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佐伯勇樹(6)回想・その4



夏になったころには、橘さんは困った顔をしなくなって、俺とも普通に話をしてくれるようになっていたので、最初の不安も消えていた。


不安は消えたけれど、その頃、あることが気になっていた。


橘さんの、俺に対する距離だ。


物理的な距離ではなくて、人間関係の距離。


たとえば、俺の片腕の長さを半径にした円の円周上が、俺と普通の人との距離だとする。


普通の人 ―― 同僚とか、友達との距離。椚さんやコバちゃんも、だいたいこのくらい。


でも橘さんは、そこから一歩離れたところにいる。


気付いたときには、まだ異動してから間もないし・・・と思ったけれど、2か月たっても、3か月たっても、橘さんはそれ以上近付いて来ない。


椚さんやコバちゃんも一緒に話しているときには、橘さんも同じくらいまで歩み寄ってくれるのに、気が付くとまた遠くにいる。


今まで、無理矢理近付いて来ようとする相手はたくさんいた。うっかりすると、円の中に踏み込んで来ようとする人も。


そういう相手には毅然とした態度を示してきたし、危ないなと思った相手には警戒してきた。


でも、橘さんは円から離れた場所にいるだけ。


用事があるときには、大きな声を出して「あのですねー!」と用件を叫ばれているか、その場所から思いっきり手を伸ばして何かを渡されているようなイメージだ。


どうして?


俺は拒否してないのに。


それが橘さんの距離の取り方だと信じられればよかった。


けれど、そうじゃない。


椚さんとはもっと近いのだ。


その円で言えば、椚さんに対しては、円の中に一歩入っている。


絶対。間違いなく。


椚さんの方はそんなことには気付いていないようだった。


つまり、橘さんと距離が近いことを、椚さんは自然なことだと感じている、ということではないか?


仕事のことで何か分からないことがあったとき、橘さんは、最初に椚さんに訊く。


隣なんだから、と片付けられればいいが、俺だって向かい合って座ってる。


そりゃあ、椚さんとの間には障害物がなくて、俺との間には机が2つ挟まっているけどさ!


仕事の説明をしたのは俺なのに。


椚さんが外回りでいないときは、急ぎなら俺に訊いてくる。


でも、急ぎじゃなければ椚さんが戻って来るのを待って質問している。


「ねえ、椚くん。これって・・・。」


この言葉を何度聞いたことか。


俺、そんなに頼りにならない?


それとも恐い?・・・とは思われていないようだけれど。


だって、俺が話しかけても嫌な顔はしないし、普通に話したり笑ったりしている。


それは椚さんやコバちゃんと話すときと同じくらいの親しさだ・・・と思う。


でも、彼女の方から話しかけてくることは少ない。ゼロじゃないけど。


なんだか・・・気になる。


円の向こう側にいる橘さんに、もう一歩前に来てほしい。


椚さんやコバちゃんと同じ列に並んでくれたらいいのに。





そんなことをときどき考えながら、夏が過ぎて行く。


職場にいるときには目の前の橘さんの様子が面白くて、彼女が仕事に熱中しながら百面相をしているのを、ついつい見てしまう。


外回りから戻るときにはドアを開ける前から橘さんの「お帰りなさーい。」を思って楽しくなる。


朝、駅で偶然、橘さんと一緒になったりすると、その日一日、いいことがありそうな気がする。


俺の話で笑ってくれると嬉しい。


電話や窓口に出るときの橘さんは聡明な感じで、誇らしい気がした。(なんで俺が?とは思ったけれど。)


仕事がよくできる橘さんに認められたくて、俺も仕事をがんばった。


・・・でも、橘さんは、俺よりも椚さんと仲がいい。





ある昼休み、コバちゃんと橘さんが話しているのが聞こえていた。


コバちゃんが自分の失敗談を話しているようだったが、どうやらその失敗の場に椚さんが居合わせていたらしい。椚さんがフォローしてくれなかったと、コバちゃんが話している。


それを聞いた橘さんが一言。


「椚くんは、気が利かなそうだもんね。」


やった!勝った!


と思って、はたと気が付いた。


最近、俺は椚さんと自分を較べてばかりいる。


しかも、“勝った”ってなんだ?


椚さんと、何を勝負しているんだ?




それは、橘さんが・・・。




橘さんが?




橘さんが、俺をもっと頼ってくれたらいいのに。


もっと話しかけてくれたらいいのに。


椚さんは、ただ中学で一緒だっただけなのに、それだけであんなに仲良くなるなんて、ずるい。


不公平だ。





・・・変だな。


椚さんが俺に何かしたわけじゃないのに。


なんで、ずるいとか不公平だとか思うんだろう?




『嫉妬』


という言葉が浮かんできて焦る。


え?


どうして?!


俺が、椚さんに嫉妬してるってこと?!


橘さんのことで?!





カーッと顔が熱くなった。


自分が誰かに嫉妬するなんて、思ったこともなかった。


それが、橘さんのことでなんて!


毎日、目の前にいるのに!


どうしよう?!





思いっきり動揺している自分にますます焦って、慌ててその場から離れた。





休憩コーナーで冷たい缶コーヒーを買って座る。(どうか、誰も来ないでくれ。)


まだ顔が熱いし、心臓がドキドキしている。


何が何だか、よくわからない。


なんで、こんなことが自分に起こっているのかということも。


俺、橘さんのことが好きなのか?




確かに、最近ずっと思っていた。


もっと話しかけてくれたらいいのに。


もっと近付いてくれたら嬉しいのに。


それって、友達以上にっていう意味だったのか?


よくわからない。混乱している。





誰かが近付いてくる足音がして、顔を上げると椚さんだった。


外から戻って来たようで、汗を拭きながら「いつまでも暑いよなあ。」とか言っている。


どうやら、俺の顔が赤いのも、外から戻ったからだと思ったらしい。


よかった・・・。


自販機でコーヒーを買う椚さんの後ろ姿を見ながら、気持ちを落ち着けようと深呼吸をして、冷たい缶を額に当てる。


とりあえず今は、このことを考えるのはやめよう。


家に帰ってからゆっくり、落ち着いて。







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