表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/77

ようやく・・・。


「よかった!急いで来たの。」


と言ったまま、玄関で靴も脱がないまま俺にしがみついている橘さんは、会えない間に想い描いていたよりもずっと可愛らしかった。


それに、橘さんは泣いていない。


以前のとおり元気そうで、俺に会えて嬉しいという気持ちが、その笑顔いっぱいに表れている。


それが何より嬉しい。


「ごめんね、心配かけて。それに、一人でがんばってくれて、ありがとう。」


橘さんの言葉に、思わず目頭が熱くなってしまう。


とりあえず中に入ってもらって、コーヒーを淹れる。前に約束したとおり、それは俺の仕事。


橘さんが買ったカップを出して注ぐと、彼女はそのカップを見てにっこりした。


「もうこのカップを見ることはないと思ってた。」





コーヒーを飲みながら、橘さんは話し始めた。


「今日はメールを待ってたの。」


今日はってことは、昨日までは違ったのか。


「どうして、今日になって、気が変わったの?」


「犬に追いかけられて・・・。」


そう言って、橘さんは思い出し笑いでしゃべれなくなった。


犬に追いかけられたことと、メールを待っていたことが、どうつながるんだろう?


ようやく笑いが治まると続きを話し始める。


「現場を見に行った途中で、道路沿いの家の生け垣から犬が出てきてね。ものすごい勢いで吠えながら追いかけてきて、佐伯さんと一緒に猛スピードで逃げたの。あとで、そんなふうに犬が出て来たこととか、必死で走ったことを思い出したら可笑しくて、大笑いしているうちに、何にでも立ち向かえそうな気がして、元気が出てきたの。」


笑ったら元気が出たなんて、橘さんらしい。


「で、椚くんのことはもういいやってあきらめがついて、」


「“もういい”って、どういうこと?!」


まさか、今日は別れ話をしに来たのか?!何にでも立ち向かうって、そういう意味?!


「そう思ったんだけど、コバちゃんと佐伯さんが、椚くんがわたし以外の人を選ぶはずがないって言うから。」


思いっきりうなずく。


「だから、今日、メールを待ってたの。読んでみようと思って。」


「ってことは、今までのメールはやっぱり・・・。」


「実は、あのあと、アドレス帳から椚くんを消しちゃったから、誰からかわからないメールになってて・・・。」


さすがに俺に悪いと思っているらしい。声が小さくなっていく。


「たぶん椚くんだとは思ったけど、最初は断りの言葉を見るのが恐くて、あとは、椚くんじゃなくて迷惑メールかもしれないと思って、全部、見ないで捨てちゃってた。」


なんと徹底してることか!さすがだ。・・・と思うけど、がっくりする。


メールが読まれていない可能性があるとは思っていた。でも、そう考えるのと、見ないで捨てたと言われるのとは全然違う。


「じゃあ、電話に出なかったのは・・・。」


「誰からの電話かわからないから。さっきはちょっと出てみようかと思ったけど、やっぱり勇気が出なくて。ごめんなさい。」


とにかくすぐに橘さんに携帯に、俺の情報を登録しなくちゃ!


「だから、とにかく今日は最初のメールを見てすぐに家を出たの。『ちょっと待ってて』って送ったとき。」


そういうときは、『ちょっと待ってて』とは言わないのではないのだろうか?


「で、ここまで来てから、もしかしたら外に出てるかもって思って、『どこ?』ってメールしたの。」


「夜なんだから、呼んでくれたら俺が行ったのに。」


「大丈夫だよ。このくらいの時間なら、残業とか飲み会で遅くなるのと同じだもん。」


すっかりたくましい橘さんだ。


「そういえば、椚くんのアドレスをコバちゃんに教えてもらえばよかったんだ!」


そうだね。


でも、こうやって来てくれて嬉しいよ。







「実家に電話をくれたんだってね。」


「うん。きちんと話をしておきたかったから。」


「お母さんが、お父さんには、椚くんの体調が悪くて来られなくなったって説明してた。わたしはお母さんに違うって言ったんだけど。」


お母さん、ありがとうございます。


「お母さんが、『また別れたなんて言ったら、お父さんが怒るから』って。」


「お父さん、怒ると恐いの?」


「恐いって言うか、長いの。あの連休の間、ずっと不機嫌だと面倒だから。」


それで俺は救われたのか。


「でも、お父さんが椚くんは体が弱いのかって訊いてた。そんな調子で結婚しても大丈夫なのかって。」


大丈夫です。ご心配をおかけしました。


そうだった!


