9.淑女の嗜み・中編
「で、できたー!」
やっと出来上がった作品に、思わず歓声を上げる。
ハンカチに刺した花の模様を模った刺繍は、多少所かかなり歪だが、自分としては中々に上出来だと思う。
何度、この指を血で濡らした事か……!
布地に血が付かなくて、本当に良かった。
ミライムが刺繍の具合を確かめて、一つ頷く。
「………まぁ、及第点ですね」
渋い顔をされながら貰ったギリギリ合格に、ほっとする。
家事・行儀作法全般に関しては、厳しめなミライムモーネ先生です。
ある日「姿勢が悪い!」と定規を取り出された時には、思わずそれで打たれるかと身構えたけどけど、定規を背中に突っ込まれただけだった。
それ以来、定規を使わなくても頗る姿勢は良くなったけど………あの時は、本気でビビったよ。
私の渾身の作を繁々と検分して「……最悪、針子を雇えば良いですから」との呟きは、聞こえないフリをする。
刺繍が出来なくたって死にはしないから、別に良いもん!料理はまだ出来るもん!
誰しも、向き不向きはあるんだよ。
ボタン付けとか穴が開いた衣類を繕うだけとかならまだ何とか出来るから、日常生活では困らないよ。レース編みや刺繍なんて、お貴族様の道楽だろうが!
ぐるぐる渦巻く思考に、ミライムがあっさりと終わりを告げる。
「お疲れ様でした。今日はもう、外で遊んでも結構ですよ」
ミライムのその言葉に、内心に渦巻く葛藤を何とか抑えて、スカートの両端をちょこんと持ち上げて膝を折る。
「ありがとうございました」
これぞ、貴族階級の淑女のお辞儀だ。
完璧に出来たのか「あまり、帰るのが遅くならないで下さいね」と、ミライムが微笑んでくれる。
子供の教育に関しては、中々厳し目な我が家です。
ベースが異世界の常識なだけに、いつタブーを犯すかと戦々恐々な日常生活において、このスパルタ教育は大変有り難いです。
ど田舎生活だからあんまり気にしなくても良いんだけど、多分“良い所のお嬢様”として、一応ね!
淑女ごっこ楽しいとか、………ちょっとしか思ってないよ。うん。
――――さて、今日は何をしようか。
シンプルなスカートから更に動き易いズボン姿に着替え、ボロ屋敷を出て暫くした所で思案する。
イーヴァやミライムのスパルタ授業を順調にこなせば、大抵午前中だけで授業が終わってしまう。
「子供は外で遊ぶのが一番です」との教育方針で、その日のノルマが終わればあっさり解放される。
今日も、苦手な裁縫だったがさして問題も無く――寧ろ早目に授業が終わってしまった。
二人ともあのボロ屋敷を何とかしようと日々奮闘してるから、私ばかりに構ってられないんだろう。
イーヴァなんて、庭の手入れから内装の修繕までこなす、スーパー執事と化している。
二人の奮闘のお蔭で、最近やっと廃墟っぽさが薄れてきた屋敷は、隙間風も無くなってとても居心地が良くて過ごしやすい。
そんな居心地の良い空間だが、忙しく働く二人の邪魔をしては悪いので、雨が降ってない限りなるべく外に出ている。
意外と、子供の教育に熱心なこの国。
識字率だって、簡単な単語なら誰でも読める位には高い。
ただ辺境のこの村には学校と呼べるようなモノは無く、精々寺子屋レベルの規模のモノが、辛うじてあるだけだ。
私はイーヴァとミライムが家庭教師状態なので、そこで勉強を習った事はまだ無い。
村長さんに頼み込まれたガル爺が、ほぼボランティア状態で剣術を教えに行っているので、一回位は授業を受けてみたいんだけど。
ガル爺の剣術指南では何人か筋の良いのがいるらしく、結構楽しそうに指導している。
今日も、ガル爺はその寺子屋もどきに剣術指南に行っているハズだ。
今頃調度、村の子供達に剣術指南を終えた所で、熱心な子供達に捕まって質問責めにされている頃だろう。
稽古見学なら良いけど、ガル爺が質問責めにされて困っている姿を見物しても、何も面白くない。剣術、私には教えてくれないからね。
この間やっと、おねだりと泣き落としと食事ストライキを駆使して、弓を教えて貰える事になった。
もう少し大きくなったら、一緒に狩りに行く約束も取り付けているので、凄く楽しみだ。
さて、まずは―――
森の入り口に着いた所で、今日のおやつにと持たされたモノを確認して、思わず溜息を吐く。
(やっぱり、パンか……)
あんなに嬉々として皆を焚き付けて米粉パンを作らせたっていうのに、そろそろ毎日米粉パンには飽きてきた自分がいる。
いや、味は作る毎にどんどん良くなっているんだけどね………私の主食はやっぱり炊いた白米なんですよ。銀シャリ最高。
そんな嗜好の人は意外に村の人たちの中にもいたらしく、ある程度米粉パンを堪能した後「やっぱり、いつもの炊いた米で充分だわ」と、結局そっちに落ち着いた人もちらほらいる。
食べようと思えばいつでも安価で食べられるっていう安心感で、今までのパンに対する渇望が薄れたのかもしれない。
