8話 りんごの香りに包まれながらの休息時間
「まあ、今日はりんご尽くしですのね」
「先週、青森の母の実家の法事に行ってまして。 ささやかですがお土産です」
水曜日恒例のお茶会。 今日はりんごの爽やかな香りに包まれ、いつにも増して華やいだ空気が流れていた。
「これは……りんごチップスか」ナディルが一口食べるとカリッと音がする。
「こっちはりんごケーキね。 丸くてちょうどいい大きさで小腹が空いたときにぴったりかも」りんごケーキを頬張るティア。
「このりんごジュース、さっぱりしてて美味しいですわ」エレシャがりんごジュースを上品に口へ運び後味に浸る。
そこへ結城がメインを運んできた。
「りんごの淡雪かんだよ」
「まあ……! なんて美しいのかしら」
エレシャが黒文字楊枝でスッと刃を入れる。 ふわっとした感触の後にりんごのシャリッとした瑞々しさが舌の上で踊る。
「……甘い。 けれど、この酸味がたまらないな」
ナディルも満足げに頷き、ティアは「幸せ〜!」と頬を押さえている。
「この淡雪かん、お菓子博覧会の新作のヒントになりそう! ……あ、でも、あの騎士団長様がまた『安全確認』って言いながら試作を全部食べちゃいそうで怖いわぁ」
ティアが困ったように笑うと、店内は一気に和やかな笑いに包まれた。
「こうして美味しいものを食べながら笑い合える……本来のシナリオを書き換えて本当に良かったですわ」
エレシャが静かに呟くと、ナディルも「ああ、この平穏こそが我々の勝利の証だな」と深く頷いた。
「結城さん、お兄ちゃんが来たら一ついいですか?」
「ああ、もちろんだ。 最近仕事忙しそうだね」
「新しいプロジェクトが始まったそうなんです。『詳しいことはまだ言えないけど絶対お前が喜ぶから楽しみにしてろ』って」
「相変わらず仲が良くてなによりだ」
話を聞いていたナディルが微笑む。
「最近、自警団に新人が入ったんだ。 妹想いの……いや、正直に言えば少し過保護で困っているくらいだ。 私が前線に出ようとすると、どこからともなく現れて盾を構えるのだからな」
「あら、ナディルの方にも? 実は私の図書館にも、最近妙に熱心な若手の文官が通い詰めているんですの。 以前のシナリオにはいなかったはずの方なのですが……少々お節介が過ぎるところがあって閉口しておりますわ」
エレシャが困ったように眉を寄せながらも、どこか楽しげにジュースを一口飲む。
「二人共、新しい出会いがあって羨ましいな〜。 私は……相変わらずお菓子博覧会の準備で手一杯よ」
「ティア様!」
唯奈が身を乗り出し、目をキラキラと輝かせた。
「さっきから気になってたんですけど、そのお菓子博覧会ってもしかして……王都の広場を全部使って一週間ぶっ通しで開催されるっていう、あの伝説のイベントですか!?」
「ええ、そうよ。 唯奈さん、よくご存知ね」
ティアが少し驚いたように目を丸くする。
「もちろんです! ゲームの中ではそこで優勝したお菓子が『次期王妃の御用達』になるっていう、めちゃくちゃ重要なイベントだったんですよ……えっ、じゃあティア様も、その……新作で優勝を狙ってるんですか!?」
「優勝だなんて、そんな大それたこと……でも、私の焼いたお菓子で街の人たちが少しでも笑顔になってくれたら嬉しいなって思って準備しているの」
控えめに、けれど職人としての矜持を覗かせて微笑むティア。
「素敵です……! 応援してます、ティア様! 私も行けたら全種類買い占めて推し活するのに……!」
唯奈の熱い応援に、店内はさらに明るい笑い声に包まれた。
「ふふ、ありがとう。 今日のりんご尽くしのお礼に、来週私の焼き菓子を持ってくるわ。 お菓子博覧会のお土産話もね」
「いいんですか!?」
「ええ、もちろんよ。 とびきり美味しいのを用意するわね」
ティアの優しい約束に、唯奈は「やったぁ!」と子供のように無邪気に喜んだ。
「あの、お兄ちゃん、来週のお茶会に顔出したいと言ってました」
「じゃあ焼き菓子、多めに持ってくるわね」
「じゃあ俺が準備するのはお茶だけでいいか」
「あんこたっぷりの柏餅が食べたいわ」
「仰せのままに」
ティアと結城のやり取りに空気が和む。
エレシャが満足げに微笑み、最後の一口の淡雪かんを口に運ぶ。
ナディルも、窓の外の静かな夜を見つめながら平穏を噛み締めるように頷いた。
――けれど。
幸せな予感だけが満ちたこの店内で来週、彼女たちが何を語ることになるのか。
この時の誰もがまだ知る由もなかった。
虹色の扉が明滅する。
「みなさん、気をつけてお帰りくださいね」
唯奈の明るい声に見送られ、令嬢たちはそれぞれの世界へと帰っていく。
残ったのは、かすかに残るりんごの甘い香りと来週へのささやかな期待。
和カフェ まおりの夜はいつも通り静かに更けていった。