「今でも、俺と結婚してくれる気持ちはある?」


「・・・うん。」


橘さんのはにかんだ表情が可愛い。


俺は引き出しにしまってあった指輪を出してきた。


橘さんに左手を出してもらって、薬指にはめる。


「もう返さないでください。」


俺が言うと、橘さんが笑った。


「うん。もし、返してくれって言われても、返さない。」


そんなこと、起こるはずがない。


「返さないで、売り払っちゃう。」


さすが橘さん!


彼女のこんなところが大好きだ。


マイナスを帳消しにするのではなく、ゼロを飛び越えてプラスにするぐらい強力なユーモア。


彼女と一緒にいると、前向きな気持ちがわいてくる。


ずっと考えていたことを話す。


「あのホルスタインの模様のソファを買おうと思ってたんだ。」


「あれを?嫌がっていたみたいだったのに。」


「でも、橘さんが面白がっていたのを思い出したら、すごくよさそうな気がしてきた。」


「緑色のカーペットも?」


「そう。緑色のカーペットも。」


「もし、わたしが椚くんと仲直りしなかったら?」


「それでも買うつもりだった。橘さんを思い出すから。」


橘さんは少しの間、黙っていた。


「・・・ありがとう。」


あれ?泣きそう?


テーブルの上の彼女の手を握る。


少し涙目になった顔を上げて、彼女が微笑む。


「でも、この部屋には置く場所がないと思うけど。」


「どうしようもなかったら、立てて置くよ。」


2人で部屋を見回しながら笑った。幸せだ!





なかなか言い出しにくかったけれど、俺たちの一番の問題である三上さんのことを橘さんに話す。


「いろいろ説得しようと思ってやってみたけど、ダメなんだ。」


意気消沈する俺を、橘さんがなぐさめる。


「好きな人を簡単にあきらめることはできないと思うよ。」


本当に俺を好きなのかは疑問だ・・・。


「もう、ただの意地だとしか思えないけど。」


「確かに、あんなふうにみんなの前で言っちゃったら、あとに引けないよね・・・。」


それだけじゃなさそうなんだけどね。


「コバちゃんから聞いたんだけど、三上さんが宣戦布告だって言ったって本当?」


「ああ。確かにそう言ってたなあ。」


「それ、わたしにってことだよね?」


「・・・まあ、そうみたいだった。」


「じゃあ、わたしが出て行かないとダメってことだよね?」


だけど。


「そんな必要ないよ。」


「ううん。そうじゃない。わたし、最近はみんなに守られてばっかりで、立ち向かうことを忘れてた。今回は、それじゃ解決できないと思う。」


何か考えがあるのかな?


「全面対決しかないかな。」


え?


橘さんと三上さんが向かい合っているところが目に浮かんだ。その間でおろおろする自分も。


大丈夫なのか?


不安が顔に出ていたらしい俺に、橘さんがにっこりと微笑む。


「大丈夫。大声でケンカするわけじゃないから。」


それでもやっぱり不安だ。橘さんがまたみんなの注目の的になってしまう。


そう言うと、彼女は笑った。


「もう慣れた。それより、本社にいる椚くんの方が苦労するよね。」


そうやって、俺のことまで心配してくれるんだね。


「あれ!こんな時間だ。」


立ち上がった彼女のそばに行って抱き締める。


そのまま彼女の耳元でささやいた。


「今日は泊って行って・・・・・!?」


「やだ!だめ!」


気が付くと、腕の中には彼女はいない。下からくぐって抜けだしたんだ!


それに、「やだ」って・・・?


俺たち、仲直りしたばかりの恋人同士じゃないの?!


ショックで呆然とする俺の前で、橘さんは耳を押さえて笑っている。


「ごめん!わたし、ないしょ話できないの。くすぐったくて。子どものときからずっと。あー、ぞわっとする!!」


本当に首や肩のあたりが気持ちわるいらしい。俺の腕をくぐって乱れた髪のまま、耳を押さえて体をくねらせている。


その姿が妙に色っぽい。・・・言葉はちょっとあれだけど。


もう一度、彼女を抱き寄せた。


今度は逃げられないように。






* −−−− * −−−− * −−−− * −−−− * −−−− *




橘 春香




あらら?







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