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”対緑川さん同盟”



まだ早い時間だったので、店はそれほど混んでいなかった。


とりあえずビールで乾杯をする。


適当に注文を済ませると、西村が話のきっかけを作ってくれる。


「あのときは、まさか、椚が総務課に来るとは思わなかったよ。」


「俺も、西村と一緒に酒を飲むことになるとは思わなかった。」


「中村さんと知り合いだったんだって?」


遠藤さんがたずねる。


「はい。俺が新人のとき、グループ指導担当が中村さんで、すごく世話になったんです。そのあとも、本社に来ると声をかけてくれて。」


「あ!そうだ!言うの忘れてたけど、椚君、今回、そのグループ指導担当になってるからね。」


え?来たばっかりなのに?


遠藤さん、それって、けっこう重要な話ではないのでしょうか・・・。


「そうそう。俺もやることになってるから、一緒によろしく。」


西村も?それは心強いけど・・・。


グループ指導というのは新人研修のひとつだ。


今日の入社式のあと、新入社員は午後までずっと全体研修を受けている。


明日からはそれぞれの所属職場で仕事を教えられながら過ごすことになるが、4月後半から6月はじめまで、毎週金曜日はグループ指導を受けるのだ。4、5人のグループに先輩社員が一人ずつ付いて、いろいろなことを教わる。


指導担当は採用後5〜10年くらいの社員がランダムに選ばれることになっていて、少人数のため、かなり近い関係を築ける。


俺は外の事務所にいたから忘れてたけど、毎年この研修は続いてるんだ。


いい制度だと思うけど、指導担当の力量が問われることを思うと、俺には荷が重い・・・。


「大丈夫。自分が新人の頃のことを思い出してやれば、いい指導ができるよ。」


遠藤さんが励ましてくれる。


「そうは言っても、俺の指導担当は中村さんだったんですよ。俺とはレベルが違い過ぎますよ。」


「指導の内容は自分で計画することになってるし、どちらかというと、新人の気持ちを前向きにしてあげることが目的だから、指導力というより人柄の問題なんだよ。」


それもまた自信がない。


「一昨年、橘さんもやってなかったっけ?」


え?橘さんが?


「そうそう!やってましたよね。小さい体で、男4人引き連れて歩いてましたね。」


そうか・・・。


『決まったら、とりあえずやってみるしかないんだよ。』


橘さんの言葉がよみがえる。


「経理課にも1人、橘さんのグループだったヤツがいるよ。研修中に一度、青い顔をして帰ってきたことがあって、どうしたのかきいたら、車で恐い思いをしたって言ってたな。橘さんが運転して外に行ったんだと思うけど。」


あの運転で、新人を連れて行ったのか!すごく思い切ったことをしたんだな。


“とりあえずやってみる”も、そこまでいくと尊敬する。


「自信ないけど、やるしかないんだな。」


西村が「そうそう。」と頷く。遠藤さんも、「相談に乗るよ」と言ってくれた。





そういえば。


「緑川さんの同盟とかって言ってましたけど、彼女、何か問題があるんですか?」


遠藤さんにたずねる。


「問題っていうか、性格がね・・・。」


遠藤さんは言いにくそうだ。それを受けて西村が答えてくれた。


「緑川さんはね、男の人はみんな自分を好きになるって思ってるんだよ。」


女版竹田か?


「椚は、彼女の第一印象ってどうだった?」


「可愛い系のきれいな人?化粧品のコマーシャルに出てるみたいな。」


「やっぱり。」


遠藤さんと西村が、顔を見合わせて頷き合っている。


「それが曲者なんだ。『私ってかわいいでしょう?』っていう感じだろう?で、自分を好きにならない男はいないってなるわけ。」


ずいぶん極端な人なんだな。そうすると、どうなるのかな。


「何でも勘違いしちゃうんだよ。例えば笑いかけたりすると、『この人は自分に気がある』ってことになっちゃう。」


え?


「仕事を頼んだだけでも、『話すきっかけを作ってる』とか。」


「服やメイクを褒めたりしたら、もう完璧にアウトだね。」


「で、言いふらす。」


どこで?誰に?


「給湯室とか、ロッカーとか、女子トイレとか、女性には井戸端会議の場所があるだろう?そのネットワークに乗っちゃうんだよ。」


おそろしい!


「で、でも、彼女がそんな人だってこと、社員ならみんな分かってるんじゃ・・・?」


「そうだとしても、『もしかしたら』って思う人もいるよ。それに、広まったうわさは出所がわからないから。」


そうか。


「だから、俺たちは男同士で同盟を結んで、助け合っているんだ。彼女から自分たちを守るために。」


西村が真面目な顔をして言う。


「まず、彼女と2人きりにならないように、それと、させないようにする。」


ああ、なるほど。


「男が彼女につかまっていたら、呼んでやるとか、話しかけるとかするんだ。残業も、彼女が残るときは男は必ず2人以上で残る。」


すごい徹底ぶり。セクハラの対策みたい。


「もし、彼女が勘違いをしていることがわかったときは、必ず訂正する。」


「そうそう。たまに男にも『あの人、私に気があるみたいで』って話をすることがあるから。」


「どう言えばいいんだろ?」


「基本は『彼女とうまくいってるらしい』っていうのだけど、その場に応じて臨機応変だな。」


でも逆に、「この人、ヤキモチ焼いてる」とか思われないか?


