16.結ぶ
―――グルルルルルルル………
静かな森の中に、大型竜の唸り声が響き渡る。
一見威嚇しているかの様な不穏な唸り声だが、実はこれ、ご機嫌な時の唸り声。猫のゴロゴロみたいな感じって言えば、解かりやすいだろう。
つまり、目の前の大型竜が、かなり上機嫌な事が伺える。
時々、ヴィル爺が機嫌の良い時にこの音出しているから、私はまだ解かるんだけどね。竜とは関わりの無い一般の人だったら、ラスボスに威嚇されてると涙目になる事必至な重低音だ。
歯茎に刺さった骨が取れて、ご機嫌なのは解かったから、もう帰れ。さっさと帰れ、今すぐ帰れ。
そう叫びたいのを、ぐっと堪える。
何も、現在ご機嫌な竜を無闇矢鱈と怒らせたいワケじゃない。ここは穏便に帰ってもらうのが、お互いにとって一番良いだろう。
こっちを見ながら満足そうにグルグル言っている竜に、気力と勇気を振り絞って話しかける。
「………あの、帰らないの?」
『……んー?』
私の言葉に、不思議そうに首を傾げる竜。
見た目ラスボスな大型竜がその仕草したって、全然可愛く無いからな。
「えっと……だから、君の棲家ってこの辺じゃないでしょ?」
自由な竜の棲家は、その殆どが“竜の巣”と呼ばれる場所にある。
“竜の巣”とは、天空の城が中にある様な積乱雲の事では無くて、文字通り竜の集まるスポットがそう呼ばれていて、世界中に点在している。
そこでは大量のラスボス竜達が、日々激しい縄張り争いを繰り広げているので、人は決して立ち入れない―――何処の国の所属にもなっていない、正に前人未踏の竜の楽園だ。
人間の相棒を求める自由な竜は、大体がその“竜の巣”から遥々人の住む土地までやって来るのだ。
目の前の竜も、これだけ大きければ縄張りの1つもあるだろう。
そう思ったのに――――
「縄張りに帰らなくても言いの?」
『んー……別にー?なんかもう場所忘れたし、どうでも良いや』
どうやら、己の縄張りは放置し過ぎてどうでも良くなったらしい。なんてこったい!ちょっとは気にしろ!
『ところでさぁ……』
こっちに顔を寄せて来た竜がにぱっと笑うが、その笑顔はどう見てもぐわっと牙を剥いて威嚇している様にしか見えません。
ヴィル爺で慣れてしまった自分が恨めしい。気絶なんて可愛い乙女のリアクション、私には出来ないよ。
竜が首を傾げる仕草をする。
『“あいぼう”って何?』
えぇぇ、そこから……?
自分にとっては今更過ぎて、何と説明して良いのやら。
「えーっと、人と竜が魂を結ぶと云々……とか、解かる?」
『あ、なんかソレ聞いた事ある!魂結ぶと、すっごく強くなれるって!』
思ったより、人と竜の基本の知識は知っていたらしい。
竜は冠翼をピンッと立たせて、何故か得意気にしている。
何だろう……この、目の前の竜からそこはかとなく漂うアホの子臭は。
『黒いの強いから、そんなの全然興味なかったよ!』
“黒いの”って、自分の事か。
へぇ、自由な竜って人と結んだ竜とは違って名前が無いから、自分の事をそんな風に呼ぶんだ。
竜には基本、名前の概念が無いとはヴィル爺から訊いていたが、ここまでとは………。
ちなみに、人と結んだ竜は自分の事を“オレ”や“ワタシ”では無く、相方に名付けてもらった名前の頭部分2、3文字の愛称で自らを呼んでいる。
あのラスボス顔のヴィル爺でさえ、自分の事を『ヴィル』と呼んでいる程だ。顔は恐いけど、そんな所はちょっと可愛い。
『んで、貴様はどうやったら結べるか、知ってるの?』
「ちょっと待て」
『うん?』
貴様とは何だ、貴様とは。
私もついさっきまでパニクって、つい“あんた”とかかなり乱暴に言ってた気がするけど、コイツに“貴様”とか言われたく無い。
普段他の竜を何と呼んでいるのかと訊けば『おい、そこの、手前、貴様………』と、どう考えても喧嘩を売っている呼称しか返って来なかった。
目の前のこいつは普段、『そこの黒いの』とでも呼ばれる事が多いのだろう。竜のコミュニケーション能力って……!
