そして、僕は手を上げる
「こっち向いて、撮るよ」
シャッターを切る。
瞬間を切り取る。
朝からずっと、膨大な量を切り取り続ける彼女は
悲しいから、とてもよく笑った。
並木道の桜は、夜の空に青白く浮かんで見える。
ざぁざぁ、音がする。
風が強いから、桜の花びらが舞う。
僕は思わず目を閉じる。
そんな瞬間すら残そうとして、切り取る音が聞こえる。
やっと目を開ける。
彼女が居ないから、周りを見渡した。
そんな僕をも、切り取る音がする。
「こっち向いて、撮るよ」
振り向くと、距離をとって彼女が立っていた。
最後の瞬間を切り取ろうとして、一眼レフを構えている彼女は、
心がねじ切れてしまいそうだから、静かに微笑んでいる。
「…ごめん」
大学のカフェは夕方になってもまだうるさかった。
僕と彼女は、それでも比較的人が少なかった一番奥の窓際の席を選んで座った。
僕には目的があった。
卒業して春が来たらこの町を出ると、そう彼女に告げたあの時、
彼女は窓の外に目を向けたまま、
じっと僕の話に耳を傾けていて
一通り聞き終えると、
一度だけ大きく深呼吸をした。
そして、
”最後は、出会った場所で”と、そう決めたのは彼女だった。
距離をとって一眼レフを構えている彼女に
どんな顔をすればいいのかわからなくて、僕はただ立ち尽くした。
彼女もしばらくそうして、じっと構えていた。
桜が舞う。
出会ったときと同じように、僕と彼女の周りをくるくると。
「別れなんて、ただの電車の駅と同じ」
彼女は、一眼レフを胸の前まで降ろして、
やっぱり微笑みながら、そう言って沈黙を破った。
「終着地点であり、スタート地点。それに、そんなのよくある」
僕は言葉を声にできない。
ごめん、とか
ありがとう、とか
そんな言いたくない言葉ばかりを
もう今は、並べなくちゃいけない。
「だから、平気よ。あなたも、私も」
僕が何か言うのを、彼女はもう待たなかった。
もう一度一眼レフを構えて、彼女は笑った。
「一枚だけ、最後に」
何年か振りに、僕はどうしようもなく喉の辺りがきゅうっと熱くなるのを感じて、
ぐっと息を飲んで、それを押しとどめた。
彼女がにっこりと微笑んだので、
僕も口の両端をぐっと引き上げて、笑った。
シャッターを切る。
瞬間を切り取る。
朝からずっと、膨大な量を切り取り続けた彼女は
悲しいから、とても優しく笑った。
そして、僕は手を上げる。
もう、手を振らなきゃ。
さよなら、だよ。