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佐伯勇樹(1)ファンの集い



気が進まなかった。


女の人に囲まれるのは好きじゃない。


だけど、椚さんが困っているのはよくわかったし、コバちゃんも一回くらいならって言い始めた。


そのうえ橘さんに「勇樹くん」なんて呼ばれて、可愛らしく頼まれたら、断れないじゃないか。


橘さんの特別な人は椚さんだってわかっているけど、少しの時間でも近くにいられたら、俺は幸せだ。


だから、その会に出ることをOKした。






会場に着いてみると、ロビーに橘さんがいた。


ここで最初に会ったのが橘さんだったのが嬉しかった。


昼間、職場で一緒だったけど。


どうやら部屋で何か騒ぎがあったらしい。


荷物を置いてロビーに戻ると、橘さんが泣いている女の人の面倒をみている。同期の渡辺さんだ。


以前、橘さんと親しくしていて、久しぶりに会って感激しているようだった。


そのとき、渡辺さんの言葉が耳につきささった!


「橘さん、指輪?」


指輪って?


わざわざ指摘される指輪って・・・。


「椚くんにもらったの。」


嬉しそうな橘さんの声が聞こえた。


目の前が、一瞬暗くなる。


いつか、2人は結婚するって感じていたし、覚悟もしていた。


でも、実際に目の当たりにすると、そんな覚悟では足りなかったことを痛感した。


それからしばらくは現実と心が別々になったような気分だった。


自分の体はここにいて、女の人たちに愛想よく話をしているけど、心は窓の外からそれを眺めているみたいだった。







会が始まってから少し経ったころ、俺は三上さんの様子がおかしいことに気付いた。


自分で言うのもなんだけど、今日は俺に会いたい人ばかりが来ているはずだったのに、三上さんは俺には近付いて来ない。


内気なわけじゃない。同期だから、彼女がどんな人なのか少しは知っている。


だいたい、今日、三上さんが来ていること自体、驚きだったのだ。


俺がそんな疑問を持って見ているとも知らず、三上さんは何か考えている様子で、ビュッフェテーブルのそばに立っていた。


一応、声をかけておこうか。


今日の自分の役割はわかっている。


あとで椚さんに職務怠慢だとか言われるのもいやだし、もしかしたら、本当は話しかけたくてもできないのかもしれない。


こういうのは好きじゃないけど、ちょっと頑張って、あとで橘さんに褒めてもらおう。


周りにいる女の子たちが料理や飲み物を取りに行って入れ替わる隙に、俺も料理を取りに行くついでを装って、三上さんに近付く。


「お久しぶりです。お元気でしたか?」


話しかけると、三上さんは俺に気付いて微笑んだ。


「ええ。元気にしてます。佐伯さんは相変わらず人気がありますね。」


「見た目だけですけど。」


つい自嘲気味になる。


「今日、橘さんがいらしてるんですね。」


三上さんが、部屋の隅で椚さんと一緒に座っている橘さんを見ながら言う。


「ああ、今日は小林さんの付き添いなんです。小林さんが、今日の集まりには女性の知り合いがいないだろうから来てほしいって、頼んだので。」


橘さんと知り合い?


「そうなんですか。・・・私、橘さんと同じ職場だったんです。」


でも、仲が良かった雰囲気じゃない。


三上さんは橘さんと椚さんが仲良く話しているのを見る。


この会話をどう続けたらいいのかわからなくなって困っていると、河野さんに声をかけられて救われた思いがした。


河野さんは話し上手で、うまく会話を仕切ってくれた。


そうして話したり笑ったりしながら、三上さんは俺目当てでこの会に来たわけではないという確信を持った。






1時間を過ぎたころ、会全体が落ち着いてきたのでほっとしていた。


ずっと愛想良くしているのは、すごく疲れる。


俺は無愛想に見えるかもしれないけれど、実はかなり気を遣う性格なのだ。


ワインでももらって座りたいと思って、テーブルを見ると、橘さんが料理を選んでいる。


椚さんは?・・・向こうに座ったままだ。やった!


足取りも軽く、橘さんのそばに行って話しかけた。


指輪をもらったって、俺が話しかけちゃいけなくなったわけじゃない。


友達(弟)なんだから、今までと同じだ。


橘さんはお皿を持ったままこっちを向いて、にっこりした。


「ちゃんと食べてます?」


俺が女の子たちに囲まれていたから、腹が減っていないか心配してくれたらしい。


こんなささいなことでも嬉しい。


そんな俺の気持ちには気付かない様子で、橘さんが小声で続ける。


「みんな綺麗ですよね。誰か、気に入った人はいました?」


単刀直入な質問。思わず笑ってしまった。


橘さんの、こういうところも好きだ。


「いいえ。みんな美し過ぎて、迷いっぱなしです。」


「そうよねぇ。」


橘さんは料理を見つめてうなずいている。


彼女は料理に迷っているようだ。


一緒に料理を見ながら話していると、うしろから声がかかった。


「橘さん。」


う。椚さんだ。ヤキモチ妬かれちゃったかな?


橘さんと一緒に振り向きながら、俺と橘さんが女の子たちの注目を浴びていたことに気が付いた。


その直後、左の方から椚さんを呼ぶ声がした。


三上さん?