あれ?


「遠藤さんは結婚してるから、関係ないんですよね?」


「彼女の魅力にとっては、結婚なんて関係ないんだ。ますます『自分って罪な女』になっちゃうだけ。」


じゃあ、俺の相手が決まっていることも・・・。


「椚も対象であることに変わりはない。」


きっぱりと言われた。


「あと、うわさが流れてしまったら、お互いに助け合って打ち消すこと。」


「そう。彼女がらみのうわさを、俺たちが『もしかしたら本当かも』と思っちゃいけない。絶対に!聞いたら即!その場で打ち消す!」


「でも、本当に緑川さんのことを好きな人がいたら?」


「さっさと本人に伝えるか、俺たちに言うこと。俺たちが知っていれば、うまくいくように協力してやる。」


なんと大変なことか。それで同盟ね。


「それって総務部だけ?」


「まあ、被害に遭いやすいのは総務部だから、はっきりと意思確認してるのはその中だな。でも、いろんなつながりで知ってるヤツも多いよ。」


被害って・・・。


男にここまでさせるとは、すごい女性だ、緑川さんは。





「彼女はいつからあそこにいるんですか?」


遠藤さんにたずねる。


「えーと、僕が人事課から異動してきた年だったから・・・。」


「俺の次の年ですから、7年目に入ったところですね。短大出だから、年は俺たちの3つ下だよ。そういえば、橘さんは苦労したんだぞ。」


え?彼女のことで?


「緑川さんが例のごとく、中村さんが自分に気があるって勘違いしてて、橘さんと付き合い始めたときに、横取りしたって言って。」


ひえ〜!


「緑川さんは特に中村さんを気に入っていたから、大変な怒りようでね。帰りにロッカー室の前で橘さんを待ち伏せて、責めたんだよ。」


「騒ぎを聞いた中村さんが駆けつけて、その場で緑川さんにきっぱりと勘違いだって言い切って、その場は落ち着いたんだけど。」


まだあるのか?


「そのあとずっと、橘さんには意地の悪いことをし続けてたよ。中村さんがいるから、おおっぴらにはやれなかったみたいだけど。」


恐ろしい人だ・・・。


でも、だからきっと、中村さんは、橘さんと付き合っていることを隠さなかったんだ。


社内の人たちが、中村さんの橘さんへの愛情を疑うようなうわさを信じないように。


それは、橘さんを守るためでもあったんだ。


「椚、お前の結婚相手が橘さんだってこと、言わない方がいいぞ。」


「今は言う気はないけど、実際に結婚するときには公表しないわけにはいかないだろう?」


緑川さんが知ったらどうなるんだろう?


前途多難な感じがした。


「緑川さんて、仕事はできるんですか?」


「ああ、仕事はきちんとやるね。仕事ができて可愛い女っていうのが、彼女のコンセプトだから。」


ふうん。なんだか、複雑な人だなあ。


どう対応すればいいのか、よくわからない。席は向かい合ってるし。


機会があったら、中村さんに相談してみよう。





「ところで、椚。小林さんてどんな人?」


え?いきなり何?


「美人だっていう話は聞いてるけど、ちらっとしか見たことがないんだよ。お前、3年間、事務所で一緒だったんだろう?」


「昼に、橘さんのことでがっかりしていた同一人物だとは思えない発言だな。」


「橘さんのことは、うすうすあきらめてたから。」


そんなもんなんだ?


「コバちゃんは本当に美人だよ。背が高くて、モデルみたいにスタイルいいし。」


「『コバちゃん』とか呼んでるわけ?仲良しなんだね。」


遠藤さんに感心される。


「事務所の中ではみんなそう呼んでます。彼女、サバサバした性格だから、その方がいいって自分で言うので。」


「俺、会ってみたい!椚、飲み会の設定して!」


また、そういう話?河野さんに引き続き、なんか俺、見合い仲介人みたいじゃないか。


乗り気じゃない俺の顔を見て、西村が食い下がる。酔ってるな、西村。


「橘さんを譲ってやったじゃないか!」


いや、譲ってもらってないよ。彼女はお前のことは断ってたはずだから。


「秘密にしてやるって、約束したし。」


う・・・。約束っていう言葉は出なかったけど、秘密を守ってはくれるだろうな。


困ったな。コバちゃん、こういうの嫌がりそう。


「ちょっと待って。メールが来たみたい。」


西村の注意をそらすつもりで携帯を出したら、本当にメールが来ていた。橘さんだ。


『隣の経理課に西村さんがいることを忘れてました。声は大きいけど、いい人だから、仲良くしてね。』


無遠慮に俺の携帯をのぞき込んだ西村が、大きな声ではしゃぐ。


「ほら見ろ!『仲良くしてね』って書いてあるじゃないか!さすが橘さん、俺のこと、よくわかってるよ。」


でも、忘れてたんだぞ。


「小林さん一人じゃ来にくかったら、橘さんと一緒でもいいからさあ。」


「お前、橘さんのことは、本当に吹っ切れてるみたいだな。」


俺が感心して言い、遠藤さんは腹を抱えて笑っている。


「仕方ないな。いつになるかわからないけど、検討しておくよ。」


「前向きにだぞ!」


あーあ。







* −−−− * −−−− * −−−− * −−−− * −−−− *




橘 春香




椚くん、どうしてるかな。


土曜か日曜に会えるといいけど。








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