米を粉にした後、発酵だ何だとかなりの手間隙をかけなければいけないのも、理由の一つなんだろうけど。やっぱ、米は普通に炊いた方が楽だよね。
我が家もガル爺のブラックホール胃袋のお蔭で、最近では自家製米粉パンはあまり食卓には登場しなくなっている。
手間隙かけて米粉パンを作るよりも、今日のおかずを一品でも多く大量に!という食卓を預かるミライムの戦法の為だ。
ただ、近所のおば様方の「リルファちゃん、今日の新作の味見して!」っていう米粉パン攻撃が一日で結構ある。
餡子があるなら、アンパンとかどうよと、気軽に教えちゃったのがいけなかったのかもしれない。
それ以来、中に具を包み込む、惣菜パン祭りです。
レパートリーは、無限大。具とパンが合わなくて微妙なのもあれば、前世でも味わった事の無い程凄く美味しいのもある。
そして必ず味の感想訊かれるのが、また困る。
ガル爺は、味がかなり微妙なのでもすっごく美味しいのでも、全部「美味しいのぅ」ってリアクション変わらないし。
だから貰ったモノは、なるべく私やミライムが一口でも食べて感想が言えるようにしている。残ったパンは、ガル爺の胃袋に処分して貰う。
貰い物の試作米粉パンだけでお腹が一杯になってしまう日も、しばしばだ。
これで太らないのは、身体を鍛える為に一杯動くのと成長期だとかのお蔭だろう。
自家製米粉パンは無くとも、近所からのお裾分けの米粉パンは、毎食出てくる日々。
もういい加減米粉パンから皆の興味を反らせたくて、「どうせなら、パンよりも麦酒を毎日飲めりゃ、最高なのにな」と冗談半分で言っていたその辺のおじさん達に、新たな無茶振りをしてみた。
「お米でパンを作れたんなら、お米でお酒も作れるんじゃない?」
私のその言葉で目の色変えたおじさん達は、正直ちょろいと思う。
おじさん達は、その後速攻で『お米のお酒開発研究』を熱心にやり出した。
5歳児の戯言にこんなに簡単に踊らされるなんて………いつか、悪い人に騙されたりしないか心配だ。
例え出来上がっても麦酒とは味も見た目も全然違うだろうけど、別にお米でお酒は出来るんだし、嘘では無いから良いよね。
日本酒完成したら、料理の幅も広がるだろうしね。
せっかく他に目を向けさせようと思ったのに、この作戦に引っかかったのは米粉パン製造に全然関わりの無い、おっさん連中だけだった。
……冷静に考えたら、主婦は酒よりも主食の方に重点置くよね。どうかしてた、私。
米粉の副産物で、春巻きや東南アジアのフォーっぽい食べ物が他の村でいつの間にか開発されて、おかんネットワークでファンドルク村まで流れてきたのには驚いた。
フォーっぽい米粉で作った麺は、東南アジアにある奴とは違ってスープはすっぱ辛くない洋風の味付けで、食べ易くて滅茶苦茶美味しい。
これは、この辺の人達マジパネェととるべきか、お米の可能性マジパネェととるべきか………嫌、両方マジパネェか。
それでも、この村ではまだまだ惣菜パンブームが続いている。
今日のおやつは、生地に多分―――山林檎が練りこまれていて、甘い匂いをふんわりと漂わせている。中を割れば、甘酸っぱい林檎ジャムがたっぷりと包み込まれていそうな、非常におやつに相応しい一品だ。
コレを誰が作ったのかは知らないが、もしかしたら次は、菓子パンブームが来るのかもしれないな………。
嫌な予感に苛まれつつ、おやつをまた袋に仕舞って、森の中に歩を進める。
ぶくぶくと醜く肥えない為にも、今日は徹底的に身体を動かそう。
今日の行動が漸く決定したので、迷い無く先を歩く。
幸い、この森の中は村人にも見つからない、稽古に最適な場所がいくつもある。
道すがら、先程完成したばかりのハンカチを取り出す。
刺繍は苦手だけど、こうやってそれなりの形になると、凄く嬉しい。一応、ちゃんと花に見えるもんね。
「おい」
何か聞きたくない相手の声が聞こえたけど、幻聴だ、幻聴。
さて、このハンカチはエルトおじ様にでも贈ろうか。
刺繍も歪でまだまだ拙くて、人様にあげるのには申し訳ない出来だけど所詮は5歳児の作品だし、エルトおじ様ならきっと喜んでくれるだろう。
いつもおじ様には、色々貰ってるからね…―――
「おいってば!聞いてんのかチビ!」
「あ゛?」
後方から叫ばれた台詞にゆっくり振り向くと、相手をするのには村の中でも相当面倒そうな相手の顔があった。
「オレを無視するとは、良い度胸だなぁ!」
その小者臭い台詞と同時に、手に持っていたハンカチを取り上げられた。
「あっ、……ちょっと、何するの!」
丹精込めて作った作品が!
エルトおじ様に贈るモノなのに、汚い手で触るんじゃねぇ!
ハンカチを取り上げた相手に抗議の声を上げるが、相手は何人かの取り巻きと一緒に、面白そうに嗤っただけだった。
その反応に、怒りのボルテージが一気に上がる。
ハンカチを奪った相手の名は、ジャイルトーアン。
この平和なファンドルク村で“悪餓鬼”と呼ばれる、乱暴者で一番の問題児だった。