椚さんが立ち止まってそっちを見る。その途端。


「椚さん。私、椚さんのことが好きです。椚さんには橘さんがいるのはわかっているけど、私にチャンスをもらえませんか?」


一瞬、その場の空気が凍りついた気がした。


そして、カタン、という音。


橘さんが皿をテーブルに置いた音だった。


そのまま部屋から走り出て行く。


「橘さん!」


名前を呼ぶと、俺の脚の呪縛が解けて、橘さんのあとを追うことができた。


ロビーに出ると、外へ続くドアが閉まるところだった。





外に出て、彼女が道路に出るところで追いついた。


「橘さん。」


呼ぶと、恐怖の表情で振り向いたけれど、俺だとわかるとほっとしたようだ。


誰を恐がっていたんだろう?


「ごめんなさい。今は戻りたくないんです。」


あんなことがあったんだから無理もない。


「少し、歩きますか?」


ひと回りすれば落ち着くんじゃないかと思ってそう言うと、橘さんはうなずいた。


来るときに小さな公園があったのを思い出して、そこへ向かう。ほんの2、3分のところだ。


木のベンチに腰掛けて、俺のジャケットを肩にかけてあげると、橘さんは顔を上げて、俺に笑って見せる。


「女の子たちに見られたら大変。」


冗談を言ってるつもりなんだろうけど、その表情が悲しそうだ。


「大丈夫ですか?」


「・・・あんまり大丈夫じゃないです。」


弱音を吐く橘さんは初めて見た。


わりとストレートに感情表現をする橘さんの困っているところも、怒っているところも見た。


でも、こんなに悲しそうなところは見たことがない。


それに、いつも楽天的な橘さんが弱音を吐くなんて。


「椚さんが心配してますよ。」


俺の言葉に、橘さんは下を向いてしまう。


「・・・椚くんに会うのが恐い。」


「恐いって・・・?どうしてですか?」


「ほかの人を選ぶって言われるかもしれないから。」


なんで、そんな?


「椚さんが、橘さん以外の人を選ぶなんてことありませんよ。」


それはきっと、誰の目にも明らか。


「そんなことわからない。絶対変わらないなんてこと、誰にも言えない。だって、前も同じだったもの。3年も一緒にいたのに。結婚すると思っていたのに。たった1人、『チャンスをくれ』っていう人が現れて。」


もしかして、三上さんの言った言葉?


「わたし、忘れてた。人の心は変わるってこと。椚くんからそれを聞くのが恐い。」


淡々と話す橘さん。


涙は流さなかったけれど、その声には深い傷を負っていることを感じさせる何かが込められていた。


「今日は言われなくても、明日、言われるかもしれない。明日は大丈夫でも、1か月後は?1年後は?椚くんと会う度に、きっとそれを考えてしまう。」


そのときは、俺がいます。


そう言いたかった。


「もうおしまいって言われたら、わたし、どうしたらいい?勇樹くん。」



『勇樹くん』。


タチバナサン。 ソレハ オレノ オトウトトシテノ ヨビナデス。


彼女は自分が俺のことをどう呼んだかなんて、まったく気付いていないようだ。それが、どんな意味があるのかも。


「いつか、そう言われるんだったら、もう会わない方がいい。椚くんの口から、その言葉は聞きたくない。」


でも、それでは何も解決しない。


橘さんは、このままでは誰のことも信じられないまま、人を好きになることをやめてしまうだろうから。


そうなったら、俺がどんなに橘さんを想っても、彼女が俺に愛情を返してくれることもないだろう。


椚さんが橘さんのもとに戻ることが、ただ一つの解決方法だ。


椚さんは絶対に橘さんを裏切ったりしない。椚さんの心は変わらない。


そのことを橘さんが信じられない限り、橘さんは不幸なままになってしまう。


「橘さん。」


俺はどんな顔をしているんだろう。


「今日は、このまま椚さんに会わないように帰りましょう。俺が送って行きますから。」


オトウトトシテ アナタヲマモリマス。





レストランに戻ると男の人がロビーに出て来ていた。確か西村さんといったっけ。


椚さんは橘さんを探しに行ったきり戻っていなかった。


コバちゃんを呼んでもらい、橘さんの帰り支度を手伝ってもらう。


椚さんが戻る前にここを出たい。


西村さんに心配かけたお詫びを伝え、橘さんを連れて駅へ向かう。


彼女はあれから誰とも目を会わせなかったし、一度も口を開かなかった。





橘さんの降りる駅に着いて、彼女と一緒に改札口に向かうと、橘さんは問いかけるような顔を俺に向けた。


「部屋まで送って行きます。見届けないと、俺が不安ですから。」


微笑んだつもりだけど、どうだっただろう?


橘さんは、電車の中では緊張感が感じられたけれど、自分の見慣れた場所に戻ってきてほっとしたようで、歩く姿にも力がない。


腕を支えるように付き添って、以前、彼女が指差して教えてくれたマンションへ。


「何階ですか?」


「3階です。」


エレベーターで橘さんの部屋まで行く。


鍵を開けてドアを開けた橘さんに、ひと言だけたずねた。


「まだ、椚さんとは会えませんか?」


彼女の顔が恐怖と悲しみにゆがむ。


「だめ。」


ふと、橘さんはドアにかけた自分の手を見て、左手の指輪に気が付いたらしい。


それをゆっくりはずすと、俺に差し出した。


「椚くんに返しておいてください。」


「でも・・・。」


躊躇する俺の手に、指輪を押しつける。


「お願いします。」


そう言って、橘さんはドアの中に消えた。







ここからしばらくは佐伯さんの語りになります。(橘さんの一言はお休みです。)


今まで影が薄かった佐伯さんに少しがんばってもらいます。

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