4月1日(2)
「椚さん、知り合いなんですね。」
机のななめ向こうから声がした。 佐伯 勇樹だ。
「知り合いって言っても、14年ぶりだけどね。」
「ふーん。どんな人でした?」
「あんまり変わってないよ。優等生だった。」
橘さんはどうして、佐伯を見て困った顔をしたんだろう。
佐伯は俺より2つ年下の同期だ。年が違うのは俺が大学院に行ってたから。
俺は仲間感覚で彼を呼び捨てにするけど、彼は年上の俺に遠慮して敬語を使ってくる。
でも、それは言葉だけのはなしで、付き合いは対等。
彼もコバちゃん同様優秀で、俺は大学院の勉強が社会で役に立つのかどうか疑問になる。
佐伯はものすごいイケメンだ。顔だけじゃなく、全部が。
たとえると、テレビやステージで大人気のダンスユニットのメンバーみたいな。
社内でも有名だし、飲みに行くと、女性から声をかけられることもある。
だから、さっきの橘さんのびっくりした顔は納得できるんだけど、困った顔はなぜ?
首をひねっていたら、コバちゃんと橘さんが戻ってきた。
みんなが仕事に戻ったあと、隣の席で荷物を整理する橘さんはやっぱり緊張しているようだった。
しばらくすると小さくため息が聞こえて、ゆっくり息を吸い込む気配のあと
「佐伯さん。」
と、決意のにじんだ声がした。
佐伯が顔をあげると、
「お忙しいところ申し訳ないのですが、引き継ぎはいつごろお願いできますか? それまでに見ておく資料とかありますか?」
まじめな彼女の言葉に、なんだか感動した。
やっぱり、橘さんは変わってない。
「今日と明日は手が離せないので、今はこれを見ておいてください。引き継ぎはあさってにしましょう。」
「はい。」
「それと、なるべく早く、電話に出られるようになってくれるとありがたいです。」
「はい。がんばります。」
佐伯はイケメンだけど、仕事には厳しい。
だけど、橘さんはものすごくほっとした顔で資料を調べ始めた。
職場の中はいつものとおり、話し声や電話の音でにぎやかに過ぎていく・・・。
そして、終業時間。
「お疲れさまでした! 一日目はどうでした?」
コバちゃんが橘さんにきいている。そういう心遣いもできるいい子なんだよね。
「緊張と資料の新しいコトバでふらふらです・・・。」
たしかに、あれから一心不乱に読んでいたかも。
「椚さん、息抜きに話しかけてあげなきゃダメじゃないですか。」
気が利かないなぁ、という顔で俺を見るコバちゃん。
謝る俺に、橘さんは大慌てで否定している。
「あさっての金曜日、歓迎会だから空けといてねー。」
向こうから岩さんの声が聞こえる。
コバちゃんがニコニコしながら言う。
「あ!椚さん、今日、残業する? 橘さんと一緒に、内輪で飲みに行きません?いいですよね、橘さん?」
「はい、大丈夫です。」
コバちゃんと橘さんが和やかにうなづき合っている。
内心、不安を覚えながら彼女たちとご一緒することにした。
会社の近くの小奇麗な居酒屋に3人でやって来た。佐伯があとから来る予定。
「僕のこと、すぐに思い出せました?」
乾杯のあと、橘さんにきいてみた。
普段、仕事以外では“僕”なんて言わないのに、自然に出てきたからびっくりした。
「はい。背が高くなったから、初めはちょっとわからなかったけど、その髪型とひょろっとした感じがあのころのままで。」
彼女は笑いながら言う。そしてコバちゃんに、
「椚くんは、小柄でかわいらしい感じの男の子だったんだよ。」
などと説明している。
それからは、女性2人による中学時代と今の俺の暴露ばなしでひとしきり盛り上がった。
やっぱり俺は酒の肴ですか・・・。
そのあと、俺とコバちゃんのゲーム話になった。
すると意外なことに、橘さんもゲームは好きだという。ネットゲームはやらないそうだけど、有名どころのRPGはだいたい知っている。格闘ゲームもやるというのにはびっくりした。
「実はね。」
と、橘さんが打ち明け話をするように話しだす。
「中学のころもゲームとかアニメとか好きだったんだけど、話の会う人がいなくて黙ってたの。」
えっ? あのもの静かなイメージはみんなの誤解だったってこと?
「アイドルとか音楽とかの話にはついていけないし、かといってオープンにする勇気もなかったし。ここでは話ができそうでよかった!」
彼女の“優等生”というイメージがちょっと揺れた感じがした。
その後、佐伯が来て少したったころ、橘さんは「緊張で疲れたから」と断って、にこやかに帰っていった。
* ---- * ---- * ---- * ---- * ---- *
橘 春香
1日目が終わった。
無事・・・たぶん。でも、疲れたなぁ。
明日も資料を読んで、あとはみんなが電話に出るところを観察しよう。