「あー……私には、リルファローゼって名前があるんだから、せめてそう呼んで」
『リルファローゼ………リルだね。解かった』
本当に解かってんのか。
そう訊きたくなる程、軽く頷く竜。
『―――で、どうやって魂結ぶか、リルは知ってるの?』
そんなに気になるのか。
かつてジャイル達に教えて貰った事を思い出す。
「えーと、確か……愛竜になる自由な竜に、名前を付けるんだっけ?」
竜瀬の儀の後にある竜結の儀の内容は、実は殆ど知らないし、一般の人にもあまり詳細までは知られていない。
他に細かい手順を色々踏まなきゃいけないみたいみたいだけど、かろうじて、竜に名前を付けるという有名な所だけ知っている状態だ。
竜結の儀を経験したジャイル達に訊こうにも、バタバタと慌ただしく村を出て行ってしまったので、結局訊けず仕舞いだった。
『……じゃあ、付けてみて』
「はい?」
『黒いのに名前、付けてみてよ』
「ちょ、ちょっ………!」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは!
竜は良い事を思いついたとばかりに、嬉しそうに『名前、欲しい!』とおねだりしてくる。
「私が君に名前付けたら、魂結んじゃうかもしれないんだよ?」
『別に良いよー。むしろ結びたい』
「……なんでそんなに、魂結びたいの?」
そう問いかければ、実に単純明快な答えが返って来た。
『魂結ぶの、なんか面白そう!』
面白いのが一番か。
絶対深く考えて無いな、コイツ。
『結べば、リルとずっと一緒にいれるんでしょ?リルと一緒は、面白そう!』
うわー……なんか私、がっちりロックオンされとる。
「そんなに結びたいなら、私以外の奴と結んでくれ」って言おうとしたのに、この様子じゃ無理そうだ。
それでもしぶとく、説得を続けてみる。
「魂を結ぶって事は、私が死んだらあんたも死ぬって事で……一蓮托生になるんだよ?」
『え、リル死ぬの?』
「誰が死ぬかっ!」
『なら問題無いじゃん』
駄目だコイツ、話が通じない。
つい、条件反射で「死なない」と答えてしまったのは、1回死んだ経験故だろう。
『早く、な・ま・えー』
催促する様に、振り回した竜の尻尾に合わせて、ごりごり削られていく地面。
「………って、ぎゃー!ちょっと待てっ、それ以上動くな!!!」
調度竜が削っている地面には、珍しい薬草や山菜を植えている、丹精込めて育てた家庭菜園もどきがあぁぁ!
薬草も山菜も、上手く大きく育てて市場で売れば、全部で銀貨10枚―――小粒金貨1枚にはなるのに!
そこまで集めるの苦労したのにっ………商会設立資金がああああ!
「分かった、名前付けるから……それ以上尻尾を振り回すなっ!」
私のその言葉を聞いた竜は、ピタリと尾の動きを止めた。この野郎……!
「ああ、もうっ―――……名前を付けるだけだからね。魂結べるとは限らないよ!」
『うんっ!成功するまでリルに付きまとえば良いだけだし』
………今、さらっとストーキング宣言されたか?
