“ファンの集い”(1)
4月28日。コバちゃんと佐伯の“ファンの集い”の日だ。
朝から西村の落ち着かない様子が伝わってくる。
とは言っても、俺も自分の計画があるから、やっぱり落ち着かないけど。
ようやく終業時間になり、急いで帰り支度をする。忘れ物がないように。
開始時間は7時で十分に余裕があるけれど、俺と橘さんは幹事という立場なので早めに待ち合わせて現地に行く。
参加者は西村と河野さんが取りまとめてくれて、会費も先に集めてくれていた。
俺はそのお金を預かっていたけど、誰が参加するのかは尋ねなかった。二人がOKした人なら、迷惑な人はいないだろうと思ったから。
本社を出てから、橘さんが行くことを誰にも話していなかったことに気が付いた。
でも、みんなコバちゃんと佐伯に会いに来るんだから気にしないだろう。
レストランのある駅のコーヒーショップで橘さんと待ち合わせ。
先について彼女を待つ。
彼女との会話を心の中で想い描きながら。
5分ほど経ったころ、橘さんがやってきた。
「お待たせ!」
と言いながら、白っぽい春のコートを脱ぐと、その下は春の青空のような水色のワンピースだった。襟元の白い縁取りとリボンがさわやかで、とても橘さんらしい。胸元にはクリスマスにプレゼントしたペンダントが下がっていた。
俺はものすごく幸せな気分になって、にっこりした。・・・はず。たぶん。
緊張していたから、定かではないけど。
橘さんがコーヒーを頼んで、今日のコバちゃんと佐伯の様子を話し始めた。
「あの、」
それを遮って、俺が口を開く。
「これ。」
ポケットに入れておいた小さな包み。テーブルに載せて、橘さんの方へ押し出す。
目で問いかける橘さんに、一言。
「開けてみて。」
橘さんがリボンをほどいて丁寧に包みを開く。
現れた小さなビロード仕立ての箱を見て、手を止めた。
「もしかして・・・?」
もう一度、問いかけるように俺を見てから、ゆっくりと蓋を開ける。
何秒間か黙ってそれを見つめて、橘さんは深呼吸をした。
「それを、今日の会ではめていてほしいんだ。」
橘さんは一言もしゃべらないで、何度も深呼吸をしている。
大丈夫かな?心配になってきた。
「もしかして、気に入らない?」
でなければ、「いらない」と突き返されるのではないかと不安になったころ、ようやく彼女が一言。
「ありがとう。」
よかった!
「今日、・・・指輪をくれるなんて、全然、思って、なかったから、びっくり、しちゃって。」
橘さんは呼吸が治まらないらしくて、ちゃんと話せないようだ。
「サイズは大丈夫だと思うけど。」
と俺が言うと、彼女は箱から指輪を取ろうとした・・・けど、手が震えていて取り出せなかった。
それを自分で笑いながら言う。
「『うれしくて息が止まりそう』なんて、あるわけないと思っていたけど、今、わたしがそういう状態。ドキドキして、息が苦しい。手が震えて力が入らないし。」
それから、
「椚くん、はめてくれる?」
そう言って左手を差し出した。
俺は厳かな気分で箱から指輪を取り出して、橘さんの震えている左手の薬指にはめた。
約束の指輪。エンゲージリング。
橘さんはゆっくりと左手を戻すと、指輪をじっと見つめる。
彼女の顔に笑顔が浮かんできて、それを見て、一層幸せな気分になった。
最後にもう一度深呼吸をしてどうにか落ち着いたらしい橘さんが、俺に問いかけた。
「いつ買ったの?サイズもピッタリだし。」
「4月の初めに一緒に見に行ったあと。」
「そんなに前に!?」
俺にとって、一人でジュエリーショップに入るのはかなり冒険だったけど。
「うん。あの日帰ってから、ゴールデンウィークに実家に帰る前に指輪を用意しようと思い付いて。でも、橘さんを驚かせたかったから、内緒でその週のうちに、同じ店に行ったんだ。」
橘さんは目を丸くしている。俺がそんな気の利いたことをするとは思わなかったんだろう。
「行ってみたら、日曜日に俺たちの相手をしてくれた人がいて、覚えててくれたんだ。ああいう店の店員さんはすごいね。それで、同じのを出して見せてくれて、サイズは俺も覚えていたけど、店員さんもそうだったって言ってくれたから。」
なんだか照れくさい。
「できあがったのはそれから一週間後くらいだったけど、橘さんに内緒にしておくのがドキドキで。何かのはずみで指輪の話が出ると困るなと思って、いつも気が気じゃなかったよ。」
「ああ!それで。」
橘さんが笑う。
「椚くんが何か隠してると思ってた!急に話をそらしたり、言いかけてやめたりするから、怪しいと思ってた。」
隠し事があるのはバレてたんだ。
「でも、どうして今日?」
「もう、本社でもかなりの人が、俺の相手が橘さんだって気付いているみたいなんだ。今日、一緒にいるなら、みんなに知ってもらった方がすっきりしていいと思って。うわさになったとしても七十五日っていうし。もちろん、橘さんがそれでよければ、だけど。」
「いいです。椚くんと一緒なら大丈夫!でも、みんなの前で宣言するわけじゃないよね?」
「まさか!それをはめて、俺と一緒にいてくれるだけでいいよ。」
それで十分に伝わるはず。
ニコニコしながら指輪を見ている橘さんを、俺は幸せな気分で見つめた。
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橘 春香
椚くんがこんなことするなんて。
びっくりして、嬉しくて、気絶するかと思った!