男だって、うわさ好き。
グループ指導が始まると、指導担当の社員は通常の仕事は週4日しかできない。
俺は遠藤さんがフォローしてくれているし、係長になった中村さんも協力してくれているけれど、甘えてばかりはいられない。
少しでも、一人でできることを増やしたい。
20日の水曜日に、1回目のグループ指導のときの新人のレポートが届いた。
次の回で気を付ける点や見直す点をチェックするためのものだ。
4人とも特に困ったことはなさそうで一安心。
次回は元の事務所に行くから、俺も少し気楽にできそう。
橘さんの顔を見られるのもうれしい。
けど、あんまり浮かれている姿を新人に見られないように気を付けなくちゃ。
その夜に、同期の友人たちと飲みに行った。俺が本社へ来たからって、みんなが計画してくれたのだ。
男ばっかりの飲み会で、佐伯も来ていた。
佐伯が来るという話が女子社員に漏れないように、みんな厳重に口をつぐんでいなければならなかったけど。
入社して年数がたつと同期で集まることも減ってくるから、何かのきっかけで集まれると楽しい。
結婚したヤツもいるし、体型が丸くなってきたヤツもいる。
まあ、5年くらいではそれほど大きな変化はまだないかな。
「椚さん、結婚するんだって?」
向かいの席から声がかかった。
周りからも、「そうそう。」「聞いたよ。」と声が上がる。
その話は、たぶん本社中の人たちが知っているんだろうな。
「一応、年内の予定。でも、相手はまだ公表しない。」
と俺が答えると、まわりがうんうんと頷いている。
「有名人だもんな。」
「去年のこともあるからな。」
「また女子社員の間で話題になりそうだし。」
ん?なんだろう、この反応?
まるで知っているような・・・?
怪訝そうな顔をしている俺に向かって、佐伯が「俺は何も言ってません!」と首を振る。
「あれ?椚さん、知らなかった?公表されてない情報ってことで、俺たちの間に流れてるけど。」
なんと!
どのくらいのことが・・・っていうか、正確なのか、その情報は!?
「ちゃんと、橘さんだってことになってるの?ほかの人じゃなく?」
「あ、やっぱりそう?橘春香さんだよね?中村さんの元の彼女の。」
よかった、間違った情報じゃなくて。
「緑川さんに椚さんが言い返したって話のときに、相手の名前も一緒に流れてきたよ。」
あのときには、下の名前しか出なかったはずなのに。
「俺がその話を聞いたときには、『“はるか”っていう名前なんだって』しか聞かなかったけど。」
「俺のところに来たときには、フルネームで伝わってきたよ。」
それぞれ情報がいろいろらしい。
きっと、初めは“はるか”っていう名前だけが伝わって、そこに俺の前の職場のことを考え合わせた推測が入って、最終的には決定事項としてフルネームで流れたんだ。
しかも、当事者の俺を回避して広まったとは・・・。
緑川さんと対決した話を聞いたって言われたことは何度もあったけど、橘さんのことは誰にも言われなかった。
うわさって、何て恐ろしいものなんだろう。変な情報に変化してなかったことだけは、本当によかった。
それにしても、男もこんなにうわさ好きだとは、全然知らなかった。
「残念だなあ。俺、けっこう好きだったのに。」
うわ、出た。橘さんのファン。佐伯も鋭く反応している。
「俺、同じ階だったからいつも見ていたけど、優しくて、笑顔に癒される人だったよなぁ。今でも癒し系?」
「事務所では出張に行く人に『行ってらっしゃーい』って言って、帰って来た人に『お帰りなさーい』って言ってるよ。」
「いいなあ。俺も言われたい。」
まわりの奴らも想像しているのか、ほんわかムードになっている。
人気があったって、本当みたいだな。
と、そいつが俺をキッと睨んだ。
「なんだかお前と佐伯が憎たらしくなってきた!2人でひとり占めなんて、ずるくないか?」
2人でひとり占めって言葉が変だ。
「え?俺も?」
とばっちりを受けた佐伯が慌てる。
「俺は個人的には何もしてもらってないし!」
いや、あるだろう?あれが。
飲み会だけのこととはいえ、『勇樹くん』なんて呼んでもらってるの、お前だけだぞ。
そうは言っても、せっかくの佐伯の弱みも、女子社員に知れたら橘さんの身に危険が及ぶとなると、暴露できない。
仕方ない。これは、おれが佐伯をいじめるときにだけ使うことにしよう。
だけど、このうわさ、どのくらい広まっているんだろう。
こうなると、公表してても、してなくても同じことなのでは?
