宇宙規模で考えれば、ボクは全人類の美少女と結合している。
茹だるような暑さの中、窓際の僕は沈黙するエアコンを睨みつけていた。
なんだよ、こんなことってないじゃないか。お前の怠慢のせいで、哀れな部下(扇風機)が首を振りすぎて過労死寸前だぜ。
――動け。動け! 動いてよ!
心の中で叫び、フフッと思わず自嘲する。もちろん、そんな僕の思念に周りが気付く様子はない。
今は退屈な国語の時間だ。教壇では、弘子先生が『罪と罰』なんて大層な名前の文学について、唾を飛ばさんばかりの熱量で語っている。
目には見えないが、飛び散るその飛沫をかき集めて一滴残らず啜らせてほしい。後ろに束ねた髪のうなじから、咽せ返るような甘い匂いが漂ってくるのがわかる。男子高校生の理性を試すには、いささか劇薬すぎるぜ、弘子。君のそのブラウスを舐めまわしたい。
ひたすらに弘子先生のサービスショットを堪能していた僕は、ふと、前の席の真鍋の背中へと視線を移した。
瞬間、手の中のシャープペンシルをへし折りたくなった。だが悲しいかな、貧乏性の僕は、ここで折ってしまえば母に小遣いをせびらねばならない己の惨めな姿を想像し、ギリギリで欲望を抑え込んだ。
透けているのだ。
汗を吸った夏服の向こうに、女性の双丘を羞恥から守護する、漆黒のナイトの輪郭が。
外壁を護る守護兵達は、この熱波による圧倒的な蹂躙劇を内部崩壊(汗)という形で死地に追いやられた。
「だ、だめだ! 新手の水責めだ! クッ!? 耐えきれない! 門を開けろ!」
無駄だよ守備隊長。この盤面は既に詰んでいる。
「我が、王国の秘宝を晒すわけにはいかぬ! 民よ! 立ち上がれ! せめて、色素だけでもお守りするのだ!」
そして、第二の壁も同じだ。内側からの攻撃になすすべなくその存在を薄くしている。
だが、凡百の兵が水害に流されていく中、流石はナイトだ。この世に名高い黒騎士よ。お前の主への忠誠は素晴らしく美しい。激流に負けず地に剣を突き立て、主の羞恥から守護するという命を守っている。
「させぬ! 主がおられる!」
「しかし! サー! このままでは!?」
「……君もいずれ分かるときがくる。これが騎士の本懐よ」
「あぁ……」
サー・黒ブラ。僕は思わず心の中で傅いた。でも、そんな君でも多分気が付いていないんだよ。君自体が羞恥になっているということをね! アハ、アハハハハハ!
……扇風機の奮闘も虚しく、彼女の柔肌からはアポクリン汗腺の働きによる最高のフェロモンが放たれ続けている。
彼女は生きている。だから、濡れている。つま先からうなじまで、例外なくじっとりと濡れているのだ。人間とはかくも素晴らしき存在であるのか。
雷に打たれたような衝撃が走った。そうか神か。君は神だったのか。矮小なる私に、なんという施しを賜るのか。僕は先ほどの殺意から一転、この奇跡の環境を作り出した慈しみ深きエアコンへと、心の中で深く頭を下げた。
真鍋がそうだ。ということは、つまり。僕の股間が天啓を知らせる。
――全員、そうなのだ。
ああ、神よ! なんということだ! 僕を試しているのか!? この教室中の水分が! 女子から放たれる水分が! 僕の体内を満たしていくのだ!
それでも、僕は何処までも冷静で理知的であると自負している。そっと、ポケットティッシュを取り出し、左の鼻の穴に詰めた。これで野郎の物は入らないはずだ。
僕は今、また一つ人間としての格が上がったのだと思う。物事はミクロで考えるべきではない。壮大で雄大なマクロで考えるべきだ。この学校で一番美人だという土屋先輩も、テレビの人気アイドルも、あの女優も、全員だ。
――宇宙規模で考えれば、全員僕と同棲している。惑星同士を分子結合のスケールで考えれば、全員、僕と結合している。
ありがとう、弘子。今の僕にはドドスコエフスキーさん? の罪と罰が何となく理解できているよ。
僕は神のような視点になった気がした。その神の視点で再びミクロの世界に戻る。気分はゼウスが変身した白鳥だ。あれ、白鳥だっけ? 鳩だっけ? まぁ、いい。彼もこんな気分だったのだろう。
ふと、斜め前の席のふくよかな女の子が目に留まった。
三田さんだ。クラスの連中は、三田さんを「可愛い」とは評価しない。ふくよかすぎる体型のせいだろう。
愚か者め。あの柔らかな腹の肉に指を挟まれ、あの豊満な太ももに顔を埋めたとき、そこに真理が訪れることは火を見るよりも明らかだというのに。
――ッ!? 貼り付いていやがる!?
再び、僕の脳髄を強烈な電撃が貫いた。僕はその奇跡を見逃さなかった。彼女の膝丈のスカートの裾が、一切の広がりを見せず、重力に逆らって肌に吸い付いている。
理由は一つ。あの肉付きのよい太ももでとめどなく代謝機能が働いた結果、表面の水分とポリエステルとウールの布地が『分子レベルで結合』したのだ。
結合! 素晴らしい! なんて淫靡で、神聖な響きだ! スーパーゼウス!
こうなってしまっては、僕はもう止まらない。いや、止まれないんだ。三田さん。漢を見せるぜ。是非とも聞いてほしい。君にとっての福音となるはずだ。イエス、ボク。
僕は、立ち上がった。その勢いで左の鼻の穴に詰められたティッシュが放たれ、ぺちょりと床に落ちた。
熱弁を振るっていた弘子先生が、ギョッとして口をつぐむ。ああ、大丈夫だ弘子。君も充分魅力的だぜベイベ。
直後、教室の茹だるような熱気が、絶対零度へと一気に冷え込んだ。いや、僕の気のせいだと思う。
「三田さん」
「な、なぁに?」
「君の女体が好きです。やりたいです。付き合えっていう話ではありません」
人間というのはある程度予測のできる生き物であるのか、それとも予測を越えた本能であるのか。直前の一気に冷え込んだというのはそういうことなのだろう。すごいな皆。
その日。
僕は半分の世界(男子)にとっての英雄になり、もう半分の世界(女子)にとっての、ゴミ以下の汚物となった。
後悔はしていない。異端の誹りを受けようとも、僕の唸る若木の血潮が、この崇高な主張を曲げることなど、決してないのだから。




