1.翡翠の竜
常にお母様の側にいる翼の生えた巨大な蜥蜴もどきは、ファンタジーな世界にいるアレに似ていた。
―――ドラゴン
東洋の蛇みたいな姿の龍よりも、どちらかといえば西洋のドラゴンだとか恐竜に似ている。
巨大な蜥蜴もどきと表現はしたが、映画だとかに出てくるドラゴンよりは、うんと小さい。部屋に入る位だし。よく分かんないけど二足歩行な分、動物園とかにいるなんか超でっかいトカゲより、大きく感じる。とにかく、見たこと無いサイズと存在感だ。
華奢な二本の後ろ足で立つ姿は、お母様より若干低い位置に頭がある。
コウモリを連想させる翼は常に折り畳んではいるが、こっちはお母様の背丈より若干高い。広げたら、どの位の長さになるんだろう。
体色は翡翠で、優美な曲線を描く身体に包まれた鱗が、日の光に一枚一枚宝石みたいに反射してとても綺麗だ。
緑柱石の様な、体色よりも鮮やかな色の瞳には理性の色が伺えて、口を開ければ鋭そうな牙が並んでいても喰べられるという心配をした事は無い。
しかも、喋れる。
声帯を駆使しているのか、はたまたあるかもまだ分からない魔法の力なのか何なのか知らないが、「ガオォ」とか「グオォ」とかのドラゴンらしい唸り声の他に、人の言葉を見事に操っている。
お母様とかなり長くお喋りしている姿を、間近で何度も見た。
本当に、何もかもに吃驚だ。今までの常識って何?ってつい思ってしまう。もう慣れたけど。慣れざるを得なかったけど!
言葉が通じ無いながらもそんな竜の存在に乳児語で突っ込み入れた日から、何だかんだともう半年位経ってしまった。
ほぼ食べる!寝る!排泄!なだけの毎日だったけど、それでも知る事や考える事は一杯あったし、自分を取り巻く環境だとかも見えてくる。
『セラフィ』とお母様に呼ばれる竜は、仕草一つも優雅で優美。人見知りなのか他にもお手伝いさんっぽい人も家に何人かいるのに、お母様以外とはほとんど喋らない。他の人にはつんとすました様な態度だ。人間にしてみたら、プライドの高い貴族のお嬢様って感じ。……雌ならだけど。声が少し高い気がするから、多分雌な気がする。
そんなセラフィだけど、私には凄く優しい。
『リル、リル』と一日に何度も呼ばれるし話しかけられるし、私以外部屋に誰もいない時、「お世話して!」と泣くといち早く側に駆けつけて、先が割れた青色の細長い舌先でペロペロと頬を舐めた後、お母様を喚んでくれる。
よく解らないけど、ツンデレってこういう事なんだろうか…?いや、只単に子守の為だけにいる竜なのかもしれない。でも、それにしてはセラフィはお母様にべったりだけど。
それでも、一生懸命お世話してくれるので、私はセラフィが大好きだ!
『リル、お外見る?』
「あぅ!」
首が完全に座るようになって、寝返りもマスターした今日この頃。たまに抱っこして窓の外の世界を見せてくれる様になった。
今もセラフィが小首を傾げて訊いてきたので、元気良くお返事。
会話だとかはまだまだだけど、簡単な単語なら段々解る様になってきた。
英語の成績とか残念な結果しか残せなかった自分に、難解な言語を覚えるのなんて絶対無理だと思ったが、予想外にするすると言葉が頭に入っていってる。
多分特別な能力だとかでは無く、乳幼児の柔らかで柔軟な脳味噌だからだ。若さって凄い。
『リル』
「あー」
セラフィが後ろ足より短くて細い前足で、そっと抱っこしてくれる。ほっそりした前足は頼りなく見えるが、竜は力が強いのか人間が抱くよりも安定感と安心感がある。それに、鋭い爪が赤子の柔肌を傷つけ無いように、細心の注意を払ってくれているのが、なんとなく解る。
本当に、優しい竜だ。
「おー」
『お外、楽しい?』
「あぅ、うー!」
窓から広がっている世界は、よく手入れされた庭園。今は秋なのか、紅葉した落ち葉が風に舞っている。
閉鎖的な空間で変化の乏しい毎日に、こうした刺激は大変有り難い。
ここら辺に竜はセラフィだけかと思いきや、この間、ガラガラと荷車を引く他の竜の姿を見た。
セラフィより大柄で骨太だが翼は小さく、体色も異なっていた。だが、間違いなくあれは竜だろう。
藁を満載に乗せたその荷車の上には、どう見ても農家のおっちゃんが乗っていて、のんびりとした空気を醸し出していた。
やっぱり、この世界で竜はかなり一般的な生物なんだろう。
人間と竜は、共生とか共存関係?にあるのかもしれない。
何にせよ、平和で良かった。平和が一番。
お母様、セラフィ、お手伝いさん、お外……
毎日少しずつ、この世界の好きなモノ、大切なモノが増えていく。
日本が恋しくない訳ではない。
時々凄く、泣きたくなる。っていうか、もう何度か泣いた。
でももう生まれ変わっちゃったし、日本には二度と還れないだろう。
うじうじしててもしょうがないし、性に合わない。こうなったらとことん前向きになってやる!
ファンタジー、良いじゃないか。むしろ望むところだ!
この平和な世界でなら、二度目の人生も楽しくやっていけるかもしれない。
まだ何も知らない私は、暢気にそう思うのだった。