ついに決断
11月に入った。
竹田の件は、あのときに考えたメールの対処法を実行して、橘さんから不安な様子が減った。
メールは確かに毎日来ていて、その内容はくだらないものばかりだった。仕事のものなんて1つもない。
俺は全部、証拠用としてとっておいた。
外にも、彼女には内緒で調べていることがある。
竹田の元の職場での評判。それと、中村さんに内々で連絡をとって、あいつの異動の理由がわかるかどうか。
こういうときに頼りになるのは、同期や仕事で知り合った友人だ。
あと何日かすれば、十分な情報が集まるだろう。
秋葉原に行った翌日から、俺はずっと橘さんを見ていたけれど、まだ気持ちを伝えられないでいる。
何故かというと。
彼女の態度が微妙に変わってしまったから。
あのあと、彼女が今までどおり、普通に話しかけてくれたら言おうと思っていた。
けれど。
なんとなく違う。
元気で楽しそうなのは変わらない。
でも、目が合うとさりげなく逸らされてしまう。
仕事以外のことは話しかけてこない。
もしかして、避けられている?
2人で出かけたことを後悔している?
こんなに悩むなら、あのときに言ってしまえばよかった!
そうやって悶々と過ごしていたある日、係長から本社に荷物を取りに行ってくれと頼まれた。
翌日の朝、橘さんが本社での打ち合わせに直行するので、彼女の終了時間に合わせて11時ごろに、車で本社へ行くことになった。
俺が総務部で荷物を受け取り、橘さんとは社員食堂で待ち合わせる。その時間なら、社員食堂にはあまり人はいないはず。
橘さんは総務部の階で待ち合わせてもいいと言ったけど、そこでは中村さんと会う可能性が高そうで、彼女をたくさんの社員の好奇の目に晒したくはなかった。たぶん彼女は、平気って言うだろうけど。
次の日、本社の地下に車を止めて、台車をガラガラ押しながらエレベーターに乗った。
5階で降りて総務部で荷物を積み込んで、今度は食堂のある7階へ。
エレベーターの横に台車を置いて(盗まれることもないだろう)、社員食堂に入ったとたん、右側の観葉植物の陰から男の声がした。
「今、誰か付き合ってる人はいる?」
声の大きな男だな、と思ってそちらを見ると、こちらに背中を向けた男とテーブルをはさんで向き合う橘さんが見えた!
誰だ?なんで?馴れ馴れしくないか?どういう相手なんだー!
頭の中がパニックになる。
「えっと、今のところは・・・。」
答える橘さん。
そう。今のところはいない。俺が何も言ってないから!
「もしよかったら、今度・・・。」
「橘さん!お待たせしました!」
それ以上はだめ!言わせない!
俺は急いでテーブルを回りこんで、橘さんの横に立つ。
「あ、椚くん!お迎え御苦労さまです。」
男が一瞬、俺を睨んだ。俺だって負けられない。
「えーと、こちらは西村さん。同期なの。で、こちらは椚くん。今の同僚で中学の同級生。」
「え?同い年?同期じゃないよね?」
と、西村。
「大学院に行ってたんで。」
その2年間が悔やまれる・・・。
「椚くん、荷物は?」
「はい。そこのエレベーターのところにちょっと置いてきました。」
「じゃあ、誰かぶつかるといけないから行かないとね。西村さん、お話の途中でごめんなさい。久しぶりに会えてよかった。またね。」
橘さんと一緒にエレベーターに乗り込みながら、危ないところだったとため息が出た。
帰り道は混んでいた。事務所まで小一時間かかるかな。
西村という男の登場で、俺はかなり焦っていた。
これ以上、告白を先に延ばしたら、橘さんは誰かほかの人のものになってしまうかも知れない。
橘さんの態度なんて、関係なかったんだ。どんな態度をとられたって、俺は橘さんのことが好きなんだから。
それでも、赤信号で止まって、俺がようやく想いを口に出せたのは、出発から20分も経ったころだった。
「橘さん。」
「はい。」
「俺、橘さんに話があります。橘さんが絶対に勘違いしないように伝えたいので、よくわからなかったらすぐに質問してください。」
「はい。わかりました。」
いつもと違う気配を感じたのか、助手席で体をひねって俺の方を向くと、改まった口調で返事をしてくれた。
俺は深呼吸をして、一気に告白した。
「俺は橘さんが好きです。橘さんとずっと、一生、一緒にいたいと思っています。俺と恋人として付き合って、それから結婚してください。」
助手席の橘さんは、俺の方を向いて、目を丸くしていた・・・けど、すぐに嬉しそうに笑った。俺の勘違いじゃないといいけど。
「よかった!言ってくれないかと思った!」
それって、それって・・・。
「わたしも椚くんが好きです。わたしでいいなら、これからもよろしくお願いします。」
やった!
でも、念のため・・・。
「結婚もですよ。」
「んー。たぶん、大丈夫。」
「たぶん、ですか?」
ちょっとがっかり。
「今の気持ちは100%OKなんだけど、何年も待たされたら変わるかも。」
「じゃあ、橘さんの気持ちが変わらないうちに結婚しましょう!」
運転席で思わずガッツポーズする俺を、対向車の運転手がおもしろそうに笑っていた。
いくらでも笑ってくれ!この道路を走っている運転手の中で、俺が一番幸せ者なんだから。
事務所の駐車場で荷物を降ろしながら、ふと思った。
さっき、「言ってくれないかと思った。」って言われたけど。
「椚くんはちょっと自信が足りなくて、決心してくれないかもしれないと思ったから。そのときは、」
そのときは?
「わたしから言ってみようと思ってた。もし、わたしの勘違いで振られちゃうとしても。」
そう言って、荷物を持とうとかがんだ俺の頬に素早くキスをした!橘さんて、けっこう大胆・・・。
「決心してくれたお礼です。あ、お礼は西村さんにもしなくちゃいけないかな。椚くんが決心したのは、西村さんに会ったからでしょう?」
「必要ありません!」
橘さんは大きな声で笑っている。
俺は、この笑顔をずっと守って行く。
職場に戻ると、橘さんは係長に打ち合わせの報告をしに行った。
俺は台車を押して、コピー機の前に立っていた佐伯の後ろを通ろうとしたら、佐伯から声をかけられた。
「椚さん。」
俺が立ち止まると、小さい声で、
「口紅が付いてますよ。」
「!」
慌てて左頬に手をあてる。
と、佐伯がニヤッと笑った。
「なーんだ。そこですか。」
やられた!
「顔が緩んでますよ。」
仕方ないじゃないか。嬉しいんだから。
それにしても鋭いヤツ。
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橘 春香
おかしいな。
わたし、なんか、変かも。
ものすごくテンション上がってる?
お酒飲んだわけじゃないのに。
でも、すごく嬉しくて楽しい!