6.ガル爺の引っ越し・おまけ
――――下見位、しとくんじゃった…。
何とか辿り着いた引っ越し先は、見るも無残な姿だった。
たいした人の手入れも無く、ボロボロに荒れている屋敷を見て、後悔しても遅かった。
この屋敷にはかつて、中型の竜とその相棒の竜騎兵の男が生まれ故郷だからと終の棲家として住んでいた。
妻も子も無く、かつて我が領地の自警団の中でもそこそこの名を馳せた部下が死した後、かつての約束通りに自分の終の棲家として屋敷を買い取って百年余―――。
愛竜の為の広々とした竜舎と庭も、見るも無残に朽ち果てている。
ヴィルグリッドは荒れた庭が気に入らないらしく、自らの棘だらけの尻尾で勝手に雑草だらけの地面を均して、荒涼とした大地に変えていた。ウチで働いている庭師がこの後景を見たら、卒倒もんじゃな。
まだ荷物を全部降ろしていないので正直やめて欲しかったが、居心地良い空間を作れたのか均したばかりの地面に座り満足そうに喉を鳴らすヴィルグリッドを見ると、怒るに怒れなった。
泥だらけになった残りの荷物を回収して、屋敷の中の様子を確認する。
管理人をしている夫妻がこの集落の村にいたハズだが………死んだか。
よく考えれば、屋敷を購入して早百年余が経っている。当時の管理人夫妻も、もう死に絶えてしまっただろう。
だが屋敷の中をよく見れば、埃はそれ程溜まって無く、人の手が入った形跡が伺える。
管理人夫妻の血縁者かは知らないが、年に一度か二度でも屋敷を掃除している人間がいるのだろう。
どうやら、まったくの廃墟というワケでは無いらしい。これは有り難い。
残されていた魔道具の類も、盗まれる事無くそのまま放置されていた。
魔道具は、魔力の無い人間でもその恩恵に与れる、高級品だ。で、これまた高級品の魔石が無ければ動かない為、どちらも竜持ちで無い限り、庶民ではまず手に入らない。
この屋敷の魔道具には魔石が設置されていないので、起動しない魔道具だけだったらゴミにしかならないだろう。
然るべき所に売ればそこそこの金になったかもしれないが、そのまま放置されているという事は、そんな悪事を働く人間はこの村周辺にはいないという証拠だ。
幼い子供を育てる環境としては、まずまずだろう。
持ち合わせの魔石を設置して、魔道具が起動するか一つ一つ確認していく。
いくつか壊れていたが、この程度なら修理したり新しく買い直さなくても、多少不便ではあるが生活する上でなんら支障は無い。
ランプ型の魔道具の確認をしていると、傍のソファに寝かせていたリルファローゼが、ようやく目を覚ました。
「ガルじぃ……ここ、どこ?」
「新しいお家じゃよ」
「…んー?」
まだ眠そうに目元を擦りながらも不思議そうに、小首を傾げるリルファローゼ。
しゃがみ込んで視線を合わせ、根気良く言い聞かせる。
「リルファとガル爺とヴィルは、今日からここが新しいお家なんじゃよ」
リルファローゼが馴染みの侍女達の名前を呼びながらきょろきょろと視線を彷徨わせたが、目当ての人がいないので一層不安の色を濃くする。
「あー、新しいお家には、リルファしか連れてこれんかったんじゃ。ごめんな」
ワシのその言葉に、リルファローゼは暫く考えるように眉を寄せて真面目な表情を作り、やがてこっくりと一つ頷いた。
「んー……うん、わかった」
リルファローゼは周りを見回して、何やら納得したのかうんうんと頷いている。
なんて聞き分けの良い、良い子なんじゃ。
一人感動していると、リルファローゼが「おきがえしたい」と言い出したので、荷物を漁って着替えを数着出してやる。
多少皺になっているが、まぁ大丈夫だろう。
