2話 「鎧を脱ぐ琥珀色の時間」
「……あの、お三方! ずっと気になってたんですけど……」
唯奈がトレイを握りしめ、身を乗り出すようにして聞いた。
「運命の卒業パーティーを乗り越えた後、皆さんは今、向こうの世界でどんな生活を送ってるんですか? 私、気になりすぎて昨日の夜、公式設定資料集を抱きしめて寝ちゃいました!」
水曜日。 今夜も和カフェ まおりでは勝利のお茶会が開かれている。
エレシャがふっと、勝ち誇ったような、けれどどこか晴れやかな笑みを浮かべた。
「私は今、王立図書館の館長を任されているわ。 無能な第一王子に代わって国の予算を『知識の普及』に回してやったのよ。 お茶を飲む暇もないくらい忙しいけれど……処刑台に登るよりはずっとマシね」
「私は」と、ナディルがみたらし団子の串を置き、誇らしげに胸を張る。
「騎士団を辞め、今は辺境で自警団を立ち上げた。 王子の婚約者という『飾り』ではなく自分の腕一本で誰かを守れる生活だ。 たまに魔物の肉を干物にする仕事も手伝っているぞ。 あれはなかなか酒に合う」
「あら、お二人とも活動的ね」
ティアがどら焼きを上品に飲み込み首を傾げた。
「私はね、神殿を離れて街で小さなお菓子屋さんを開いたの。 ほら、私の冤罪を晴らしてくれたあの騎士団長様が、毎日『新作の試食』という名目で通ってきてくださるからちょっと困っているところよ」
「(……尊いっ!! 全員が解釈一致のハッピーエンドを自力で掴み取ってるぅぅ!!)」
唯奈の心拍数はすでに限界を超えていた。
大好きなあんこたっぷりのどら焼きを食べ、お茶を飲むティア。
だが彼女のどこか浮かない顔が目に留まり、思わず聞いてみる結城。
「どうした? お口に合わなかったかな?」
「とても美味しいわ」
「ティア様、ここではなんでも話していいんですよ」
唯奈もそっと言葉を添える。
「……実は、例の騎士団長様が」
「(まさかティア様にしつこくつきまとってる!? いや、でもここまで話を聞いた限りではそんな風には……)」
心配する唯奈の予想は見事に外れる。
「あの方、毎日いらっしゃるのはいいのだけれど、私が新作のパイを焼くと『君の安全を確認するためだ』とか言って全部毒見(完食)しようとするの。 おかげで他のお客様に売る分がなくなってしまうことがあって……本当に困ったお方だわ」
頬をほんのりピンク色に染めて話すティアを見て唯奈は「(かかかかかかかわいぃぃぃぃ!!)」と心の中で絶叫していた。
結城は「そうか」と一言言うと再びパソコンの方を向いた。 その口元は微かに笑っている。
「(凄絶な破滅を回避した話を楽しそうに語れるのは彼女たちが今、充実してるからなんだろうな)」
ティアの可愛らしい姿を見たエレシャが語り始める。
「あら、微笑ましいお悩みですわね。 私は館長になってからというもの『本に囲まれて幸せですわ!』と全力で叫びたい衝動を抑えるのが大変なんですの。 かつての高飛車な悪役令嬢としての威厳を保たねばなりませんから……本当は、新しい本が届くたびに鼻歌が止まらないというのに」
続けてナディルも口を開く。
「悩みといえば……辺境の荒くれ者どもは私の実力を認めてくれているのだが、最近困ったことがあってな。 私が剣を振るたびに、町の娘たちが『キャーッ! ナディル様抱いて!』と黄色い声を上げるのだ……私はただの干物好きの女なのだが『クールな英雄』を演じ続けねばならないのは肩がこる」
「(凛としたエレシャ様が鼻歌!? ギャップ萌え死するぅぅ! 図書室でこっそりスキップしててほしい!! ナディル様は自覚のない天然タラシ! 女子にモテまくる騎士様最高……!)」
「……贅沢な悩みかな……」
ティアが遠慮がちに俯いて言うと、エレシャとナディルも少々気恥ずかしそうに視線を泳がせた。
キーボードを叩く手を止め、結城が静かに振り返る。
「いいんじゃないかな。 その『贅沢な悩み』こそが君たちが命懸けで勝ち取った一番の戦利品なんだから」
三人が顔を上げると、結城は穏やかに目を細めた。
「本来なら灰になり、追放され、投獄されていたはずの運命を君たちは自分の手で塗り替えた。 今、鼻歌を堪えたり、黄色い声に困ったり、誰かの食欲に呆れたりできているのは、君たちが『生きてる』証拠だよ」
結城は立ち上がり、空になった茶器を下げながら付け加えた。
「ここでは、完璧な令嬢を演じなくていい。 鎧を脱いでただの『甘いもの好きなお嬢さん』に戻って、思う存分弱音やノロケを吐き出していけばいいんだ。 また来週、軽くなった心で扉を叩いてくれるのを待ってるよ」
三人の令嬢たちは、一瞬呆気にとられたように結城を見つめ、それから誰からともなく今日一番の柔らかな笑みを浮かべた。
「……ふふ、本当に。 ここに来ると調子が狂いますわね」
エレシャが立ち上がり、虹色に明滅し始めた扉へ向かう。
「また来週、美味しいお茶とお菓子を期待しているぞ」
ナディルが凛とした、けれどどこか軽やかな足取りで続く。
「次はもっと惚気話を用意してきちゃおうかしら」
ティアが茶目っ気たっぷりにウィンクして光の中へ消えていった。
扉が消え、静寂が戻った店内で唯奈が深くため息をついた。
「結城さん……今のセリフ、最高にエモかったです。 私、録音しておきたかった!」
「……よし、掃除を終わらせて早く閉めよう。 来週は今日よりもっといいあんこを炊かなきゃいけないからね」
深夜の和カフェ『まおり』。
運命をねじ伏せた彼女たちの明日を生きるための聖域。
甘い余韻だけを残して今夜も静かに灯が消える。




