佐伯勇樹(4)回想・その2
翌日は朝から一日中、外回りをしていた。
昨日のことがあったので、橘さんから離れられてちょっとほっとしていたのは確かだ。
顔を見ただけで困った顔をする人を相手に、どうしたらいいのかわからない。
最後に回った場所で話が長引いて、職場に戻ったときには橘さんは帰ったあとだった。
4月3日。橘さんに仕事を引き継ぐ日。
事務所に着くと、橘さんはもう来ていた。
「おはようございます。」
と、微笑んであいさつをしてくれたけれど、なんとなく緊張感が漂っている。
大丈夫かな?俺も、橘さんも・・・。
そんな心配も、実際に引き継ぎを始めてからは消え去った。
橘さんはとても熱心で、まるでこの1回の説明ですべてを覚えようとしているみたいだった。
俺はその勢いに押され気味で、仕事の説明に集中するしかなく、余計な心配などしている余裕がなかった。
それと同時に、これほど真面目に仕事に向かう橘さんに尊敬の気持ちすら覚えた。
椚さんが外回りだったので俺が椚さんの椅子を借りて、橘さんのパソコンを開きながら、一日かけて引き継ぎをした。
そうやって仕事の話をしているときの橘さんは、俺に対して何の屈託もないようだった。午後になると、ときどき笑顔も見せるようになった。
別に嫌われてたわけじゃないんだな。
そう思うと、ほっとした。
これから長い時間、向かい合わせの席で仕事をすることになる相手なのだから、いい関係でいられる方がいい。
夕方、一通りの話を終わって自分の席に戻ると、さすがに疲れていた。
顔を前に向けると橘さんと目が合って、
「ありがとうございました。」
と、にっこり笑ってお辞儀をしてくれた。
たったそれだけのことなのに、胸の中が温かくなった気がして、俺も自然と笑顔になった。
そういえば、その日だ。
橘さんの「お帰りなさーい」を初めて聞いたのは。
夕方、椚さんが帰って来たときに言ったのが最初だったのではないだろうか。椚さんが驚いていたから。
その日の歓迎会でも彼女は元気いっぱいで、たくさん笑っていた。
翌週の月曜日は、午後から橘さんに建設現場を見せに車で出かけることになっていた。
金曜日にはだいぶ打ち解けたと思っていたので安心していたら、月曜日の朝、橘さんはまた緊張した顔をしていた。
緊張というよりも、初日に見た困った顔だ。ずっとではないが、時折現れるその表情が気になってしまう。
「もしかして、車に酔いやすいですか?」
午後になって、一緒に駐車場に向かいながら、そうであってくれと願いながらたずねると、
「大丈夫です。」
と、弱々しく微笑んだ。
じゃあ、原因は俺?
2人だけで出かけるからって、警戒されているんだろうか?そんなふうに見えるのかな?
・・・ちょっと傷つく。
でも、車に乗ってからの橘さんには、何か覚悟が決まったような様子が現れて、仕事関係の質問が次々と飛び出した。
午前中に先週のおさらいをしたらしく、分からない言葉や仕事の内容をあれこれ尋ねてくる。
コバちゃんや椚さんと乗り合わせて外回りに出ることもあるけれど、これほど仕事の話ばかりしていることはない。
確かに、橘さんは異動してきたばかりだし、早く仕事を覚えようという気持ちはわかる。
それにしても仕事熱心な人だと、あらためて感心してしまう。
現場に着いて、危険防止のためにヘルメットを渡されると、橘さんは少し嬉しそうな顔をした。
普段はできないことをするのが好きなのかも。
ちょっと微笑ましい。
建設資材や手順を簡単に説明しながら見て回ると、橘さんはリラックスした様子で、興味深そうに聞いていた。
車に乗ると、また緊張した表情になったけれど、今度は今見てきた現場に関係する質問を次々としてくる。
本当に熱心だな。それに、覚えが早い。
先週、引き継いだ仕事の内容とどう関係があるのかをすぐに理解してしまうところは、まさに前評判通り、優秀な人だと思った。
もう一か所の現場を見て、事務所に戻る。
その頃になると、さすがに橘さんも疲れたようで、口数が少なかった。
事務所に入る前に俺は休憩コーナーに寄り、橘さんは「ありがとうございました。」と俺に礼を言って、先に席に戻って行った。
とりあえず、引き継ぎは一通り終わってほっとした。
橘さんの緊張が俺にもかなり大きく影響していたことに気付く。
人見知りの激しい人なんだろうか?
嫌われてはいないようだけど・・・。
ドアを開けて事務所に入ると、橘さんと椚さんが楽しそうに笑いながら話しているのが目に入った。
なんで?!
そりゃあ、椚さんとは同級生だったって聞いてるけど、それほど親しくなかったようなのに。
しかも、14年も会ってなかった相手だよ。
椚さんが、なんとなく安心感を与える人なのはわかるけど、こんなに目に見えるほど違うなんて・・・。
なんか、ショックだ。