佐伯勇樹(2)事件のあと
橘さんを送ったあと、椚さんを駅で待っていた。必ず来ると思っていたから、電話もメールもしなかった。
椚さんに橘さんの気持ちを伝えると、橘さんに劣らず悲しそうな顔をした。
俺は、椚さんが三上さんとのことを片付けるまでの間、橘さんを支えると約束した。
椚さんは少し不安そうな様子だったけれど、俺の決意をわかってくれたと思う。
自宅に着いて、ベッドに仰向けになって、今日のことを思い返す。
三上さんは、最初から、椚さんに気持ちを伝えるつもりで来ていたのだろうか。
橘さんが来ることは、三上さんには予想外だったようだけれど。
椚さんの相手が橘さんだということは知っていたんだろうか。
同じ職場だったと言っていた。でも、仲が良かったわけじゃない・・・と感じた。
むしろ、敵意?
もしかしたら、今日はただ、椚さんと一緒にいたくて参加したのかもしれない。
・・・俺と同じ?
いや、三上さんと俺は同じじゃない。
来た理由は同じかもしれないけれど、俺は好きな人の幸せを壊したりしない。
三上さんは自分のために、椚さんに橘さんを捨てろと言ったのだ。言葉が違っても同じことだ。
椚さんの気持ちを無理矢理に自分に向けさせようとした。
俺にはそんなことはできない。
あの2人を見て、わからないのか?
2人が並んで幸せそうにしていたのを見ていたはずなのに。
それとも、見たからだろうか?
橘さんへの敵意と椚さんへの愛情で、あんなことをしたのだろうか?
俺には理解できないし、橘さんをあんなに苦しめている三上さんを許すことはできない・・・。
携帯の着信が鳴った。コバちゃんからだった。
うっかりしていた。きっと、心配しているだろう。
『佐伯さん?』
しっかりしたコバちゃんの声が、とても懐かしい気がする。
『大丈夫?』
「うん。橘さんは、ちゃんと送り届けた。椚さんとも話をしたよ。」
ちょっとの間。
『春香さんはどんな様子だった?』
コバちゃんに、橘さんが言ったことと、俺が椚さんにした頼みと約束のことを話す。
『そう・・・。佐伯さん、たいへんだったね。』
そんなことない。あの2人に比べれば。
『あたしも春香さんのことが好きだから、悲しんでほしくないよ。一緒に応援するから。』
「うん。」
俺が元気がないと感じたのか、コバちゃんが今日の会で、俺と橘さんが部屋を出て行ったあとのことを気軽な口調で話してくれた。
『佐伯さんが走って行ったあと、あたし、椚さんを思いっきりひっぱたいちゃったの。』
え?三上さんじゃなくて?
『バレーボールのアタックみたいに叩いちゃったから、椚さん、ひっくり返っちゃって。』
それで、すぐには追いかけて来れなかったのか。そういえば、椚さんの顔、少し腫れていた。
『で、椚さんに、ちゃんと警戒してないのが悪いって文句言って。』
さすが、コバちゃん。
『そのあと、あの女に、これからはあんたの男は全部奪ってやるって、タンカ切ってやった。』
おお!コバちゃんみたいな美人に言われたら、迫力あるだろうな。
その光景が目に浮かんできて、思わず笑いがこみ上げる。
『だけど、あの女、平然としてるんだよね。あたしが、わざと春香さんの前で言ったでしょうって言っても、宣戦布告だって居直っちゃって。』
「あれ、わざとなの?」
『そうだよ!気が付かなかった?ずっと、タイミングを見計らってたんだよ。あたしもさすがに、何をするつもりかはわからなかったけど。』
様子がおかしいとは思ってたけど・・・。
『あきらめさせるまで、ちょっと時間がかかるかもしれないね。あそこまでやるってことは、かなりの決意が必要だから。』
そうか・・・。
『でもまさか、椚さん狙いの人が混じってるとは思わなかったね。』
「俺も。」
2人でため息をついた。
『そういえばね、3人が出て行っちゃったあと、河野さんっていう人があたしの面倒を見てくれて。』
「面倒って・・・?」
『あたし、泣いちゃったから。春香さんがあんな目に遭うなんて、くやしくて泣いちゃったんだ。』
コバちゃん・・・。
何て言ったらいいのかわからない。
「気付かなくてごめん。」
『いいの。河野さんが、あの女に帰れって言ってくれて、あたしが落ち着くまで一緒にいてくれたの。河野さんて、佐伯さんの同期?』
「そうだよ。元気で遠慮のない人だと思ってたけど、けっこう親切なところもあるんだね。」
『うん。河野さん、今日の女子メンバーを集めたのは自分だからって、責任感じちゃってて、気の毒だった。』
いろんな人が三上さんの一言で悲しい思いをしている。
『あたし、明日、春香さんに電話してみる。様子がわかったら、佐伯さんにも連絡するね。』
「ありがとう。お疲れさま。」
『うん。おやすみなさい。』
コバちゃんの元気な声を聞いたら、少し気持ちが軽くなった。
同じことを一緒に心配できる相手がいるのは、とてもありがたいことだ。
橘さんと出会って一年と少し。
彼女が俺たちの職場に来てから、俺と椚さんやコバちゃんの関係が変わったような気がする。
止まっていた歯車が動き出したような。
絆が強くなったような。
不思議だ。