お正月(3)
駅に向かいながら、これからどうしようかと相談した。
初詣にはちょっと時間が遅いかな、と思ったけど、夕飯もそのままどこかで食べることにして、浅草寺まで行ってみることにした。
電車の中で、お互いの家族の話題がはずむ。
「椚くんのお母さん、明るくて楽しそうな方だね。」
「まあ、男兄弟の母親だから、あのくらい元気じゃないとね。橘さんのお母さんは優しそうだよね。」
「全然!すごく厳しいの!中学校の先生だから。」
そうなんだ?
「康太が生まれてからは、産休代替しかやってないけどね。康太が行った高校に、母に教わった子がいたんだって。そうしたら、康太の言葉遣いとか態度がみんなと違ってるのは、あの先生の子供だからかって納得されたって。」
「確かに康太くんはきちんとしてるよね。うちの瞬とは大違いだ。」
「ああ、瞬くんは結構カッコいいね。女の子に人気がありそう。」
「そういえば、康太くんも言ってた。俺には信じられないけど。」
「そう?一昨日、送ってもらったときも、話し上手でおもしろかったし。」
う・・・。橘さんが、俺の家族とはいえ、ほかの男をほめるのは嫌だ!思わずむくれて口をつぐむ。
「でも、わたしには椚くんが似合うね。そうじゃない?」
そのとおり!!
俺より瞬の方がカッコいいという意味ではあるけど、そんなことはどうでもいい。
俺は同意のしるしに橘さんの手を強く握って、だらしないニヤケ顔にならないように、必死で心を落ち着けようとした。
浅草寺についたのは5時半くらいだった。
空は暗くなってしまったけど、仲見世はお正月の飾り付けで色とりどりだったし、浅草寺の建物はライトアップされていて綺麗だった。
それに新年2日とあって、まだ参拝の人がたくさんいて賑やかだ。
ゆるゆると参道を進んで本堂でお参りを済ませる。
俺の願い事は・・・今年中に橘さんと結婚したい。
できれば30才になる前に。
あれ?橘さんの誕生日、知らないな。
「橘さん、誕生日っていつ?」
「3月22日。椚くんは?」
ということは、今年中ならOKだ。
「1月31日。」
「今月だ。何かお祝い考えないとね。」
誕生日を女の子に祝ってもらうのは何年振りだ?いや、そんなことを考えるのはよそう。
少し寒くなって、仲見世で温かい甘酒を買った。
甘酒は思いの外よく効いて、体が温まると、腹が減っていることに気がついた。
食べ物屋を探そうと、仲見世を抜けて雷門まで来たとき、華やかな声に出迎えられた。
「○△テレビでーす。初詣のアンケートなんですけど、ひと言お願いできますか?」
びっくりして思わず頷いてしまう。
「今年の目標は何ですか?」
ライトがまぶしくて、周りがよく見えない。声の方を向いたら、目の前にマイクがあった。
「え、えーと、結婚です。」
何にも考えられなくて、そのまま言葉が出てしまった!
「わー!そちらの彼女とですか?」
あれ、橘さんは・・・後ろに隠れて出てこない。
「うらやましいですね〜!ありがとうございました〜!」
ようやく横に逃れると、スタッフらしき人が話しかけてきた。
「明日のニュース用に取材に来てるんですが、今のインタビューが放送されるかどうかはわかりませんので。」
そ、そうなんだ。ちょっとほっとした。
思わず脱力している間に、取材陣は次々と参拝客をつかまえてインタビューを進めている。
「椚くん、甘酒で酔っ払ったんじゃないの?」
橘さんの声に我に返った。もしかして怒ってる?
そうっと顔を見ると、彼女はプイと横を向いてしまった。暗くて、どんな顔をしているのかわからなかった。
「ご飯食べに行こう!」
彼女は俺の手を引っぱって、どんどん歩いて行く。
この話題にはしばらく触れないでおこう。
食事を済ませて橘さんのマンションの駅の改札で別れるまで、二人とも取材の話題は避け続けた。
そのせいで微妙な雰囲気になってしまって、淋しくなった。
やっぱり甘酒が効いてたんだろうか。
あぁ、落ち込むなあ。
もうすぐ部屋に着く、というとき、携帯に着信。あれ、橘さん?
『椚くん、たいへん!』
どうしたんだ!?泥棒とか!?
『鍵!鍵を返すのを忘れた!』
鍵って・・・あっ!
「俺の鍵!?」
『そう。ごめんなさい!今、どこ?』
「もうすぐ部屋。」
『たいへん。これから持って行くから、どこかでコーヒーでも飲んでて!』
「いや、ちょっと待って!俺が行くから。」
『だって。』
橘さんの声、泣きそう?
「大丈夫。橘さんを待ってる方が心配だから、自分で行く方がいいよ。」
『ごめんなさい。寒いのに。』
「電車の中はあったかいから平気だよ。そっちは駅からすぐだし。」
『じゃあ、駅で待ってる。』
「近くなったらメールするから、それまで外に出ないで。危ないし、風邪ひくよ。」
『・・・わかった。本当にごめんなさい。』
そんなに謝らなくていいよ。あの微妙な雰囲気が消えたから。
彼女の方の駅に着いたのは9時半近かった。
ひとつ前の駅からメールをしたら、橘さんが改札口の前で待っていた。
改札越しに近付くと、深々と頭を下げて「本当にごめんなさい。」と言う。そして、
「もう遅くなっちゃったから、今日はうちに泊って行って。」
と。
「え?」
自分の耳を疑った。彼女からこんなことを言われるとは思っていなかったので。
「あの、だって、これから帰ると、椚くんの家に着くのは10時になっちゃうよ。今日は双子と遊んでもらったりして疲れてるのに、わたしがうっかりして申し訳なくて・・・。」
そのお詫びに、俺が橘さんをいただいちゃってもいいのでしょうか?・・・とは口に出せない。
確かに実家帰りでお泊まりグッズも持ってるけど、本当にいいのかな?
「あ、うちには予備の布団があるし、別に椚くんを襲ったりしないから心配しないで!」
あれ?さりげなく牽制された?
仕方ない。俺も自粛します。でも、どきどきはおさまらない。
「じゃあ、お言葉に甘えて宿をお借りします。」
と頭を下げた。
「よかった。」
改札口から出て彼女の部屋に着くまで、なんだか雲の上を歩いているような気分だった。
* −−−− * −−−− * −−−− * −−−− * −−−− *
橘 春香
ぐすん。本当にわたしって、注意が足りない。
鍵を返さなくちゃって朝からずっと思ってたのに、そのあとは忘れっぱなしだもんね。
椚くんと一緒にいるといつも、今のことしか考えなくなっちゃうみたい。
そのうちもっととんでもないことをしないように、気を付けなくちゃ。