ちょっと考えなくちゃ・・・。
翌日の昼休み、社員食堂から出ようと立ち上がったところで三上さんに会った。
彼女も、俺の相手が橘さんだってことを知っているんだろうか?
西村から、三上さんと橘さんとの関係を聞かされていたから、なんとなく気になる。
でも、三上さんの様子は別に変わりなさそう。
まあ、あの分では、耳に入るのも時間の問題かな。
俺のそんな心配をよそに、三上さんはグループ指導の話をしている。新人のレポートを読んで、自信がなくなったって。
「まだ始まったばかりで、お互いに慣れなてないから仕方ないですよ。」
俺がなぐさめると、彼女は明るい顔になって、
「そうですね。」
と、ほっとしたように言った。
うしろから賑やかな声が近付いてきて、
「椚さん!」
と名前を呼ばれた。松井さん、松川さん、浅川さんの3人組だ。
「こんにちは。」
3人そろって頭を下げてくれる。
松川さんがにこにこして口を開く。
「今週の金曜日、またお世話になります。楽しみにしています!」
そう言って、また頭を下げて小走りに去って行く。松井さんも同じように続く。
浅川さんは三上さんに「よろしくお願いします。」と頭を下げると、俺にも会釈をして、急いであとを追って行った。
「いつも楽しそうにしてますよね。」
そう言いながら三上さんを見ると、彼女は不機嫌そうな顔をしていた。
「ちょっと浮かれ過ぎじゃない?」
そんなふうに考えたことなかった。俺って、甘いのかな?
俺はいつも階段を使う。
三上さんはエレベーターだと思って、階段の入り口で「じゃあ」と言うと、三上さんも一緒に階段で降りると言ってついてきた。
「同期会があったそうですね。」
昨日の話を誰かから聞いたんだな。
「同期会って言っても、男ばっかりですよ。」
「佐伯さんも来たって聞きましたよ。」
その話も聞いたんだ。
「女子社員が来ると、佐伯が男同士の話に混ざれなくなってしまうから、男だけの秘密にしていたんです。」
「そうなんですか。久しぶりに顔を見たかったけど、残念。」
三上さんも佐伯のファンなのか。そういう雰囲気の人じゃないけど、人は見かけによらないよね。
「佐伯と話したかったら、もう一度だけ企画があるから、河野さんに訊いてみるといいですよ。」
三上さんは嬉しそうに、早速行ってみると言った。
午後、中村さんと打ち合わせをしていたときに、中村さんが急に思い出したように言った。
「そうだ。椚君、西村君と一緒に、お見合いパーティを企画してるんだって?」
はい?
「さっき、トイレでそんな話を聞いたよ。」
「えーと、お見合いパーティとは違うんですけど・・・。」
たぶん、ファンの集いのことだ。
「そう?まあ、ハメを外さないようにね。」
「はい。」
西村〜。
変なうわさが流れてるぞ!
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橘 春香
ファンの集いのために、コバちゃんがワンピースを買いに行くと言うので、一緒に行って来た。
コバちゃんはどれを試着しても似合ってて、女のわたしでも目を奪われる。
スカート姿は珍しいから、椚くんも佐伯さんもびっくりするだろうな。
そういえば、わたしは何を着よう?
目立たないように・・・っていうと、いつものスーツでいいかな。
でも、あんまり地味だと、お店の人と間違えられたりするかも。
さすがにそれは嫌だ。
わたしも一着、買っちゃおうかな。