新しい職場
4月1日。
今日から本社勤務。通勤途中の風景も変わる。
本社に着いて、指示されていた会議室へ向かう。
新入社員の入社式の前に、異動者と昇進者への辞令式があるのだ。
緊張した様子の、でも新鮮な雰囲気のある新人たちの間を縫って、会議室へと進む。
この中の1人が、俺の後任として橘さんのいる事務所へ行くのか。
・・・どの子かな。
高卒の男の子だと聞いていた。
うん、18才じゃ男の子だ。
会議室に入って名前を言うと、立ち位置と荷物置き場を指示された。
「椚。」
後ろから声をかけられて、振り向くと同期の友人だった。知った顔を見てほっとする。
彼は本社から外の事務所へ移るそうだ。外の事務所は、全部で4つ。
「向こうは圧倒的に男ばっかりだよなぁ。」
とため息をついている。技術職の彼にとってはますますそのとおり。
「俺がいた事務所は女性は2人だったな。」
独身なのにチャンスが減ると言って嘆いている。
ほかにも4人ほど同期が加わり、それぞれの情報交換に花が咲く。
「そうだ。お前、結婚するんだって?相手はどこの人?」
一人が例のうわさを思い出したらしい。
今は答えたくない・・・と思ったとき、タイミング良く招集がかかった。
「またな。」
と合図して、指定の位置に立つ。
前の方に昇進した社員が並んで、俺たちはその後ろ。
あれ?中村さん?
順番に名前と肩書が読み上げられ、中村さんは総務課の係長だった。もしかして、俺の上司ってこと?
事前の発表をチェックする時間がなかったからな。
中村さんの下で働くことに異存はないけれど、橘さんのことがあるから、なんとなく気まずい気がする。
どうしよう。最初に言うべきだろうか。
頭の中でぐるぐるとそのことばかり考えているうちに、辞令式は終わった。
一旦、結論は後回しにして、とりあえずは中村さんに挨拶。
もともとお世話になっていた人だし、これからは上司。
「ご昇進おめでとうございます。俺の上司になるんですね。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしく。ほとんどは僕の仕事を引き継いでもらうことになるよ。雑多な仕事だけど、慣れれば大丈夫だから。」
「がんばります。」
「じゃあ、行こうか。」
中村さんはドアに向かって歩き出そうとしたけど、立ち止まって振り向いた。
「今回のきみの異動だけど、」
「あ、はい。」
「僕から希望して、きみに来てもらったんだ。」
え?呼ばれた?何で?
「・・・理由がよくわからないんですけど。」
「去年、竹田君の件で問い合わせをもらっただろう?」
「はい。あのときはありがとうございました。」
「あとで、あの件をきみがどう処理したのか人事課長から聞いたんだよ。」
・・・脅しました。
「公にしないで、うまく解決したなと思ったよ。課長が知ったら、彼は解雇されるしか道がなかったからね。」
課長は知らなかったことになってるんだったっけ。
「それに、僕以外にも情報源がたくさんあったようじゃないか。」
うわさを集めただけですけど。
「そういうネットワークを持っている人が、僕は好きなんだ。きみが誰かのために何かをしようと思って、誰かがきみのために何かをしようと思う。そんなところがあるような気がするよ、椚君は。そういう性格の人は総務課の仕事に向いてるんだよ。」
そんなに褒めないでください・・・。ますます自信がなくなってきた。
「・・・ありがとうございます。」
「それで、僕が総務課の係長になることが決まったとき、椚君を僕の後任に欲しいって、課長に言ったんだ。通常は総務部の中から選んだり、新人が入ることが多いんだけど、僕が名指ししたんで決まったんだよ。」
中村さん、どれだけ顔が効く人なんだろう・・・。俺はただ呆然。
「って言っても、僕だってそれほどの力はないよ!今までのきみの評価が良かったはずだから、大丈夫。」
と笑っている。
「でも、ちょっと大変かもしれないな。」
やっぱり、そうだよね。
「きみ、注目されてるから。」
ああ、そっちか。
また、正月のインタビューが頭に浮かんだ。
「僕が呼んだってことで。」
そんな!?それをみんな知ってるのか?
「希望者もいたらしいけど、それを飛び越えてきみに決まったから、周りはみんな、どんな人だろうと興味津々だと思うよ。」
ものすごく緊張してきた。
子供のころから今まで、注目されたことなんてなかった。どうしたらいいのか、よくわからない。
「じゃ、行こう。」
中村さんの軽い足取りの後ろに、ブルーな気分の俺が続く。
いやいや、下を向いてちゃダメだ!
去年の橘さんを思い出す。
緊張気味で、でもまっすぐ前を向いていた。
この前、彼女が言ったとおり、とりあえず、やってみるしかないんだ。
「そういえば」
と中村さんが振り向く。
「椚くん、結婚するんだって?」
そうだ。まだその話がありました・・・。
結局、最初に話しておく方が、あとで言うよりもいいという結論に達し、結婚相手は橘さんであることを伝えた。
「そうなんだ・・・。」
中村さんは驚いた顔をした。
「はい。でも、まだ職場では公表していないんです。具体的なことが決まってないし、俺が正月にテレビであんなことを言っちゃったので、彼女が噂に巻き込まれないようにと思って。」
それに今では総務課に来たことで、さらに注目を集めているらしいし。
「ああ、そうだったね。」
中村さんは少し悲しげな顔をした。
「去年は彼女、一人で噂に耐えていたんだね。気の毒なことをしたと思ってる。でも、きみと結婚するならよかった。」
中村さんはほっとした顔をしていた。
「去年、きみと会ったときに、彼女とのことを話したのは、こんな予感があったからかも知れないな。」
そういえば。
「中村さんはご結婚は?」
「今月末に式を挙げるよ。」
嬉しそうな笑顔。
「そうなんですか!おめでとうございます。」
「ありがとう。」
「あのう、相手の方はうちの?」
「ああ、違うよ。彼女は文房具とか事務機械を扱う会社の営業で来ていたんだ。今はほかの担当になったから、ここで顔を合わせることはないと思うよ。」
ほっとした。これで橘さんと中村さんの件はおしまい!
「連れて来たぞー!」
中村さんが少し声を高めて、カウンター横から総務課に入る。
俺は顔を上げて自分を励ましながら、中村さんのあとに続いた。
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橘 春香
席替えがありました。
わたしの隣にはコバちゃんが来て、コバちゃんが今まで座っていた岩さんの向かいには新人さんが来ます。
異動でたいへん!編、始まりです。