着替えを手伝おうとすると「ひとりでおきがえ、できるよ!」と主張されたので、そっと見守る。
おぼつかない手で一生懸命着替えるので、思わず手を出したくなるが、ぐっと我慢した。
これから平民として育てるというのに、甘やかすのは良くないし、子供の成長にも良くないだろう。
そんな曾祖父の心も知らないのか、リルファローゼはたまに「あれ?」とか言いつつも、何とか着替えを一人でやってのけた。
「できた!」
多少よれよれながらも、初めての着替えでこんなに上手に出来るとは、感動ものだ。
それから三日程はそんな感じで、エルトーレンからの突撃も無く屋敷の大掃除に追われていた。
リルファローゼは「おてつだいしゅるの!」と張り切り、一生懸命掃除や料理を手伝ってくれている。
料理に興味が有るのか、この地方特産の調味料である味噌と醤油を見てやけに興奮していた。
将来、良いお嫁さんになるだろう。
だがそんな二人と一頭きりの時間は、あっと言う間に破られた。
「ガルトラント様!」
「げっ」
馬車に荷物を満載させ、やって来たのはイーヴァソールとミライムモーネ夫妻。
二人共、半ば攫う様に強引にリルファローゼを連れて来て、相当怒っているらしい。
特に貫禄の有る身体を心持ち後ろに反らし、腰に手を当てているミライムモーネは、物凄い迫力だった。
「何故ここが分かった…」
「屋敷の購入書類等も持ってくるべきでしたね。後、ヴィルグリッド様を見て、近隣の住民が恐慌状態です」
イーヴァソールの言葉に、項垂れる。書類、忘れてた。
それに確かに、こんな田舎にヴィルグリッドみたいな大型竜が降り立ったら、騒ぎにならないハズが無い。書類が無くとも、どちらにせよここを突き止められるのは、時間の問題だっただろう。
それからは二人に散々怒られ、説教された。
リルファローゼの教育方針に関して、エルトーレンも暫くはこちらに任せるらしく、「リルファに何かあったら、すぐ連れ戻しに来ますからね!」との恨みの籠もった伝言付きで二人をこちらに寄越したそうだ。
とりあえずは突撃は無いらしい。
「屋敷だって心配だろう?リルファと二人で平気じゃから、別に帰っても良いんじゃぞ」
「こちらの方が心配です。……それにもう、帰るのは無理でございますので」
イーヴァソールが静かにそう言ったのと同時に、物悲しい獣の断末魔が木霊する。
まさか―――
慌てて外に出ると、ヴィルグリッドの口からはみ出している、馬の足が目に飛び込む。
基本、竜持ちの家に馬はいない。
竜持ちが移動手段に馬に乗ろうとすると『何故“おやつ”に乗る!』と怒る愛竜に、容赦なく馬を喰われる。“おやつ”に相棒が乗るのは、食物連鎖的に矜持を傷つけられるらしい。
馬より小さい小型の竜でさえ嫌がり、自ら竜車でせっせと相棒を運んでいる。
周囲の者にもそれが適用されるらしく、竜持ちで無い家族や召使いでも馬に乗るのは、気に喰わないようだ。
屋敷の目に映る範囲に馬がうろうろしているといつの間にかいなくなり、満足そうな顔をした愛竜の腹が膨れているという話は、竜騎士達の飲み会の席では毎回誰かがぼやいている。
『……“おやつ”じゃないのか?イーが、食べて良いって言ってたぞ』
「口から出さんで良い!出さんで!ああ、もう…―――」
こうなっては、老人二人に大荷物抱えて帰れとは言えない。
ヴィルグリッドを唆したイーヴァソールの勝ち誇る顔に、苛っとする。
「『ずっと貴方に付いて行く』と、約束しましたでしょう?」
五百年程前にそう誓った男の子孫に、同じ表情で同じ台詞を吐かれ、脱力した。
完全に、こちらの負けだった。
こうして老人三人と子供一人と老竜一頭の、新しい生活が始まった。




