が良いですねぇ」
何してくれとるんじゃ、この孫は……!
「聞けば、リルファは狩りの名手だとか。弓は龍の気を惹くのに少々弱いですが……喧嘩も強いそうだし、資質は充分です」
琥珀の瞳を煌かせながらエルトーレンが語る内容は、大方執事のディーヴァルクト辺りから流された情報だろう。
「いっぱい食べるガル爺の為に、いっぱい美味しいモノ獲りたいの!」と可愛い事を言われて、本人の筋も良くてついつい熱心に教えてしまったが、こんな事になるとは予想外だ。
すでにエルトーレンは、リルファローゼを龍持ちにさせる気満々である。………さて、どうしたものか。
「―――あの娘の意思は、どうなる。将来、商人になりたいそうじゃぞ?」
リルファローゼは、小さな頃から何故か「商会興して、醤油と味噌の伝道師になる!」と張り切っている。
いくらこちらが反対しても、リルファローゼの意思は固い。あまり反対し過ぎると、最終的に家出でもして勝手に商人になってしまうだろう。
現に、今ですらこちらの事は無視して「商会設立資金稼ぎ」と称しては森の奥深くに籠もっては狩りに明け暮れ、何日も帰ってこないのだ。
屋敷に帰ってくる度に大量の獲物を抱えて来るので、資金稼ぎは順調なのだろう。毎回、獲物のいくつかを「ガル爺達に」と置いていくので、文句も言えない。
しっかりしているのは良いが、貴族の令嬢として何かを大分間違えてしまった感がある。
庶民に育てようと、大した贅沢をさせずに育てて来たのが、いけなかったのかもしれない。
「別に、愛龍がいたって商会位興せるでしょう。貴族の事業の一環として、やらせれば良いのです」
こちらの葛藤を他所に、エルトーレンは事も無げにそう言い放った。
小型竜が愛竜ならば家庭に入るのが一番だが、女性の身でも愛龍を持つ程の実力があれば、商会の一つや二つ興した所で誰も文句は言えないだろう。
「それに、自ら荷車を引いて商いをするよりも、ずっと安全です」
確かに、山賊の危険が常に付き纏う商人生活は、充分危険といえる。
こちらの目の届かない所で危険な目に遭われるよりも、龍持ちにしてこちらが出来るだけ護れば良いという気持ちも、よく解かるが――――
「リルファを龍持ちにしてしまえば、ずーっと手元に置いておけますよ?」
物凄く、魅力的な囁きだ。
寿命が長くなれば、それだけ嫁に行かせずに手元に置いておける時間も長くなる。
強固に固めたはずの決心が、ぐらりとまた揺れる。
こんな甘言に釣られてはいけない。竜瀬の儀では、小型竜や中型竜が愛竜になる可能性の方が高いのだから。
だが、それでも――――
「………本人が、それでも嫌がったら?」
「勿論、竜瀬の儀を行うかは、本人の意思を尊重しますよ。ただ、一度リルファ本人に会って、説得する機会が欲しいだけです」
一度想像してしまった、魅力的な希望には逆らえず、不承不承「リルファに一度、エルトが会いたがっているとだけ話してみる」と、言ってしまった。
顔を綻ばせ、「それで充分です」と嬉しそうにしているエルトーレンに、悔し紛れに忠告しておいてやる。
「リルファは、こっちの言う事なぞちっとも聞かんぞ。最悪、逃げ出すな」
「そしたら、仕込んでおいた餌を発動するまでですよ」
何かよからぬ事を企んでいる顔で「そろそろ、良い頃合ですからね」と呟くエルトーレン。この孫、やっぱり恐い。
「孫と曾孫が反抗期……」
思わず出た呟きに、追加の紅茶と茶菓子を運んで来たディーヴァルクトに「曾孫はともかく、孫は既に反抗期は終わっているかと……」と、生真面目に指摘された。
『話は終わったのか?』
「………ああ、帰るぞ」
あの後、一月以内にリルファをヴォレルアースの屋敷に連れて来るという約束をさせられてしまった。
これ以上、余計な説教や約束をさせられない内に、さっさと住処に帰ろう。
しょぼくれた自分を不思議そうに、ヴィルグリッドが見詰める。
『ガル、どうした?』
「リルファに、竜瀬の儀を受けさせる事になるかもしれん……」
『何だ、そんな事か』
とたんに興味を失ったとばかりに、フンと鼻を鳴らす相棒。その態度は、少し酷いのでは無いか?
「そんな事とは、何じゃ。こっちは真剣なのに」
『そんなの、受けても受けなくても意味が無いからだ』
「何じゃと?」
『――――ふん、もう忘れたのか?ヴィルとガルの出会いを』
もう何百年と昔の事だが、忘れるわけが無い。今でもよく憶えている。
確かに、竜瀬の儀を受けた事も無かった自分は、あの日ヴィルグリッドと出会い、そのまま勢いで結んでしまった。
『儀式など受けなくとも、竜に目を付けられれば、その時点で竜持ちになる運命だ』
『気に入った人間は、絶対逃がさんからな』と、牙を見せて笑うヴィルグリッド。
竜持ちになるのを拒否し、その後ずっと竜に付き纏われて、結局結ぶ事になった事例は、少ないながらもいくつかあった。
「まぁ、ワシらみたいなのはごく稀じゃて」
『………そうだと良いがな』
以前とは違い、エルトーレンや屋敷の者達に見送られながら、準備の終わったヴィルグリッドに乗り、家路につく。
エルトーレンが持たせてくれた、村では手に入りにくい食料品が色々とあるので、今夜は豪勢な食卓になるだろう。
暢気にそう、思っていた。
見知らぬ大型竜と共に「ひ、拾っちゃった……」と、顔を引き攣らせた曾孫に出迎えられるまでは。