いや、まぁ良いや。深くは突っ込むまい。
これ以上、家庭菜園を荒らされない内に適当に名付けて、さっさとここから追い出そう。
ガラガラと、自分の将来設計が崩れていく幻聴が聞こえる様な気がするが、多分きっと、ただの幻聴では無いんだろう。
……さようなら、私の輝かしい商人ライフよ。
それにしても、名前ねぇ―――
名前の概念が無い竜は本来、名前というモノに興味が無い。
なので、男名と女名を間違って名付けられても気にしないし、そもそも自分の名前と相棒の名前を覚えるので精一杯で、他の人間の名前を覚える余裕は無い。
そもそもこの世界(いや、国?)の人間って、やたら長い名前を付けたがる習慣でもあるのか、皆長ったらしい名前だしね。竜にも同じく、嫌がらせの様に長い名前を付けてしまう。
大型から小型まで……竜は皆、結んだ人間はともかく、その周りの人間まではフルネームで覚えない。精々気に入った人間を頭の名前2、3文字の愛称で呼ぶ位だ。相棒にも普段はその2、3文字の愛称で呼ぶし。
ヴィル爺にも昔、「私の名前、全部言える?」って訊ねたら、長い沈黙の後『………リルはリルだろう』との答えが返ってきた。うん、絶対私のフルネーム、覚えてないな。
となると、やっぱり短い名前が良いかな。
私もこの世界で育ってもう14年経つけど、未だにこの辺の人達の名付けのセンスは理解できないし。咄嗟にあんな長い名前、思いつかないよ。
(ポチかタマ―――は、流石に無いか)
うん、無いな。万が一それで名前が確定しちゃったら、変更出来ないしね。
あ、一応確認しとかなきゃ。
「君、雄?」
『うん、オスー』
よし、雄竜確定。
コレで、男の娘竜の悲劇も漢女竜の悲劇も起こらないぞ。
いくら竜は気にしないといっても、名付けた人間の方はずっと気にしてしまう。
うーん、どうせなら、漢字で書ける様な和風な響きの名前にしちゃおうか。
長ったらしい洋風名より、そっちの方がずっと付け易そうだし。
この世界では、私しか意味が解からないだろうけどね。
私も14歳で、調度お年頃―――厨二な名前を付けてやろう。
名前を今か今かと待っている竜を、そっと観察してみる。
1枚1枚が宝石の様に輝く黒い鱗は、仄かに青みがかっていて涼しげな印象を与えるハズなのに、じっと見ているとまるでマグマの様なドロドロとした熱量を感じて、凄く不思議だ。
何より印象的なのは、どんな宝石にも負けない綺麗な瑠璃色の眼。
瑠璃の“璃”に、玻璃の“璃”……“璃”って確か、宝玉とかの意味だったよね?
宝玉の“王”……いや、それよりもう1つ上の――――
「璃皇」
竜の眼を見てそう口に乗せた瞬間、まるで雷にでも受けたかの様な衝撃が全身を襲った。
(―――……熱い、痛い、あつい、いたいっ!目がっ、目がぁぁぁ)
決して某大佐の真似ではなくて、本当に目が熱くて痛い。
全身の細胞が、何か無理矢理別のモノに創り替えられるかの様な、感覚。
先程、竜の牙によって傷つけられた傷口を中心に、身体中が、熱くて熱くて痛くて、堪らない。
一体自分の身体に何が起きているのか、どういう体勢をしているのかすら、解からなかった。
とっくに身体は倒れ、地面に伏せているハズなのに、その衝撃にも気付かずにのた打ち回るだけだ。
(………何コレ、なんか失敗した?今度こそ私、死ぬの?)
早鐘を打ち続ける自分の心臓の他に、もう1つ、竜の鼓動が重なってくるのを、意識の隅でぼんやりと感じる。
『グアアアアアアアア』
“璃皇”の発する咆哮を聴いたのを最後に、私の意識は遠のいていった。
「………う……んっ」
生暖かい風が、頬に当たる。
そして、竜にべろりと舐められるあの独特の感触に、意識が急浮上する。
目を開けると、璃皇が嬉しそうに覗き込んでいる。
『―――あ、起きた?』
「……うん、お蔭でばっちりとね」
全身を竜の涎塗れにされたのは、赤ん坊の時以来だ。
「よっ……と」
恐々身を起こすと、身体の節々に妙なダルさは残っているが、あの強烈な熱さと痛みはすっかり引いている。
どうやら、死なずに済んだらしい。
まだ高い日の位置を見る限り、気を失っていたのはほんの数十分程度だったのだろう。
(――――…っていうか、まだ昼間だよねぇ?)
何故、昼間なのに空に星が瞬いているのか。
月ならともかく、昼間に星なんて普通見えないハズだ。
まるで世界が一変したかの様な、奇妙な違和感。
(………もしかして、視力が滅茶苦茶良くなった?)
狩りで鍛えている為か元々視力は良い方だったが、辺りを見渡せば、今までは見えなかった遠くの場所まで、細かく見えてしまっている。
そうなると、導き出される答えは1つ。
「―――…結んじゃった?」
まさかと思い、恐る恐る訊ねれば『結んじゃったー』と、グハッと凶悪だがご機嫌な笑顔を見せてくれた璃皇。
どうやら、名前を付けただけで一発で結べてしまった様だ。
………マジでどうしてこうなった。
とりあえず、今の私に言える事は――――
大型竜、GETだぜ!




