うわさ話(2)
居酒屋にて。
今日はコバちゃんと佐伯と俺の3人。
「今日、話しかけてきた人は、なんとなく意地の悪い感じで。」
と、佐伯が本社で聞いた話をする。
「橘さんは恋人にふられてカッコ悪いから異動した、って言うんですよ。優秀って言われてきた自分の評判にキズがついたから、そういう話が知られていない本社の外に出たって。」
「ずいぶんだねぇ。」
「ふられたのも、真面目すぎておもしろみがない女性だったからだ、とも言ってました。」
「なんか、その人に恨まれてるのかな?」
俺の疑問にコバちゃんが答える。
「恨まれてるっていうか・・・。その話をした人は、佐伯さんが春香さんを気に入らないように、わざとそんな風に言ったんだよ。佐伯さん、春香さんのことを褒めなかった?」
「うちの職場にもすぐに馴染んだし、仕事ができて助かってるって言った。」
「自分のお目当ての人が、ほかの女の人を褒めるのを聞いたら、意地悪も言いたくなると思うよ。」
女の恨みってやつ?
「春香さんはそんな人なんだから、私を見てっていう意味だよ。逆効果だったみたいだけどね。あたしが話を聞いたのは、同期の男の子だからちょっと見方が違うかな。」
男性社員がコバちゃんと話すチャンスを逃さないのは、佐伯の場合と同じ。
「春香さんは前の職場では“お姉さん”的な人だったって言ってた。」
俺も佐伯も「?」。
「仕事ができるだけじゃなくて、いつもにこにこしているし、面倒見がよかったって。誰かが失敗したときは一緒に考えてくれたり、落ち込んでると声かけてくれたり、つまり“素敵なお姉さん”。」
うちには佐伯という年下の男性もいるが、2人を見ていてもそんな風には見えないな。
「男の子たちはみんな、すごくいい人だったって言うから、ときどき一緒に飲みに行くよって言ったら、ものすごく驚かれたの。春香さんが居酒屋に行く姿が想像できないって。」
歓迎会では酔っ払って大笑いしてたよね?
「春香さんに憧れてた社員も何人かいたらしいけど、彼氏が本社で有名な人で、みんなあきらめてたんだって。総務部の中村さんて知ってる?中村一真さん。」
「!」
俺が新人のときに面倒を見てくれた人だ!
当時からエリートと言われていて、一緒にいると、女性社員がちらちらとこっちを見ていたっけ。あの人と付き合ってたんだ・・・。
「その中村さんが、春香さんと付き合ってることを全然隠そうとしなくて、春香さんも自然に振る舞ってたから、もちろん結婚するとみんなは思っていたらしいよ。いきなりの破局で、一時は本社中がその話題で持ち切りになったとか。」
橘さんも有名人だったんだなぁ。
それにしても。
「コバちゃんは、橘さんのことお姉さんタイプに感じる?」
「ううん、あんまり。仕事はすごくできて尊敬してるけど、それ以外では逆に面倒見てあげたくなる感じで。」
「俺も、橘さんは見守られる側の印象が強いですね。」
「そうだよなー。けっこう天然なところがあるもんな。昨日はマウスのコードが抜けてるのに気付かなくて、「パソコンが壊れた!」って慌ててたし。」
3人ともその顛末を思いだして笑いが起きた。
橘さんは入力するときに、カーソルの移動にはたいていTabキーを使っている。
入力が終わって、さてマウスで・・・と思ったら動かない。接続コードが抜けていただけだったのに気付かなくて、いろいろ試したあと、困り切って業者に電話した。
業者は点検項目を一つずつ指示してくるんだけど、そのひとつ目が「マウスの接続コードは緩んでいませんか?」だったんだ。
一瞬息をのんで、緩んだどころか外れたコードを持ち上げた橘さんは、真っ赤になって電話に頭を下げていた。
隣なんだから、俺にちょっときいてくれればよかったのに・・・っていうか、気付いてあげればよかったんだけど。
そのあと橘さんは、帰るまでずっと落ち込んでいた。
「なんていうか、表情が豊かだよね。独り言も言ってることがあるし。」
「パソコンに向かってつぶやいているあれですか。」
「たまに癇癪起こしてるところも見たことある。人にじゃなくて、物にだけど。」
「誰かのお土産の饅頭を頬張ってしゃべれなくなったところも見た。」
「本社の人たちの話とはだいぶ印象が違うよね。」
もしかしたら、俺の知っていた優等生の橘さんが本社のときの橘さんで、前に彼女が話していた“大学時代”の橘さんが今の彼女なのかもしれない。
この職場に来て、橘さんが元気になった・・・のならいいな、と思った。
「本社でどんなことを言われても、あたしたち3人で、橘さんを守ってあげよう!」
コバちゃんが張り切って言った。
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橘 春香
前の職場では今みたいに笑わなかったような気がする。
おもしろいこともいろいろあったはずだけど。
きっと、椚くんたちのおかげだね!